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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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嘲笑する男⑤

「分からないのは――」

 と白鳥が呟いた。二人は夕暮れの中、番所への帰路についていた。朱に染まった豆河通りは、昼間の喧騒を忘れたみたいだった。河津が胡乱な視線を向けてくる。白鳥は肩を落とし、小さく溜息をついた。

「――あの情婦ですよ。熊蔵を殺したって割には、凶器があらぬ場所から見つかっています」

「まあ、なあ。誰かをかばっているんじゃないか?」

 かばっている、ねえ。と白鳥は内心で思案する。そんなことがあり得るだろうか。

 と、思っていると、通りの隅の方が急に騒がしくなった。良く通る甲高い声だ。その声を聞き、白鳥は鼻の頭にしわを寄せた。

 道の一角に人だかりが出来ている。その中心に立っているのは清右衛門であった。

「皆様! 皆様! お騒がせして申し訳ありません。熊蔵、熊三郎親子は、瓦版が報じている通り、不慮の死を遂げました。彼らは卑劣な女の情念によって死への道を歩かされたのであります」

 清右衛門はそんな口上から、次々と言葉を繰り出した。我々はこのような行為には負けない、熊蔵、熊三郎親子の無念を晴らす為にも劇を成功させたい、劇は予定通りに行なう、というようなことだ。

 その言葉を聞き、白鳥は閉口した。河津の方も同様な気分だったようだ。主役が二人も死んだというのに、劇の予定に穴が空かないのはいささか不自然に過ぎる。

「どう思う?」

「……あの情婦のことを知っている人間を探しましょう。役者関係から当たりますよ」

 河津は小さく頷いた。二人は清右衛門のキンキンとうるさい声から逃れるようにして、熊三郎の交友関係を探った。

 すぐに何人かの友人に当たった。彼らの多くは熊三郎の女癖に辟易しているようだった。

「だから止めておけって言ったんですよ」

 というのが大体の意見のようだ。熊三郎は手当たりしだいに女を漁っていた、というのが大方の見方だった。

 だが、そんな中で熊三郎と幼馴染だった役者仲間の男は、彼の生活ぶりは想像とは違うと述べた。

「あいつは女をよく選んでいましたよ。現に、今回の一件以外であいつに悪いようにされたって女はいないでしょう?」

「まあ。その一件が随分と悪質なんですがね」

「それも、私は疑問です。本当にあいつの子供だったんですか?」

 白鳥はかぶりを振った。正確に調べる方法はない。熊三郎の幼馴染は、それならば自分がその女を確認すると協力を申し出てくれた。

 日が西に沈む中、三人は急いで番所へ戻った。

 土蔵の中で、熊蔵を殺したという情婦は苛烈な取り調べを受けていた。具体的には無言の平野がずっと睨み続けていた。

 白鳥は取調室を見渡せる覗き穴に案内し、その女の顔を見てもらった。

 熊三郎の幼馴染は情婦の顔を見て、素っ頓狂な声を上げた。

「あの……彼女が殺したって言ったんですか?」

「ええ、その通りです」

 白鳥が頷き返すと、その若い役者は首を捻った。

「ありえませんよ。彼女は女優です」

「それと殺しに何の関係が?」

 若い役者は肩をすくめて言った。

「熊三郎は同業者に絶対手を出しませんでした。理由は簡単です。あとあと面倒になるから。私や彼は、昔からこの世界に触れてきましたから。同業者同士のいさかいが、どのような結果に繋がるのか充分に理解していました」

「……なるほど」

 白鳥は呟き、その取調室の中に入った。

 平野と情婦が揃って視線を向けてきた。白鳥はその二組の双眸にいささか動揺しつつ、上司の隣に腰を下ろした。

「さて、あなたのことを聞きたいんですが」

 と白鳥が言うと、自称情婦は溜息をつき、呆れたようにこれまで繰り返した生い立ちを語った。けれども白鳥は取調室の小さな机を指で叩いて、その口ぶりを止めさせた。

「嘘は結構。あなたのことは大体分かりましたから」

「はあ」

 自称情婦は怪訝な顔をしていた。それで白鳥は合図を出して、熊三郎の幼馴染を取調室の中に入れた。その途端に女の表情が一変した。

「話してくれますよね?」

 白鳥はあくまで優しくそう問いかけた。

 ここまでくれば彼女の魂胆は分かりきっていた。取り調べで恭順するふりをして、いざ町奉行所に引き立てられたら証言を変える。実際、彼女は人を殺していないわけだから、何かしら言い逃れる手段があるのだろう。

 自称情婦は恐怖に満ちた目で若い役者の顔を窺っていた。彼からすれば兄弟のような間柄の熊三郎を殺されたわけだから、思わぬほど厳しい表情を浮かべていた。

 この女は散々逡巡したものの、最終的に平野が机を叩くと、面上に汗をびっしょりと掻きながら、血の気を失った青ざめた顔で呟いた。

「……清右衛門さんに、必ず助けるからと言われました」

 その言葉から始まった女の話は、実に冗長で聞くに堪えないものだった。

 本当に女優かと思うほど声に張り合いがなく、しどろもどろで、ともすれば二度も三度も聞き返さなければならないほどだった。

 要するに売れない女優だった彼女は、清右衛門に仕事をやるからと言われて大金を貰い、あの事件の晩に熊蔵の殺害現場に向かったのだという。

 そこではすでに熊蔵が死んでいた。彼女は、あの料理屋の店主に呼ばれて、初めて現場に入ったのだそうだ。

 そして捕まったあとはもちろん白鳥の予想通りで、彼女の潔白は疑いようもないのだから、せいぜい番所の中で疑われるような行動に終始すれば良い、と言われたそうである。

「それで、熊蔵を殺したのは誰です?」

 白鳥が問うと、女は急に怖気づいたようだった。けれども平野がもう一度机を叩くと、何度かえずいたあとで、ようやっと言葉を吐き出した。

「あの店の御主人です。く、熊蔵さんの小刀を盗んで、それで、刺したって」

 女は今にも泣きそうだった。事実を口にして、改めて自分の罪に考えがいったのかもしれない。

 どう考えても彼女の女優人生は幕を閉じていた。殺人の容疑者で、なおかつ悪質な証言を繰り返すような人間を雇おうと思う人はほとんどいないだろうから。

 あとのことは平野に任せた。白鳥は熊蔵の腹に突き立てられていた小刀を片手に、あの酒場へと足を運んだ。

 その薄暗い店内のせり出した調理場で、店主は澱みなく仕事をしている。その手さばきが、今では汚らわしいもののように見えた。

「ああ、どうも」

 店主が気さくな笑みを向けてくれた。白鳥も取り繕ったような笑みを返し、彼の眼前に小刀を掲げた。

「これに見覚えは?」

 と白鳥が問うと、店主はいささか困惑した様子だった。河津はさっと厨房の方に回り、店主の腕を縄で縛りつけた。

「あの、これは……」

「熊蔵と熊三郎を殺害した罪は重いですよ」

 店主が目をすがめた。けれど彼が言葉を継ぐ前に、白鳥はぼそりと呟いた。

「清右衛門も同じ所に送ってやりますよ」

 そのまま白鳥は酒場を出て、あの小劇場へと足を運んだ。道中で別の同心達と合流し、一気呵成に清右衛門まで逮捕した。

 最初に口を割ったのは店主の方だった。彼は清右衛門に裏切られたのだと勘違いしているようだった。それによれば熊蔵を殺したのは確かに彼自身だったそうだが、熊三郎を殺したのは清右衛門だったという。

「あの晩、通報を遅らせた理由は?」

「清右衛門さんに頼まれたんですよ。瓦版の記者が集まれるように、って」

 全ては清右衛門の劇を成功させる為の罠だったのである。

 まんまと術中にはまり、不運な親子は殺された。それらの事実を以って清右衛門を問いつめると、彼も同様の供述をした。

「身勝手な人ですね、あなたは」

 白鳥が吐き捨てた。脳裏には熊蔵と熊三郎の顔がちらついている。

 似た者同士で反目しあってはいても、役者としてこれからも生きていくはずだったのだ。その人生は奪われた。親子が分かりあうチャンスさえも。

 何か思うところがあったのか、平野は土蔵に備え付けられている木刀で、清右衛門の背中を打った。それも一度や二度ではなく、十度も。

 清右衛門は金切り声を上げ、痛みに耐えて頭を前後に激しく振った。

「こうする他なかったんだ。あの劇は成功させなけりゃあならなかった。あの女さえ喋らなければ……」

 清右衛門は背中に走った激痛で顔を真っ赤にしていた。その面上は苦痛で歪み、平野の折檻から逃れるようにして何度も身をよじっている。

 だが、木刀の唸る音は全くとどまらなかった。

 それこそ河津が止めるまでだ。止められた時、平野は汗みずくで、柄にもなく息を切らしていた。

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