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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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平野静と長い夜②

「ああ、遅かったな」

 畳敷きの床に置いた座椅子に座り、神平は普段では考えられないほど真面目な顔で書類と相対していた。その様子は仕事をする娘の横顔と重なり、やっぱり親子なんだな、と当たり前のことを思い知らされる。

 そんな生ぬるい視線に気が付いて、神平は怪訝な顔を上げた。

「何だ、その顔は?」

「真実に気が付いて、納得している顔です」

「……何のことか、見当もつかん」

 神平は不満げに鼻を鳴らし、書類をざっとひとまとめにして傍らに置いた。

「いや、今日、君に来てもらったのは頼みがあるからだ」

 その真剣そのものな神平の表情に身が引き締まる。背筋を伸ばし、どんな命令が飛んでくるのかと身構えた。

 神平は眉間に刻まれた深いしわを揉み、疲れの滲んだ溜息をついた。

「実は……」

「実は?」

 前のめりになった白鳥は急かすように言葉を返した。神平は緊張のあまり蒼白で、脂汗でてかてかと輝いている顔を苦痛に歪めた。

「その……娘と一杯飲みに行きたいんだ」

「は?」

「昨日な、七傑の連中と飲んだんだが、どいつも子供と酒を飲むのが楽しいというんだ」

「はあ」

「それで私もやろうかと思ったんだが、考えてみたら、静は私を嫌っているだろうし、素直に来ないだろう? それで悩んでいるのだ」

「なるほど。それで?」

「それだけだ」

「……え?」

 まるで拍子抜けしたと言わんばかりに聞き返すと、神平が口の端を冷淡に歪ませた。

「何かね? 何か不満でも?」

「……いえ、もっと重要な任務でも押しつけられるのかと思っただけです」

「それはつまり、何かね? 私が娘と一献酌み交わしたいという願い事は、下らないというのかね?」

 神平は腹立たしげだ。

 自分が随分と礼に失する態度を取っていることは事実だろう。

 落胆したからといって、神平の機嫌を損ねるのはまずい。例え、平野の初恋騒動で陥れられそうになったとしても……。

(いや、あれは本当に命の危険があった)

 と内心で独語した。平野はそれほど怒り狂っていたし、現にあのあと、河津は拳と木刀で二度とは見られない顔にされた。

 一歩間違っていたら、自分がああなっていたのだ。神平は安全なところから眺めていただけだ。

 反撃したって罰は当たらないだろう。そうに違いない。閻魔だってよくやったと肩を叩いてくれるはずだ。

「ええ、まあ。普通に言えばいいじゃないですか」

 白鳥がそっけなく返すと、それまで冷厳さを保っていた神平が、急に表情を歪めて泣きそうになった。

「それが出来たら!」

 感情的に叫びそうになったが、七傑の当主としての矜持か、すぐに冷静さを取り戻して咳払いをした。

「……いや、悪かった。君に怒鳴っても致しかたのないことだった」

 神平はかぶりを振り、落ち着きなく視線を畳敷きの部屋の中に彷徨わせた。

「出来ないんですか?」

「……む、うむ。昔からあまり反りが合わんでな。顔を合わせれば対立ばかりだった。それをな、もう亡くなった息子が良く仲裁してくれたんだが……」

 神平は一切表情を変えなかったが、それがより一層取り繕った感じを際立たせた。

 確かに、この世でたった一人の実子と相容れないというのは悲劇だ。かすがいを失い、離れた二人が戻るきっかけはもうないのだろう。

「で、どうしろって言うんです?」

「うむ。楽しいかどうかはさておき、娘と酒が飲みたい」

「……」

 言葉を失った。

 残されたただ一人の娘と飲みたいというよりは、他の七傑のお歴々に先を越されて苛立っている、というのが正しいのだろう。

 不機嫌そうに目をすがめ、口を尖らせるさまも、どことなく平野に似ていた。

「……で、僕に何をさせる気です?」

「それを考えるのが君の役割だ。我々が酒を飲んでいてもおかしくない状況を作り上げろ」

 白鳥は再び絶句した。それは犬に言葉を話せと言ったり、魚に空を飛べと言ったりするようなものではないだろうか。

 嫌がる平野を酒場に連れていくのは骨が折れる。長い付き合いである河津でさえ、十回に一回成功するかどうかというところだ。

 それでも気の置けない仲間だからついてくるのであって、その場に嫌いな父親の姿があったら確率という言葉を使うことさえおこがましい。海に種をまいたって、作物は育たないのだ。

 白鳥は、こめかみを揉み、そっと呟いた。

「例えば、平野さんと酒を飲んでいると妄想するだけで終えるというのはどうです?」

「……どういう意味かね?」

「ほら、目を閉じて記憶の中にいる平野さんと、お酒を飲むってことです」

 自分でも何を言っているのかは分からないが、自分の心が叫んでいるのだ。この仕事は危険だ、と。ただでさえ嫌がる平野と神平を引き合わせるのは自殺行為な気がする。

 そんな打算的な考えを見透かしたのか、神平は疑わしげな顔をした。

「それに意味があるのか? そもそも静と酒を飲んでないし」

「いや、でも、無理ですし。そのうち平野さんを飲みに誘いますから、離れたところで飲めばいいんじゃないですか? ……この屋敷とか」

「……それ、何も解決していないだろう?」

 白鳥は髪の毛を掻きむしった。髷が乱れるが、そんな物は気にしない。

「でも、今、神平さんが言っているのは、血に飢えた虎を素手で捕まえて来いってことと同じですよ?」

「そこまで難題じゃないだろう? 静は、ああ見えてお淑やかなところもあるぞ」

「……いつの話をしているんです?」

「ううむ、ざっと十五年前だな」

 六歳かそこらの平野なら、確かに可愛らしい部分もあるだろうが、二十歳を超えた今は違う。本当に腹を空かせた猛獣とほとんど変わらない。こと父親が絡むと。

 このおっさんは、どうやらあまりにも娘と顔を合わせていなくて、時の流れの中に置いてきぼりにされたらしい。

「それなら十五年前の平野さんを連れて来て下さいよ。そうしたらお誘いしますよ」

「それが出来たら、今頃この家にお淑やかな娘が一人増えておるわ!」

「じゃ、無理です」

 白鳥は話を切りあげて立ち上がった。

 神平はその様子に呆気に取られていたものの、すぐにまた泣きそうな顔になった。初老のおっさんの泣き姿など見たくもないから、白鳥は口を真一文字に引き結んで踵を返した。

 部屋の引き戸を開ける。

「う……」

 そこで足を止めた。部屋の前の廊下では神平家に仕える若い武士達が座っていたのである。ざっと三十人くらいだろう。皆、潤んだ目で白鳥を見ていた。

 廊下を埋め尽くすほどの人に、白鳥はますます顔を引きつらせた。

 そして、彼らが正面の玄関口から招き入れた理由も分かった。神平の私室から最も遠い場所にあるからだ。

「……そんな目で見られたって無理なものは無理ですよ!」

 白鳥は半ば叫び、武士達を掻き分けてその場から逃げだそうとした。

 けれども鍛え上げられている彼らは、まるで地獄の餓鬼の如く、白鳥の体にまとわりついて何とかしてくれ、と喚いていた。

「無理です。無理無理無理! 平野さんを説得するなんて無理!」

 白鳥は今度こそ喉の限り喚き、男達を押しのけて中庭から脱兎のごとく逃げ出した。

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