表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第二八番隊  作者: 鱗田陽
212/228

梅津神之助の陰謀④

 真坂の私生活は瞬く間に暴かれた。奥さんが口ごもった意味も……。

 白鳥を含めた同心達は、悄然とした面持ちの奥さんを憚り、中庭の血溜が広がる一画で顔を突き合わせた。

「どうするよ」

「どうしましょうかねえ」

 暴かれた事情とは、真坂には莫大な借金があったこと、返済の為に奥さんに体を売らせていたこと――昨晩もその関連だったようだ――などだ。

「人は見かけによらねえなあ」

「……まあ、それは事実ですが、もっと建設的な話をしましょう」

 全員が頭を悩ませたのは、真坂の借金についてだった。証文を見る限り、真坂が死んだ今、その全てが奥さんに降りかかる契約になっている。

「真坂さんに金を貸していたのはどんな奴なんです?」

「須根屋の金吾って奴だな。ろくでなしだ」

「……金吾さんに連絡は? 交渉次第ではどうにかなるかも」

「それがなあ……連絡が取れんのだ」

「須根屋には行ったんですか?」

 同心達は顔を見合わせ、渋々といった感じで頷いた。誰もいなかったのだという。

「どうするんですか?」

「どうしようもねえだろ」

 顔を突き合わせては、ぼそぼそと話しこむ。誰もこんな重大な――しかも同心の業務とは無関係の――問題の責任など取りたくないのだ。もちろん白鳥だって。

 しかし、停滞は破られた。

 急に、現場にピリッとした鋭い殺気が走り、烏合の衆が直立姿勢を取ったのだ。

 もちろんのこと白鳥も背筋を伸ばした。どうやら医師が、お節介にも報告をしたらしい。

 次の瞬間、現れたのは平野だった。彼女と河津、それに中央部の同心三人が現場にやってきて、うだうだ話しこんでいた無能共を睨んだ。

 白鳥は顔を俯かせた。平野が近付いてくると、同心達は緊張した面持ちで喉を鳴らした。それほど彼女の眼光は勁烈な殺気を孕んでいる。この一行は足早に彼らの前を通り過ぎようとして、立ち止まった。

「……白鳥」

「番所に帰ったら、人手が足らないと言われたので」

「お前はもういい」

 平野が煩わしそうに手を振った。指示を受けた河津が微妙そうな顔で現場から離れるようにと促す。

 同心達がぎょっと目をひんむく。白鳥が追い出されるということは、梅津神之助の関連なのだ。彼らは茫然と、揃って若い同心に視線を転じていた。

「……お前達はこちらに集中しろ!」

 苛立たしげな平野の鋭い声が飛ぶ。視線がなくなり、白鳥はほっと胸をなでおろした。

「ここからの指揮は私がとる――」

 一方で虚しい背中で上司の凛然とした声を聞くしかない。

 番所に戻ったところで何をすればいいのか……。思っていると、途中まで後ろをついてきていた河津が、そっと耳元で囁いた。

「親父さんが呼んでたぞ」

「え?」

「店に来いってさ」

 その口ぶりに白鳥は眉間に深くしわを刻んだ。けれども反論を許さず、河津は踵を返してしまった。

 もはや戻ったところで仕事があるわけでもないなら、気に食わない父に会うしかあるまい。

 豆河通りは今日も今日とて混沌としている。その中でも指折りの大店である白鳥屋は、多くの客をひっきりなしに飲みこんでは吐き出している。

 その店先に次男坊の姿が見えると、客の応対をしていた番頭が店の奥に声を掛けた。その手際の良さに内心で反感を抱く。

 次いで現れたのは見たくもない男だった。

「……兄さん」

 白鳥屋の長男だ。跡取りであり、常に白鳥家の全てを独占してきた男である。人はよく二人――父を含めれば三人――を似ていると評したが、白鳥からすれば甚だ心外だ。

 これほど悪辣で、狡猾な人間もそうそういないだろう。極限まで細まった目に青白い肌、そして痩せて細い体が意地の悪さを体現している。

「来い」

 兄は実に横柄な様子で顎をしゃくり、店の奥へと戻っていった。

 白鳥は血走った目で、番頭と、こちらを窺っている客とを睨んだ。その次男坊の剣幕に彼らは視線を逸らし、そそくさといなくなった。

 奥の廊下では兄が不機嫌そうに待っていた。そんなに苛立っているのなら、相手にしなければいいのに、と悪態をつきたくなったが、黙って彼のあとに続いた。

 通されたのは父親が密談をするのによく使う小部屋だ。

 十畳ほどの畳敷きで、建物の奥まったところにある。畢竟、日が届かずに薄暗く、寒々しい印象を与える。そんな場所に父と兄――最も顔を合わせたくない天敵が二人――神妙な顔で腰を下ろしていた。

「座れ」

 父が傲然と自分の前を指差した。その態度にもまた反発心が強く生まれたが、白鳥は黙って従い、二人を鋭く睨んだ。

「……単刀直入に言わせてもらうが」

 と話を切り出した父は、腕組みをしたまま目を閉じていた。

「お前には同心を辞めてもらいたい」

「は?」

 言葉の意味が飲み込めず、しばし口ごもった。その弟の愚鈍な様子に、兄は苛立たしげに舌打ちをし、人を馬鹿にするような薄笑いを浮かべた。

「要するに無駄だと言っているんだ。お前は勝手方の役人だったはずだろう? それには利益があったから続けさせたが、同心はどうだ? やっていることといえば死体の見分や、俺達には関係のない治安の維持だろう?」

「関係ないことはないでしょう?」

 兄の言葉に反論したが、聞く耳を持ってはくれないようだ。

「無駄だ。その仕事をしたって、白鳥屋の利にはならない」

「……じゃあ、勝手方に戻れというんですか?」

 それでも兄はかぶりを振る。何故お前が仕切っているんだ、と怒鳴り散らしてしまいたかった。隣で頷くばかりの父に苛立ちの矛先を向けると、彼は荘重に口を動かした。

「いいや、違う。お前にはとある商家を継いでもらいたい」

「……」

 言葉が出ず、鋭く睨みつける。今度は兄が話を継いだ。

「天野屋という店が港にある。さして大きくもないんだが、店主が高齢でな。跡継ぎを欲しがっているんだ」

「……他の人にやらせりゃいいでしょう?」

「今、天野屋の権利を欲して争っているのは、うちと田舎から出てきたばかりの小さな店なんだ。あの土臭い連中にうろつかれたくない。それこそ治安が悪くなるからな」

 そう話す兄の歪んだ顔は自己陶酔に浸り過ぎている。怒鳴ってやろうと白鳥が腰を浮かしかけた時、その機先を制して父が唸った。

「それに、近くで同心が殺されたそうではないか」

「え?」

 真坂の件はまだ公表されていないはずだ。だが、父はそっけなく言った。

「須根屋の……金吾と言ったか。あの男が吹聴して回っていた」

「……同心が殺された、と? 真坂という名前の?」

「そうだ。近頃は物騒な事件も多い。お前にはそんな危険な目には合って欲しくない」

 その言葉を吐き出す間、父の恬淡な表情が動くことはない。

 それが白鳥の逆鱗に触れた。何を殊勝なことを言っているのか。今の今まで一度だって考えたことすらないくせに。都合のいい時だけ口先が良く回る男だ!

 他人が見たらおののくほど不機嫌そうに唸り、父と兄を睨み下ろした。二人は瓜二つの露悪的な顔で次男坊を見上げていた。

「言いたいことはいくつもありますが、これだけは言っておきます。……いつまでも僕の人生を振りまわせると思ったら大間違いだ!」

 そう啖呵を切って、慌ただしく白鳥屋を飛び出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ