表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第二八番隊  作者: 鱗田陽
207/228

梅津神之助という男⑤

 仕事から追い出された白鳥の行き場は、ほとんどない。

 彼は自宅である長屋に真っ直ぐ戻った。近所の奥様方が随分怪訝な顔をしていたが、彼の蒼白の表情を見れば、今日は仕事が出来る状態じゃなかったんだろう、と察する。

 そんな視線から逃れるようにして家に逃げ込み、万年床となっている布団にごろりと横たわり、しみの出来た天井を見つめた。

 あの男は確かに梅津神之助だったし、自分の感覚に疑いはない。その確信から、明野屋の店主と喜助を殺した人物は別だと言い切れそうだった。

(だけど、何だって僕の前にだけ現れたんだろう?)

 疑問の答えは出ない。

 その晩、河津が帰り道に寄ってくれた。白鳥の事情に、いささか同情的な気分でいるらしい。彼は終始、気遣わしげだった。

「……犯人、逮捕されたよ」

「そうですか」

「神田って荒くれ者だ。二件とも認めた」

「え?」

「明野屋の方も認めたぞ」

 それはおかしな話だが、河津は苦々しくかぶりを振り、これで二件とも終わった、と告げた。……梅津なんて人間はいなかった、ということでお偉方は片付けたようだ。

「奴は梅津の道場に通っていたんだとよ。あの事件には関わらなかったが。というのも、ちょうどその時に、奴の両親に不幸があって、故郷に戻っていたらしい」

 五年前、戻ってきた神田は随分と驚いたのだという。市中を離れていた数か月の間に、師匠も道場もなくなっているどころか、凶悪な事件を起こしていたのだから。

 その後、彼は過去を忘れて静かに暮らしていたが、ある時から資金繰りが怪しくなり、明野屋や喜助から金を借りるようになった。それが積もり積もって返済に困り、二人を殺したのだそうだ。

 随分と単純な事件だ。梅津なんて人間がいなくとも、事件は起きたに違いない。物憂げな白鳥に、河津はふっと表情を緩めて竹の包みを差し出した。

「……ほれ、握り飯。買って来てやったぞ」

「ああ、どうも……でも――」

「無理にでも食っておけ。で、お前、随分面白くないことになってんな」

「はい?」

 渡された握り飯を頬張りながら、白鳥は片方の眉を吊り上げた。

「お嬢が困惑していた。梅津を見たんだって? 他の同心達はほら吹き呼ばわりだったぞ」

 持っていた握り飯を竹の皮に戻し、白鳥は深く溜息をついた。

 口をついて出たのは、ここ二日間のことであった。梅津との邂逅、そして二つの事件だ。

 河津はその話を聞いて、気の毒そうな顔をした。

「まあ、連中の気も分からんでもないがな。当時は酷い有様だったし。一般人の中には、まだ俺達を無能だと罵る奴もいるからな」

「そうですか?」

「お前には覚えがないだろうさ。この五年、俺達が必死に名誉を取り戻したんだからよ」

 その言葉が、何故か白鳥には罵倒のように聞こえた。相手が気を悪くしたのが分かったのか、河津は、この若い同心の肩を叩いた。

「気に病むなよ。皆が皆、疑心暗鬼になっているんだ。いっそのこと奴が姿を現せば、お前への疑いは晴れるだろうよ」

 そう言い置いて彼は帰った。

 先ほど付けた明かりが目の奥を刺し、鈍い痛みを引き起こした。あまりの煩わしさに吹き消し、暗闇の中で握り飯を食べた。

 焦げ臭い、燃え残った火口の臭いをかぎながら、ぼんやりと部屋の隅に目を凝らした。

 脳裏に浮かぶのは五年前の町奉行暗殺の件だ。確かに、記憶に残っている人も多いだろう。特に捜査をした同心達ならば、梅津という名前に警戒する人間もいるに違いない。

「はあ」

 自分のうかつさに嫌気がさす。

 眠気もやって来ず、かといって黙ってボーっとしている気分も霧消し、白鳥はあてどもなく部屋の中をぐるぐると歩きまわった。隣の部屋からは夫婦が盛る音がして、それがより一層彼の孤独を助長する。

 何気なく引き戸の方を見た時だった。

 張り替えたばかりの和紙が淡い光で照らされていた。急に顔が熱くなり、心臓が高く一つ跳ねた。そこに立っているであろう人物に覚えがあったからだ。

 引き戸の向こうで提灯の明かりに照らされていたのは、予想通り梅津だった。

「やあ、こんばんは、白鳥君」

 梅津が笑みを崩さずに言い、白鳥は天を仰いだ。何だって自分の前に現れるのか。平野の前に行って、殴られて土蔵に放り込まれればいいのに。

「まあ、歩きながら話そうじゃないか」

 苦笑する梅津に首を振った。

 けれども彼の、ぞっとするような視線に射抜かれ、体が動かなかった。梅津はそのまま、白鳥の手を引いて外の世界に引きずり出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ