梅津神之助の陰謀④
真坂の私生活は瞬く間に暴かれた。奥さんが口ごもった意味も……。
白鳥を含めた同心達は、悄然とした面持ちの奥さんを憚り、中庭の血溜が広がる一画で顔を突き合わせた。
「どうするよ」
「どうしましょうかねえ」
暴かれた事情とは、真坂には莫大な借金があったこと、返済の為に奥さんに体を売らせていたこと――昨晩もその関連だったようだ――などだ。
「人は見かけによらねえなあ」
「……まあ、それは事実ですが、もっと建設的な話をしましょう」
全員が頭を悩ませたのは、真坂の借金についてだった。証文を見る限り、真坂が死んだ今、その全てが奥さんに降りかかる契約になっている。
「真坂さんに金を貸していたのはどんな奴なんです?」
「須根屋の金吾って奴だな。ろくでなしだ」
「……金吾さんに連絡は? 交渉次第ではどうにかなるかも」
「それがなあ……連絡が取れんのだ」
「須根屋には行ったんですか?」
同心達は顔を見合わせ、渋々といった感じで頷いた。誰もいなかったのだという。
「どうするんですか?」
「どうしようもねえだろ」
顔を突き合わせては、ぼそぼそと話しこむ。誰もこんな重大な――しかも同心の業務とは無関係の――問題の責任など取りたくないのだ。もちろん白鳥だって。
しかし、停滞は破られた。
急に、現場にピリッとした鋭い殺気が走り、烏合の衆が直立姿勢を取ったのだ。
もちろんのこと白鳥も背筋を伸ばした。どうやら医師が、お節介にも報告をしたらしい。
次の瞬間、現れたのは平野だった。彼女と河津、それに中央部の同心三人が現場にやってきて、うだうだ話しこんでいた無能共を睨んだ。
白鳥は顔を俯かせた。平野が近付いてくると、同心達は緊張した面持ちで喉を鳴らした。それほど彼女の眼光は勁烈な殺気を孕んでいる。この一行は足早に彼らの前を通り過ぎようとして、立ち止まった。
「……白鳥」
「番所に帰ったら、人手が足らないと言われたので」
「お前はもういい」
平野が煩わしそうに手を振った。指示を受けた河津が微妙そうな顔で現場から離れるようにと促す。
同心達がぎょっと目をひんむく。白鳥が追い出されるということは、梅津神之助の関連なのだ。彼らは茫然と、揃って若い同心に視線を転じていた。
「……お前達はこちらに集中しろ!」
苛立たしげな平野の鋭い声が飛ぶ。視線がなくなり、白鳥はほっと胸をなでおろした。
「ここからの指揮は私がとる――」
一方で虚しい背中で上司の凛然とした声を聞くしかない。
番所に戻ったところで何をすればいいのか……。思っていると、途中まで後ろをついてきていた河津が、そっと耳元で囁いた。
「親父さんが呼んでたぞ」
「え?」
「店に来いってさ」
その口ぶりに白鳥は眉間に深くしわを刻んだ。けれども反論を許さず、河津は踵を返してしまった。
もはや戻ったところで仕事があるわけでもないなら、気に食わない父に会うしかあるまい。
豆河通りは今日も今日とて混沌としている。その中でも指折りの大店である白鳥屋は、多くの客をひっきりなしに飲みこんでは吐き出している。
その店先に次男坊の姿が見えると、客の応対をしていた番頭が店の奥に声を掛けた。その手際の良さに内心で反感を抱く。
次いで現れたのは見たくもない男だった。
「……兄さん」
白鳥屋の長男だ。跡取りであり、常に白鳥家の全てを独占してきた男である。人はよく二人――父を含めれば三人――を似ていると評したが、白鳥からすれば甚だ心外だ。
これほど悪辣で、狡猾な人間もそうそういないだろう。極限まで細まった目に青白い肌、そして痩せて細い体が意地の悪さを体現している。
「来い」
兄は実に横柄な様子で顎をしゃくり、店の奥へと戻っていった。
白鳥は血走った目で、番頭と、こちらを窺っている客とを睨んだ。その次男坊の剣幕に彼らは視線を逸らし、そそくさといなくなった。
奥の廊下では兄が不機嫌そうに待っていた。そんなに苛立っているのなら、相手にしなければいいのに、と悪態をつきたくなったが、黙って彼のあとに続いた。
通されたのは父親が密談をするのによく使う小部屋だ。
十畳ほどの畳敷きで、建物の奥まったところにある。畢竟、日が届かずに薄暗く、寒々しい印象を与える。そんな場所に父と兄――最も顔を合わせたくない天敵が二人――神妙な顔で腰を下ろしていた。
「座れ」
父が傲然と自分の前を指差した。その態度にもまた反発心が強く生まれたが、白鳥は黙って従い、二人を鋭く睨んだ。
「……単刀直入に言わせてもらうが」
と話を切り出した父は、腕組みをしたまま目を閉じていた。
「お前には同心を辞めてもらいたい」
「は?」
言葉の意味が飲み込めず、しばし口ごもった。その弟の愚鈍な様子に、兄は苛立たしげに舌打ちをし、人を馬鹿にするような薄笑いを浮かべた。
「要するに無駄だと言っているんだ。お前は勝手方の役人だったはずだろう? それには利益があったから続けさせたが、同心はどうだ? やっていることといえば死体の見分や、俺達には関係のない治安の維持だろう?」
「関係ないことはないでしょう?」
兄の言葉に反論したが、聞く耳を持ってはくれないようだ。
「無駄だ。その仕事をしたって、白鳥屋の利にはならない」
「……じゃあ、勝手方に戻れというんですか?」
それでも兄はかぶりを振る。何故お前が仕切っているんだ、と怒鳴り散らしてしまいたかった。隣で頷くばかりの父に苛立ちの矛先を向けると、彼は荘重に口を動かした。
「いいや、違う。お前にはとある商家を継いでもらいたい」
「……」
言葉が出ず、鋭く睨みつける。今度は兄が話を継いだ。
「天野屋という店が港にある。さして大きくもないんだが、店主が高齢でな。跡継ぎを欲しがっているんだ」
「……他の人にやらせりゃいいでしょう?」
「今、天野屋の権利を欲して争っているのは、うちと田舎から出てきたばかりの小さな店なんだ。あの土臭い連中にうろつかれたくない。それこそ治安が悪くなるからな」
そう話す兄の歪んだ顔は自己陶酔に浸り過ぎている。怒鳴ってやろうと白鳥が腰を浮かしかけた時、その機先を制して父が唸った。
「それに、近くで同心が殺されたそうではないか」
「え?」
真坂の件はまだ公表されていないはずだ。だが、父はそっけなく言った。
「須根屋の……金吾と言ったか。あの男が吹聴して回っていた」
「……同心が殺された、と? 真坂という名前の?」
「そうだ。近頃は物騒な事件も多い。お前にはそんな危険な目には合って欲しくない」
その言葉を吐き出す間、父の恬淡な表情が動くことはない。
それが白鳥の逆鱗に触れた。何を殊勝なことを言っているのか。今の今まで一度だって考えたことすらないくせに。都合のいい時だけ口先が良く回る男だ!
他人が見たらおののくほど不機嫌そうに唸り、父と兄を睨み下ろした。二人は瓜二つの露悪的な顔で次男坊を見上げていた。
「言いたいことはいくつもありますが、これだけは言っておきます。……いつまでも僕の人生を振りまわせると思ったら大間違いだ!」
そう啖呵を切って、慌ただしく白鳥屋を飛び出した。