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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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梅津神之助という男④

 梅津神之助の宣言通り、翌日、番所に出勤すると夜番の同心達が勢ぞろいしていた。二日連続の出来事に誰もが疲れ切っている。その中心にいた平野が荒っぽい声を上げた。

「被害者は喜助。ただの違法な金貸しだ」

 どうやら夜のうちに捜査が進められていたらしく、その成果を報告しているところだった。白鳥が土間に入ると不穏な視線がいくつも向けられた。どうやら梅津を目撃したことが周知されているらしいのだ。

「……誰がやったのかは分からん。心してかかれ」

 そう言って夜番の同心を追い出した平野は、目の下に濃いクマを作ったまま白鳥の方に近づいた。

「行くぞ」

 あくまでそっけなく、上司としての態度を取り繕っているようだった。まあ、そちらの方が幾分か心も落ち着くのは事実だ。いつまでもなじられるよりはましだろう。

「あの」

 だが、豆河通りを歩いているうちに気の重さがぶり返してきた。今にも噴火せんばかりの怒りを携えた女上司に、昨晩のことを話さなければならなかったからだ。

「あ、ええと……」

「何だ? 事件に関係のない話なら――」

「いえ、昨晩のことです。梅津とまた会いました」

 その言葉は、本人が思っているよりもずっと滑らかに口からまろび出た。すんなりとした言葉の流れに、平野でさえ瞠目するほどである。

 二人はしばし睨みあったが、どこかの商家から丁稚が外に飛び出す声が聞こえると、どちらからともなく視線を外し、再び足を動かした。

 平野が口を開いたのは、現場のほど近くまでやって来てからだった。そこは長屋が連なる一帯で、白鳥の家からもそう離れていない。

「……入るぞ」

 平野に促されて現場に足を踏み入れる。八畳間の小さな部屋には、すでに医師が到着していた。彼は死体を裸にひんむき、その腹部から胸部に出来た見事な袈裟斬りの傷跡をじっくりと見つめていた。

「……どうだ? その傷は。下手人は梅津か?」

 平野が尋ねると、医師は彼女の方を見もせずに答えた。

「恐らく別人だな」

「何故?」

「踏み込みが甘い。この何某という被害者――」

「喜助だ」

「――名前はどうでもいい。この男が剣術の達人で咄嗟に身を引いたならともかく。死体が示す通り無防備のうちに殺されたのだとしたら、残念ながら殺した人間の力量不足だ」

 白鳥は死体を見下ろした。確かに明野屋の店主の時とは違い、喜助の傷は内臓を僅かに斬っただけで浅すぎる。

 そして昨晩、自分がやったのではない、と梅津は言っていたはずだ。

 白鳥もそれは見抜いていた。ここにあるのは純粋な殺意だ。被害者と犯人が、何がしかの確執の末に凶行に至った、という単純な殺人現場がそこには存在する。

「この喜助という男は、どんな人間に金を貸していたんです?」

 白鳥は周囲を見渡した。部屋の中は雑然としている。喜助はあまり几帳面ではなかったみたいで、証文の類がそこら辺に散らばっていた。

「今、調べさせている……ほとんどがこの界隈の連中だな」

 平野の眼光が煌めいた。それに射抜かれた白鳥はぐっと息を止めた。

 後ろで縛った犬の尾のような髪が微かに揺れた次の瞬間、首根っこを掴まれて壁際に押しやられていた。殺気立つ平野の顔が目と鼻の先にあり、白鳥の膀胱は一段と収縮する。しかも他の視線も集まっている。

「それで、梅津とは何を話した?」

「……何も。彼に、明野屋の事件はどう思うかと問われて、あなたが殺したと思うと答えただけです」

 だが、七傑の一員として五年前を過ごした平野は、そんな答えで容赦してくれなかった。

「他には何を話した? 奴は今まで、どこにいたんだ? 今はどこに潜んでいる?」

「……分かりません」

「何故、尋ねなかった? 追いかけなかった?」

 あの男を前にして、大胆な行動に出られるほど白鳥は強靭に出来あがっていない。

「そ、そんなこと、出来ませんよ……っ!」

 それはもちろん、平野が人一倍承知している。この新入りが自分ほど強くなく、才能に恵まれていないことを。彼の役回りが何かということを。その本分を忘れ去るほどに取り乱していたのだ。頬に一筋の汗が伝い、平野は視線を伏せた。

「……そうだな。すまない。だが、奴のことを思い出してもらわないと困る」

「そんなことを言われても……」

 あの不気味な笑みと、不吉な声くらいしか覚えていない。

 平野は不機嫌そうに口を尖らせた。彼女が抱く最大の疑問は、梅津がどこにいるのかということだろう。というか、本当に彼が生きているのか、と言い換えた方がいいだろうか?

 今のところ、梅津を見たという人間は白鳥だけなのだ。

「……本当に奴が言ったんだな? これは自分じゃない、と」

「ええ、そうです。でも、明野屋の店主は彼が殺したんです」

 白鳥は静かに、されどもはっきりと答えた。平野は頷いて、首を掴んでいた手の力を抜いた。

「分かった。何かを思い出したら言え」

 平野の疲れ切った横顔は苦痛に歪んでいた。

 その顔を見ているうちに、どっと疲労感の呪縛が体に絡みついた。

 急に手足が痺れ、頭がふらふらする。白鳥は直立姿勢を保てず、医師の見習いに体を支えられた。

「……今日はお休みになった方がいいですよ」

「でも……」

 と白鳥がかぶりを振ると、平野は彼の冷たくなった手を取り、真っ直ぐとした迷いのない眼光を向けてきた。

「休め。過ぎたことはいい。気に病む必要もない。だが、今のお前は仕事が出来る状態じゃない」

 まず以って、普段では考えられないくらい、平野は優しげに白鳥の肩を叩き、現場から離れるよう促した。

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