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第二八番隊  作者: 鱗田陽
202/228

平野静と長い夜④

「……」

「……」

 感動的な親子の対面だというのに、平野も神平も仏頂面だった。

 その現場に直面した白鳥は、酒場の入り口で怖々と窺っている神平家の若い武士達に視線を向けて、当事者としてこちらに来いと手招きをした。

 けれども彼らは揃って首を振り、酒場の扉を閉めた。

 その様子に愕然とした。怖々と冬の明け方よりも冷たい空気を漂わせている親子を顧み、そこから一歩でも離れようと身を引く。

「……白鳥」

 だが、憤激のあまり顔を赤黒く染めている平野に掣肘され、その場から逃げることは叶わなかった。

「ええと、何か?」

 とりあえず声を振り絞る。度を越した恐怖に喉が潰れたみたいだ。唾を飲むが、それでさえもあまりの異物感に顔をしかめたくなる。

「何か? ……この状況について説明しろ」

 平野の声はあくまで低く、抑えこまれている。隣で黙々と酒を飲んでいる神平でさえ、その娘の迫力には舌を巻いているようだ。白鳥は正座をした膝の上で拳を握り、そこに視線を落としていた。一筋の汗が頬に伝い落ちた。

「え、ええと、説明と言われましても。目の前の現実が全てとしか……」

「つまり私は信頼を置く部下に裏切られて、この男と引きあわされたということだな?」

 白鳥は無言で口を引き結んだ。

 信頼を置く、とは随分と買いかぶってくれたものだ。妙な感慨が胸に到来し、無表情を保つのに苦労する。

 だが、それを見透かしてか、神平が冷笑するような声を上げた。

「君、随分と頬が緩んでいるな」

「え?」

 白鳥は思わず頬を撫でた。すると神平は酒を勢いよく煽りながら、ふん、と鼻を鳴らした。やさぐれた部分まで、何故か娘に似ているからこの親子は仲が悪いんだろう。

「……騙しましたね?」

「ふふ、どうだか」

 神平は何故か上機嫌に口元を歪めている。その二人の馬鹿げた男達を交互に見て、平野はますます眉間にしわを寄せた。

「……要するに、二人の余興に巻き込まれたわけだな?」

 平野はあまりの怒りにこめかみに青筋を立てていた。その危険をいち早く察して、白鳥はかぶりを振った。

「いいえ、違います」

「違わんだろう?」

 神平が、即座に反論する白鳥に冷ややかな反応をぶつける。きっと睨むが、そこは百戦錬磨のつわものだ。白鳥程度の睥睨では全く動じてくれない。

 平野は憮然とした様子で机に手をついた。立ち上がろうとする彼女に焦り、肩を抱くようにして座り直させた。

 事ここに至った以上は、もはや逃げ場はない。見れば神平も、娘と一緒の空間にいられるというだけで満足している様子なのである。

「ま、まま、まずは一杯」

 白鳥は恐怖のあまり震える手で酌をした。

 平野はまだ何か言いたげだったが、碗を無理やり持たされて酒を注がれた以上、それを置くのも憚られたらしい。

 こちらは不機嫌そうに口を閉ざしたまま、透明の液体を飲み下していった。時折顔をしかめているあたり、あまり旨く感じないのかもしれない。ちなみに白鳥は砂と泥を啜っているような気分だ。

 このままだと殺される。そう直感した白鳥は何くれとなく世話を焼く。そんな彼の腿を抓り――白鳥は二人の間にいたのだ――神平はそっと耳打ちをした。

「……おい、そこからどけ。娘が見えん。それからお前も出て行け……」

「……無茶言わないでくださいよ。明日、この世から出ていくことになるかもしれないんですから……」

 白鳥の額には、異常なほどの脂汗が浮かんでいた。徳利を持つ手は震えているし、平野とはまともに顔を合わせられない。神平はその様子に少しだけ同情心を抱いた。

「……よし、じゃあ、君は酔い潰れろ……」

「……そのあと、どうするんですか……?」

「……どうにかするさ。私は神平家の当主だぞ……」

「……代理の癖に……!」

 もう前も後ろも死の道だ。白鳥は歯をむき出しにして悪態をつき、むっとした表情の神平から目を逸らした。

「あ、ああ! 平野さん!」

「……何だ?」

 一人黙々と酒を飲み、飯を食らっている平野は冷然とした流し目をくれた。その険相に白鳥はますます肝のつぶれる思いをしながら、自分の碗を取った。

「お酒が飲みたくなってきちゃったなあ!」

「勝手に注いで飲め」

「じょ、上司が酌をしてくれたお酒って、三割増しで旨いって言いますもんねえ」

「……どうだか。その男に注いでもらった酒は汚泥のようだぞ」

 その男――つまりは神平だ――は苦々しげに口元を歪めている。それでもめげずに白鳥はせがみ、根負けした平野は溜息をついて徳利を掴んだ。

 もちろん舌打ちと、人を殺しそうな炯眼も込みだ。

(犯罪者は薄暗い土蔵の中で、この顔と対峙しているのか……)

 白鳥は内心で彼らを憐れんだ。そりゃ、何でも話したくなるってものだ。それくらい迫力に満ちているし、激憤する美人ってのはそれだけ恐怖を煽りたてる。

「飲め、好きなだけな」

 平野はそう吐き捨て、溢れんばかりに碗の中を満たした。白鳥はそれを神の生き血みたいに恭しく受け取り、一気飲みした。

 緊張で胃の腑がひっくり返っていたからだろう。

 急に腹の底が燃え上がった気がした。かっと顔が熱くなり、酔いが全身に回る。恐怖という名の毒薬によって、意識が保てなくなり、流星が煌めくよりも速く気を失った。

 先ほどまでけたたましいくらいだった男が、今や机に突っ伏して眠っている。その様子に神平家の親子は呆れた顔をした。

「彼、酒に弱いのか?」

「河津に付き合えるくらいです」

 この時ばかりは平野も唖然として、このあっという間に酔い潰れた部下が死んでいないか、呼吸を確認していた。

「……ええと、君はどうする?」

「何がです?」

「彼を送るとか、帰っちゃうとか、そういうことはないのか?」

「まあ一杯ですから、すぐに起きるでしょう。それまで時間を潰すことにします」

 言いたいこともありますしね、と平野は呟き、不機嫌そうな口元で酒を啜った。

「そうか……」

 この若者を間に挟むと娘も態度を和らげるらしい。神平は息子が死んで以後、娘と交わしたやり取りの数々を思い起こしていた。

 どれもこれも冷戦の産物だ。緩衝材がなくなった刃は互いを傷つけずにはいられなかったのだ。

 それが今、再び同じ空気を吸っている。そういえば以前会ったのも、この若者が指令書を片手に尋ねてきた時だった。

 中々どうして商人の次男も使えるではないか……。

「あなたは帰らないんですか?」

 平野が静かに問うた。先ほどまでの騒々しさは引いていた。今は父と娘、顔も合わさず黙々と酒を傾けている。

「勘定があるだろう?」

 そう呟き、どうやら本来の目的は果たせたようだと神平は胸をなでおろした。

 その後、白鳥が起きるまで――つまりは翌朝のことなのだが――二人は一言も言葉を交わさず、店中の酒を飲みつくしたことだけは事実だった。

 いつも通りの時間に目覚めた白鳥が、酔い潰れた親子を引きずって店を出たこともだ。

「……どうしてこうなったんだろう」

 朝霞の出る中、駕籠の周りで熟睡している若い武士達を蹴飛ばし、白鳥は己の人生を悲嘆した。

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