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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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踊る死体⑤

 事件翌日の晩のことである。

 手代の茂吉は一杯ひっかけるために三つ又屋の勝手口から通りへと出た。

 彼はここ三十年ばかり、この店に住みこんでいる。いわば他人の家に間借りしているようなものだから、女を連れ込むことも出来ないし、自由に酒を飲んで騒ぐことも出来ない。

 こうした窮屈な生活を続けるのは彼自身の資質の所為なのだが、店を持つほどの解消は無いのだから仕方があるまい。だから忠実に三つ又屋に尽くしてきた。

 にもかかわらず、現状をひっくり返すような事件を起こしてしまった。

 昨晩、善一郎と最後に会ったのは、この茂吉である。

 二人とも、三つ又屋を発展させようという意識はあったのだが、その手法に大きな相違があり、その件について深く話しあったのだ。

 善一郎はまっとうに事業を拡大しようとし、茂吉は賄賂で役人の御用を得ようとしたのであった。

 どちらも結局は店の拡大に繋がるのだが、その過程を次期当主――であり現在手腕を振るう――善一郎が嫌ったのであった。

 それにしても、と思うのは、この善一郎の本意である。

 確か三日ばかり前に話した時は、むっつりと黙りこんだまま頷いたくせに、たった数日置いただけで賄賂を激しく嫌うような立場に変貌したのだ。それさえなければ、茂吉が全て場を整えて、三つ又屋のために粉骨砕身する気でいたのに。

 あれはほんの些細な衝動だった。

 蔑むような善一郎の視線に耐えきれず、近くにあった金槌で彼を殴りつけた。光を失った善一郎の目に、憔悴した自分の姿が映っていたものだから、執拗に何度も金槌を振り下ろしてしまった。

 やり過ぎた――正気に戻った時、土間にへたりこんだ茂吉は直感した。ここまでやらずとも善一郎は死んでいた。

 だが、殺してしまったあとは冷静に素早く思考を切り替えて、納屋に積んであった梯子を立て懸け、裏庭に出て声を張り上げたのだ。

「それにしてもあの梯子、盗んできた割には良い物だったのにな……」

 事件の証拠だからと町奉行所に持って行かれてしまった。

 それだけが悔やまれるが、悔やんでも仕方がないだろう。あれを犠牲にするだけで嫌疑が晴れたのだから。それにしても白鳥屋の次男坊は随分と扱いやすい、と手練手管に長けた茂吉はほくそ笑んだ。酸いも甘いも知らぬ甘えん坊は騙しやすくて助かるのだ。

 そうして声を押し殺して笑っていると、遠くの影がうごめいたような気がした。

 茂吉は慌てて足を止め、提灯をかざした。明かりもない夜道のことであるから、それだけでは何も見えない。そのため茂吉は、警戒心たっぷりにその影に近づいていった。

「おい、誰かいるのかい?」

 この時、風が吹き、遠くの柳の木が揺れ、葉が重なる音がした。茂吉は、ひっと息を詰め、しつこく蔓延る影に目をすがめた。

「おい、馬鹿やってんじゃないよ。どこの餓鬼だ?」

 闇を窺うようにさらに近づいていく。どこかの悪戯好きが、からかっているのだと思い込んでいた。

 しかし、そうした彼の楽観主義は脆くも崩れ去ることになった。

 影に充分近づき、もう一度提灯を掲げたところで茂吉は動きを止めた。

 その光に照らされた人物を認識すると、夜の静謐をつんざくような悲鳴を上げて、その場から逃げ出した。

 彼は提灯をその場に捨てて、元来た道を戻っていく。

 息をせき切らし、足がもつれて倒れ込むが、しかし立ち止まってはいられない。

 何度も転がり、砂にまみれながら三つ又屋の勝手口をくぐった。そこにいた丁稚が驚いた顔をしていた。茂吉は激しくうろたえながら、この少年に水を持ってくるようにと命じた。

「まさか、ちゃんと殺したはずだろう」 

 茂吉は頭を抱えた。厨房の隅っこで子供のようにがたがたと震えながら、あの闇の中で見た顔をもう一度思い返した。

 あれは紛れもなく善一郎だった。

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