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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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偶像信仰⑤

 夜もふけ、蝋燭代をけちる家族が就寝しようという時刻。

 つい先ほど西部に行っていた同心が戻ってきた。朝方に殺された死体の方が利吉だったようだ。二度も死体を見させられた男は、夜道を戻る気にもならず、宿を取ったという。

 そして哀れにも夜中に呼ばれた、あの一家の男は、金渡屋で見つかった死体が左平次だと断定してくれた。

 これで二つの死体の身元が判明したわけだが、それがより一層混乱を助長した。

 外に出ると欄干が頭上を覆っている。

 白鳥は田舎くさい漁村を駆けずり回ることになった。死んだ三人について知っている人がいないかどうか、確認しているのだ。

「ええ、金渡屋に出入りしていた人物について、何かご存知ないですか?」

 大抵の家の人間は、もう寝ようという頃で、白鳥の訪問を快く思っていない。あからさまな居留守を使う家もあるし、よしんば出たとしても汚い言葉で罵られることもある。

 それでも、中には快く捜査に協力してくれる家もあった。

 とある漁民の屋敷では中へと通され、夜の浜風が吹きつける縁側に座らされた。

 国から課せられる海上での仕事――難破船の救助や往来する船の調査などだ――をやるような家柄だそうで、古くから市中の近くに住んでいるらしい。

 彼らの多くは夜にも仕事がある為、一晩中誰かが起きているのだという。

 疲労感に包まれた白鳥の体は火照っていた。夜の冷たい風が肌を撫で、高ぶった気を抑えてくれる。やがて、その屋敷の主が急須と茶碗を持って戻ってきた。

「白湯で申し訳ないんですが……」

「いえいえ、お気づかいなく」

 白鳥は愛想の良い笑みを浮かべてかぶりを振り、白湯に口をつけた。さすがに、ただのお湯を供するのも憚られたのか、微かに塩漬けの桜の香りが付けられていた。

「それで、利吉や彼の顧客のことを聞きたいんです」

 白鳥は茶碗を自分の傍らに置き、視線を向けた。海の男らしく褐色の肌で、顔には深いしわが刻まれている。恐らくは五十代だろう。その肉体は鋼の如く鍛えられ、動作の一つに至るまでよどみがない。

 男は蝋燭の様子を確かめ、白鳥の方に顔を向けた。

「……利吉は不運な男でした」

「はあ」

 話によると、この男は利吉の父親と知己であったという。

 父親が早くに亡くなり、利吉は十代半ばで店を継ぐ羽目になったのだそうだ。それゆえ、彼は本来溌溂に過ごせたはずの時間を傾きかけた薬種問屋に捧げたのだという。

「私も随分と手助けをしましたよ。十五年以上かけて、やっと経営が安定してきた」

「何故、安定したんでしょう?」

「大口の取引先が出来たと言っていましたよ」

 男は利吉の不運にいくばくか、憐憫を寄せているようだった。本当なら結婚をして、子供を作っていたっておかしくはない。父親が健在だったなら、田舎の薬種問屋よりももっと報酬のいい場所で働けたかもしれない。

 そういう可能性を全部失って、彼は苦しみの中で生きていた。そこに光明が差した途端に死ぬなんて……、というのが彼の言い分だった。

「取引相手は誰でしょう?」

 白鳥は段々と冷静になってきていた。男の方はまなじりに浮かんだ涙を拭った。月光を浴びて微かに光っていた。

「詳しいことまでは。でも、利吉と客の間を取り持ってくれる男が仲介してくれたと言っていました。彼のおかげで仕事も増えた、と。確か、左平次と言ったはずです」

「どんな男なんです?」

 白鳥は茶碗を啜りながら尋ねた。男はそこで眉を吊り上げ、左平次という男への呪詛をいくつか述べた。

「どうでしょう。私の目には詐欺師のようにも映りましたが。左平次の手引きで取引をし始めた男も、それほど羽振りの良い仕事をしていたとは思えませんでしたし……」

「……その男、伝七という名前では?」

「さあ? でも、利吉の店に良く来ていました。大きな荷車を引いて戻っていくんです。ああ、そう。そんな名前の人でしたね。昨年は花火を打ち上げてくださいました。確かに伝七と名乗っていたように思います」

「利吉も彼の作業場に行くことが?」

「ええ、左平次を通さない方がいいと気付きかけてはいたみたいですから」

 白鳥は静かに一つ頷いた。

 男に見送られつつ屋敷を出る。その正門をくぐったところで、振り返ってもう一つだけ、と質問を重ねた。

「梅津神之介という名前に心当たりは?」

「いえ、ありません」

「じゃあ旗はどうでしょう。梅の木に二振りの刀が交差する紋様が描かれているんですが」

「梅の木に、二本の刀が交差、ですか……」

「ええ」

「……それかは分かりませんが、利吉は少しだけ悩んでいるようでした。村の、江という娘によく愚痴をこぼしていたみたいですね」

「江さん、ですか?」

 男は頷いた。どうやらそこに至るまでにも悲恋の物語があったそうだが、まあ、今はそんなことは関係のない話だ。白鳥はもう一度頷き、左平次が死んでいた薬種問屋へと戻った。

 そこでは平野が仁王立ちしていた。寝不足でいつもより目つきが険しい。

 その顔でずっと睨まれていた河津は居心地が悪そうだった。どうやら成果は芳しくないみたいだ。反面白鳥には報告することがあった。平野の炯眼も僅かに緩み、ほっと胸をなでおろす。

「というわけで、明朝、江さんという女性のところへ行きます」

「分かった」

「それから同心をもうひとっ走りさせてください。金渡屋で殺されていた左平次が二人の間を取り持っていたみたいです」

 平野は静かに頷いた。哀れな同心はその夜のうちに、まさか市中の西部を二往復もする羽目になるとは露ほども思っていなかったようだ。

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