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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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踊る死体⑥

 事件から二日が経った。日を追うごとに白鳥の焦燥感は募り、それと反比例するように河津は冷静になった。

「なあ、そう慌てていたら見えるもんも見えねえぞ」

「大丈夫です。僕の目はちゃんと見えていますから」

 白鳥は、ここ数日寝る間も惜しんで捜査に当たっている。そのためか、目の下にはクマが出来、頬はげっそりと痩せてしまっている。食事も喉を通らないのだろう。

 まあ、正義感の強い同心が一度は通る道なのだが、白鳥の場合は事情が違う。

 大抵の奴は無関係な人間に同情して、そして勝手に絶望を覚える。しかし白鳥は幼馴染を殺されて、それを逮捕しようと奮闘している。気力が続く限りはこのままであろうし、早晩、体調を崩してしまう。

 河津からすれば由々しき問題だ。この魚には、まだ餌を与えたばかりだ。餌代くらいは稼いでもらわなければならない。だから彼は番所の控室へと赴き、そこにいる唯一絶対の主の前で膝をついた。

「白鳥は?」

 この主――平野静は傍から見れば冷淡な女だと思う。職務に忠実すぎるのだ。彼女の正義は法に従って形成されたものであって、彼女自身の思想が割り込む余地はない。

 だが、だからといって感情がないと思うのは大きな間違いで、平野だって人並みに悲しんだり、喜んだりする。

 その鉄面皮を仰ぎ見て、河津は内心でほくそ笑んだ。平野も同じ気持ちであるらしい。前任者は根性無しだったが、白鳥は何とか食らいついている。これを逃す手はないと、彼女も思っていた。

「落ち込んでますな。このままだと潰れるでしょう」

「……で、首尾は?」

「推測で言うことは出来ますがね、証拠がない」

「誰が犯人だ?」

「茂吉でしょう」

「何故?」

 そこで河津は咳払いをし、改めて平野を見た。彼女も同じ意見だったらしい。それで安心して、この髭面の男は口を開いた。

「まずは梯子だ。犯人が使ったというが、見たと証言しているのは茂吉だけ。また、犯人を目撃したのも彼だけです」

 河津は大きく太息を吐いた。

「よしんば犯人が梯子を用意したとして、それだけ周到な人間が何故、凶器を持ってこなかったんでしょうな。その上、人目につかない場所はいくらでもあるのに、店先の土間で殺すなんて」

「……それで茂吉か?」

「あの場にいたのは善一郎とその母親、それに茂吉に丁稚だけです。あれから同心がしらみっ潰しに当たりましたが、逃げていく人影はおろか、歩いていた人間すら目撃されていない。まあ、ひと気のない道ですからね、見つからないようにするのも簡単ですが……」

 河津はそこで額を叩き、その姿勢のままじっと平野を窺った。それこそが平野がずっと考え込んでいることであった。逃げた痕跡がないのなら、犯人はまだその場にいたのではないか、と。

「犯罪者が恐れるのは、自分に嫌疑が向くことです。それが故に饒舌になり、時たま墓穴を掘る。もう少し泳がしてみたいんですがね……」

「同意見だ」

 冷厳な様子で平野が呟く。彼女は手元の資料に視線を落としていた。それが三つ又屋の帳簿であることに気付き、河津は顔をしかめた。

「あれが帳簿から犯人を割り出したことがあったろう?」

「真似事ですか?」

「どうせ分かりきった事件だ。試してみるのにちょうどいい」

「……白鳥に聞かせんで下さいよ」

 河津が呆れた声を上げたちょうどその時、番所の表が騒がしくなった。誰かが襖に体当たりをしたらしく、けたたましい破砕音が響き渡った。

 平野は剣を取って立ち上がり、河津はすでに抜き払って控室から飛び出していた。

「何だ!」

 河津が叫ぶ。すると表の土間で作業をしていた白鳥が情けない声を上げた。

「も、茂吉さん?」

 どうやら三つ又屋の手代茂吉が飛び込んできたらしい。やや遅れて河津が土間に躍り入り、憔悴しきった茂吉に怪訝な顔をした。それからさらに遅れて平野が土間に飛び込んできて、場はやっと沈静の方向へと傾いた。

 白鳥は茂吉の腕を取り、その恐れに包まれた細い体を半ば抱くようにして起こしてやる。茂吉はしばらく怯えていたが、やがて白鳥を認識すると子供のようにさめざめと泣きだした。この思わぬ行動に、第二八番隊の面々は素早く顔を見合わせた。

「と、徳次郎さん……」

 茂吉が怖々と声を上げた。その様子に白鳥は眉をひそめ、しかし邪険にする訳にもゆかず優しい言葉を掛けた。

「何があったんです? 三つ又屋に悪いことが?」

「いえ、いえ、そうではなく、その、善一郎さんが……」

 といったところで、外で強い風が吹き、どこかの桶が転がる音がした。その騒音に茂吉はガタガタと震えて、またしても泣きだしてしまう。

 取り乱す茂吉から視線を離し、白鳥は二人の上司を見た。彼らも首をかしげていたが、その理由はさらに遅れてやってきた丁稚の小僧によって判然とした。

「突然、茂吉さんが騒ぎだして……」

「兆候はあったのか?」

 応対したのは平野であった。この冷厳な女の顔に丁稚は驚いていたが、それよりも茂吉の変貌ぶり方がよほど恐ろしかったようだ。この少年は存外素直に頷いて、茂吉の口からまろび出た言葉をなぞった。

「はい、あの、善一郎さんが生きているって……」

「……そうなのか?」

「いえ、僕には分かりません。手代さんがそう言っているだけですから」

 丁稚が肩をすくませた。どうやら見かけ以上にしっかりとした少年であるらしく、平野は頼もしげに表情を緩めた。

「ただ、時々、変なことを言う人もいて……」

 平野が眉をひそめると、丁稚が身じろぎをした。どうやら職務に忠実な平野の視線が煩わしいようで、河津を見た。

 それでこの髭面の中年男は、出来得る限りの笑みを浮かべて先を促した。

「善一郎さんは二人いるっていうんです」

「そうなのか?」

 今度は河津が素っ頓狂な声を上げた。しかし丁稚はこれには応じず、馬鹿げたことのように首を振った。

「そんなことはありません。時々、無口になることはあっても、善一郎さんは一人きりです」

 丁稚はきっぱりと返す。しかし、その傍らで泣いていた茂吉は、その言葉を否定するように何度も首を振った。

「違う、違う。善一郎は確かに居たんだ。あっしが殺したのに、闇の中に立っていたんだ」

 その言葉に白鳥が目をひんむいた。何を言っているのだ、と声を荒げそうになったが、それよりも早く平野が淡泊な声を放った。

「闇の中?」

「夜だ! どこかに行こうとすると、暗がりから出てきてこっちを見ているんだ」

「幻覚ではないのか?」

「あたしは見たんだ。……ねえ、あたしが確かに善一郎を殺したんです」

「茂吉さん!」

 白鳥が声を上げると、今度こそ茂吉は過呼吸を起こしながら彼の体に抱きついた。口から出るのは、申し訳ない、という謝罪の言葉だけだった。

 放心する白鳥をよそに、平野と河津は視線を交わした。

 他の同心達もこの騒ぎに気づいたらしく、何だ何だと番所の中を覗く。それで平野は顔を上げ、この茂吉を三つ又屋に返すことに決めた。

「この男が嘘を言っていないのなら、今日も出るんじゃないか?」

 平野は冷淡な様子で呟いて、急いで外に出る用意を済ませた。

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