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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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偶像信仰③

 資料を読み終え、白鳥はこめかみを揉んだ。

 事件が起こったのが五年前だというから、多くの同心にとってみればまだまだ脳裏にこびりついている事件なのだ。平野や河津にしたって、神平が町奉行になった以上はそういう危険性があることを自覚していたに違いない。

 あの紙きれが誰の手によるものなのかはともかくとして、同心達の心をけば立たせたのは事実だった。

「ん?」

 資料の隙間から落ちた紙の切れ端に眉をひそめた。

 梅津が神の国の象徴として描いた意匠の記録である。満開になった梅の木の前で交差する二振りの刀。信者の一人が描き、梅津は愛用したとされている。それを頁の間に挟み直して資料を片付けた。

(それにしても、梅津の人相書きがなかったな……)

 片付ける間にも、もう一度資料を振りかえる。

 けれども、これほど騒がれた事件だというのに、梅津の身体的特徴等の記述はどこにもなかった。一種の不自然さは感じたものの、もう死んだ人間のことだ。あってもなくてもそう変わらないだろう。

 しかし、時間が空いてしまった。鬱蒼と茂るような背の高い棚の群れは、突然喋り出すわけでもなく、辺りに静寂を与えている。埃っぽい空気が停滞している。しかも日も差さないから肌寒い。

 平野達は一体、どこで何を話しているのやら。首をかしげていると、資料室の扉がけたたましく開いた。その音で河津が開けたんだろうと分かる。

 ほっと胸をなでおろして入口の方に向かうと、平野もいた。他の同心達は慌てた様子で板張りの廊下を駆けていた。

「何かあったんですか?」

「爆発事件だ」

 平野は冷厳な表情を崩さずに言った。それを聞き、白鳥はぐっと喉を鳴らした。

 心臓が高く跳ねたのは、今しがた梅津の事件を調べていたからだろう。朝の事件のこともあるのか、他の同心達の間にも緊張が走っていた。呑気な顔をしているのは、ここ五年のうちに同心になった若者ばかりだ。

「とにかく行くぞ」

 と緊張した面持ちで河津が急かし、三人も勢いよく町奉行所から飛び出した。

 先を行く平野の背中は緊張のあまり強張っている。いつぞやの初恋騒ぎの時以上に。手を握る雰囲気ですらない。拳を握ってみれば自分の指先だって冷たかった。

 神の国事件もそうだが、梅津神之助は町奉行を執拗に狙っていた。悪戯の可能性が高いとはいえ、その名を出されてよい気分にはならないだろう。それに仲が悪いといえども父親だ。死ぬのも寝覚めが悪いに違いない。

 そんな不遜なことを思いつつも白鳥の足は止まらなかった。

 辿りついたのは中央部の外れの方にある、うらぶれた花火職人の店だった。辺りはどちらかと言えば農地が目立ち、その花火職人の店から僅かに離れたところに建物がいくつか建っているという感じだ。

「あ……」

 その現場を見た途端、白鳥は唖然とした。爆発の衝撃が一目で判然とする。

 花火作りの作業場だった建物はほとんど跡形もなく崩れ落ちている。離れたところに建っていた建物も、壁が丸々無くなっていたり、屋根に穴が空いていたりした。

 同心達は瓦礫に近づき、生き埋めになった人はいないかと声を上げていた。むせるほど煙たい現場はあっという間に沈黙で満たされ、誰もが耳を澄ませた。

 やがて一人の同心が首を振ると、現場にはほっとした空気が流れた。死人しかいないのなら救助を急ぐ必要はないというわけだ。爆発した作業場近くの店主達が現場を見て悪態をついていた。

「うわぁ……この前建て直したばっかりだってのによお」

「お気の毒さま。うちだって今晩の寝床と仕事場、どうすっかなあ」

 顔を寄せ合いながら話しこんでいる。河津が何か言いたげにしていた。彼らの主張におおむねの同意が出来る白鳥は、眉間にしわを寄せながら、じっと現場を睨み、そして崩れ落ちた建物に近づいた。

「おい、危ないぞ」

 という同心や店主達の忠告を無視して、白鳥は粉々になった木材を見つめた。

 ぷん、と卵の腐った臭いがする。朝方、それを嗅いだばかりである。そのことに気付いているのは市中西部の同心――つまりは第二八番隊の三人ばかりだ。あとは皆、中央の奉行所本体に勤める連中で、あの斬殺事件の現場にはいなかった。

 何故だか、不思議な違和感があった。白鳥は顎先を撫でながら崩れた家の前を行き来した。そのうち火消の連中がやってきて家を解体するだろう。その時に確かめればいいのだが……。

「ん?」

 白鳥が不意に怪訝な声を上げた。

 すると同心達がわっと近づいてくる。白鳥を現場から引き離そうというのだ。辺りにはまだ異様な臭いが立ち込めているし、二度、三度と爆発が起こらないとも限らない。

「いやいや、ちょっと待ってください」

 白鳥はそう唸るように言い、崩れた作業場の一角を指差した。同心達が揃って指先の向いた方向を確認し、目をすがめた。

「あそこ、人の手がありません?」

 白鳥が呟くように言う。同心達はぎょっと目をひんむき、恐る恐る近付いていった。

 結果から言えば白鳥の言う通りだった。潰れて落ちた屋根の下に人の手がだらりと伸びていた。一見して絶命しているだろうと分かるほど傷だらけだ。

 同心達が怖々と瓦礫を取り除くと、すぐに男の死体が外気に晒された。近くにいた店主の一人に顔を見せ、その死んでいる男が花火職人の伝七であることを確認させた。

「ああ、夢に出そうだよ」

 死体を見た店主がかぶりを振った。白鳥はその肩を叩き、慰めるように言った。

「じゃあ、奥さんに慰めてもらうんですね」

 すると店主はもう一度身震いをした。

「馬鹿を言え、そっちの方がよっぽど悪夢だ」

 まるで根菜を引き抜くが如く、死体が引きずり出された。中央部で診療所を開く医師がやってきて――齢八十越えの老人だった――死亡を宣告する。彼は人目も憚らず伝七の死体から服を剥ぎ、体の傷をじっくりと観察している。

「ははあ……随分と死体が傷だらけですなあ」

 そんなことをぶつくさ言っている。医師ってのは頭がおかしくないと出来ないのだろうか。白鳥が首を捻っていると老医師が気になることを言った。

「ただ、この傷は……うーむ」

「何か?」

 白鳥が尋ねる。すると老医師は嬉々とした表情で、死体の腹についている傷を指差した。肩から腹に掛けて、真新しい刀傷のような物がある。

「この傷だよ。瓦礫に押しつぶされてついたんじゃないなあ。何か鋭利なもので斬られているみたいだ」

 眉を寄せている。途端に同心達が目の色を変えて、寄り集まった店主達に話を聞きに行った。白鳥も、もう一度潰れた作業場に近づいた。何かないかと思ったのだ。

 そして彼は不幸にも見つけてしまった。

「平野さん」

 上司を呼ぶ。冷徹な顔をした上司が隣に立ったところで、白鳥は瓦礫の一部――死体を引き上げたことで新たに見えた部分だ――を指差した。

「……あれ」

 その指の先が指示したのは焼け焦げた布きれだった。ただしそこに描かれている物が問題で、一本の梅の木の前で二振りの刀が交差した、特徴的な図柄であった。

 二人は恐る恐る顔を見合わせた。中央の同心達と話しこんでいる河津を放っておき、白鳥は近くの店に聞き取り調査に向かった。

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