出来の悪い殺人①
その晩、白鳥徳次郎が辞令を受け取ったあとのこと、彼の転属先である市中西地区見回り同心第二八番隊が所属する番所では、二人の男女が額を寄せ合って話しこんでいた。その間には小さな行灯が置かれていて、夜の闇を僅かばかり照らしている。
本来〝番隊〟と呼ばれる小組織は、三人の同心によって形成される。それが第二八番隊では、根性無しの新人が逃げたおかげで二人に減じているのである。その原因の一端である女の方――平野静は眼前にいる古くからの部下を睨んだ。
「河津、そいつは使えるんだろうな?」
平野の声は冷たく、そして恐ろしい。河津と呼ばれた中年の男は、より一層精悍さを増した主の目を、しっかと覗き込んだ。
「ええ、たぶん」
「たぶん?」
「何でも、あの白鳥屋の次男だそうですから」
河津が口の端を歪めた。
彼らの勤務地である市中西地区は、大きな港を内包しているために多くの商家が連なっている。また、貴族や武士の蔵屋敷が並んでもいるし、もちろんのこと豪農や豪商の屋敷もある。市中屈指の大通り――豆河通り――には、遠く北から流れる豆河の両岸に二百軒ほどの商家が肩を寄せ合って存在している。
その内でも白鳥屋といえば、質実剛健な家風で、良質な商品が並ぶ万問屋として有名だ。市中の流通経済を代表する役柄に就いたこともある、信用のある家柄なのだ。
そこの次男坊ということは、多少は根性があろうし、なおかつちょっとした脅しをかければ、同心を辞められないように仕向けることも可能である。白鳥屋には跡取りがいる。丁稚奉公もしていない次男坊を、置いておく余地などどこにもないのだから。
「……まあ、新人教育はお前に任せる」
平野は嘆息して、胡坐を掻いた膝で頬杖を突いた。二人は今、勤務中の同心達が控える番所にいた。第二八番隊も同心の群れであるから、何か突飛な事件でも起こらない限りはこうして番所で暇を弄ばねばならない。見回りをするのも仕事の内だが、一日中するわけにもいかないのである。
と、その時だった。市中の見回りをしていた同心と、その部下である目明しとが番所に飛び込んできたのである。夜だというのに提灯も持たず、身一つで番所の土間に転がった。
「誰か、誰かいませんか?」
と目明しが喚き立てるものだから、不機嫌そうな顔をした平野が番所の奥から顔を覗かせると、小心者の彼は顔を引きつらせて気を失った。代わりに、息をついた同心が平野の足元に縋った。
「ああ、平野さん。大変なんです。強盗殺人が起こりました」
一にも二にもなく平野が後ろを振り返ると、河津が二人分の刀を持って駆け寄ってきていた。
「じゃあ、行きますか」
この河津という男、長年平野に仕えているだけあって、随分と気が利くのである。彼女の分の草鞋まで用意をすると、彼自身は迅速に番所の外に出た。と、そこである事実に思い至って、中に戻ってきた。
「どうした?」
平野が怪訝な顔をすると、河津はちょっと困った顔をして書置きを残す。それは、これから来るであろう白鳥徳次郎に対する指示書である。とにかく事件現場の住所を書いておけば、よほどの馬鹿でない限りは来られるはずだ。
こうして三人の同心は、気を失った目明しを残して現場へと向かった。豆河通りの外れにある、小さな金物問屋で事件は起こった。