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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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嘲笑する男④

「はあ……そうですか」

 宿へとやってきた白鳥は、早速女将にその遺書と署名を見せた。熊三郎の死にさして驚かなかった彼女は、何度も矯めつ眇めつ、紙きれを遠ざけたり近づけたりして、深々と溜息をついた。

「ああ、こりゃ、別人のもんだねえ」

 そう言い終えるなり店の裏手に向かい、女将は宿泊台帳を持ってきた。その頁をいくつかめくって熊三郎の署名を見つけると、誇らしげに指差した。

「ほら。この人、字が汚くてねえ」

 女将はしみじみとした口調で呟いた。白鳥と河津は顔を見合わせた。チラシに書かれた署名と台帳に書かれたそれは同一だと言い切れそうだった。反面、遺書に書かれていた熊三郎の名は明らかに違う。

「……河津さん」

 白鳥は思わず相方の名を呼んでいた。河津の方も三つある熊三郎の署名に視線を釘づけにしていた。

「……お前の予想、当たりそうだな」

「ええ。ひとまず番所に帰りましょう」

 二人は台帳を借り受け、半ば全力疾走で帰路についた。

 番所に駆け込んだ時、平野は不機嫌そうに別の同心達に指示を出しているところだった。彼女は眉間にしわを寄せたまま、二人の部下を炯眼で射抜いた。

「何だ? 新しい発見か?」

「ええ」

 と頷いたのは白鳥だ。彼はあの三つの熊三郎の字を見せ、熊三郎が他殺された可能性があることを告げた。

「ふむ――」

 と平野も納得した様子である。彼女は多少嗜虐的に土蔵の方を睨み、冷笑を浮かべた。

「――あの女に聞いておいてやる」

「はい。で、僕達は何をすれば?」

 そう尋ねると、平野は小刀を押しつけてきた。それは二人が宿に行っている間に同心が寛空寺から回収したものだった。

「これを調べろ。どうやら熊蔵の私物らしい」

「ええと、熊三郎の腹に刺さっていた奴ですよね?」

「そうだ。医師の話によれば、熊蔵を刺した凶器でもあるそうだ。……奴が何故、こんな物騒な物を持っていたのか、調べておけ」

 河津は、すでに別の同心から情報を収集している。白鳥も上司に頭を下げてそちらに向かった。

 どうやら熊蔵も若い頃はかなり派手な方だったらしい。子供、つまりは熊三郎が誕生してから、厳格な、頑固一徹な役者として変貌を遂げたのだという。

 二人は番所を出た。ちょうど日差しが照りつけた。南中を超えたようである。朱が混じるのにそれほど長い時間はいらないだろう。

 二人は急ぎ足で、別の同心が調べたという熊蔵の旧友とやらの家に向かった。

 目的地は豆河通りからそれほど離れてはいなかった。旧友というのも、若い頃の役者仲間であったらしい。彼の方はかなり早くに見切りをつけて、商売でひと財産を築いたのだという。

 二人の同心が来た時、この壮年の男は慇懃な礼をして屋敷の中に案内した。その道中、彼の顔は悲しげだった。過去を思い出すのは辛いものであるらしい。

「熊蔵は、それはもうひどかったよ。毎晩飲み歩いて、女を抱いて、あれの父親が良く叱っていたのを思い出す」

 おや、と思った。息子である熊三郎も同じような生活をしていたという。

「熊蔵さんのお父さんは今、どこに?」

 尋ねたのは白鳥だ。壮年の男は黙って首を振った。随分前に亡くなったようだ。不出来な息子――熊蔵を嘆きながら。三人は屋敷の一番奥に案内された。

 用意された座布団の上に座り、白鳥は前のめりになりながら尋ねた。

「この小刀なんですが……」

 血のついた刃は白い布切れで包まれている。それを見て、男は目をすがめた。

「うん。熊蔵の物だな」

「分かるんですか?」

「この柄の傷だ。傷があるだろう? これは俺がつけたんだ」

 男は懐かしげに目を細めながら、小刀の柄の部分を指差した。確かにそこには小さな、古ぼけた傷が残っていた。

「……どうやって?」

「この小刀、熊蔵が親父から貰ったって代物だったんだな。当時、役者の世界はやくざ者ばかりだ、なんて言われてさ、護身用に貰ったんだそうだ。で、二人で飲んでいた時、面白がって振りまわしていたら、机に当たって……」

 それでついた傷であるらしい。熊蔵は決して怒らなかったそうだ。箔が付く、などと言ってむしろ大事にしていたという。

「じゃ、これは今でも熊蔵さんが?」

「ああ、もちろん。熊三郎に譲る物でもないからね。でも、それが何か?」

 白鳥はちょっとだけ思考を巡らせた。熊蔵が持っていたのなら、やっぱり息子である熊三郎の死に方には疑問が残る。

「この小刀、実は熊蔵さんから離れた場所で見つかったんです。失くしたとか、誰かに譲ったとかいう話を聞いたりしませんでしたか?」

「……うーん、聞いたことないなあ。それこそ熊蔵は肌身離さず持っていたから」

「そうですか……」

「あ、でも、この前会った時は持っていなかったかも」

 白鳥は眉を吊り上げた。男は眉間にしわを刻み、うんうんと唸りながら部屋中を行ったり来たりしていた。記憶のもやの中に何度も手を伸ばし、いつ、どこでそんな現場に直面したのかと頭を悩ませている。

 しばらく沈黙があった。白鳥は目の前で悩む男を見ながら、ずっと頭の中を回転させていた。

 まずは殺された熊蔵のことだ。彼は何故、息子の情婦と酒場にいたのであろうか。

 また、寺の雑木林で死んでいた熊三郎もそうだ。偽物の遺書が残されていた。彼のこともあの情婦が殺したのであろうか。

 そんなことを考えていると、男がやっと手を打って答えに行きついた。

「そうだ! ほら、今度劇をやるはずでしたよね? 熊三郎と」

「ええ」

 その晴れがましい男の顔に圧倒されながらも、白鳥は何とか返答した。男は答えに行きついた爽快感からか小踊りをする始末だ。

「それが決まった時から小刀を持たなくなったような気がします。確か……そう。興行主の清右衛門と酒場で飲み明かした日だった」

「……熊蔵はなくした、と言っていたんですか?」

「いいえ。でも、その日から明らかに小刀を持たなくなった。この間、聞いたんですよ。役者の世界も安全になったのか、って。でも、奴は力なく首を振るばかりだった」

「何故だと思います?」

「さあ? でも、あいつは何か知っている様子でした」

 男は力なく首を振り、その古ぼけた小刀に額を押しつけてから、白鳥に返した。

「あいつは良い奴でしたよ。友達甲斐のある奴だった。遺体が返ってくる際は連絡してください。息子ともども盛大にやりますから」

 白鳥も河津も彼にねんごろに礼を言い、屋敷を辞した。

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