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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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嘲笑する男③

「はあ」

 しかし熊三郎の行方は杳として掴めなかった。彼は旅籠を転々とする生活を送っていたらしい。

 これも父親への当てつけか、熊蔵が家に帰ってくるようになるとすぐ、そうした生活に身を落としたのだという。女を抱き、酒を飲み、薬をやっていたそうだ。

 現在、彼が泊まっている旅籠は、市中の西部でもそれほど質の悪くない場所だった。応対に出た女将は、昨晩から帰らないという熊三郎を心配しているようだった。

「あの人、喧嘩とかもするんですよ。どこかでのたれ死んでいたら嫌だなって」

 白鳥は微妙そうな顔で、女将に尋ねた。

「どこか、行きそうな場所に心当たりは?」

「……そうねえ。うーん、あ!」

「何か?」

「お母さんがね、もう亡くなっているんですけど、寛空寺ってところに埋葬されているんだって。そこに二日と空けずに行っていたみたいですよ」

 ふうん、と白鳥は頷き、傍らで呆けている河津を睨んだ。

 どうやらこの男、加害者の女に骨抜きにされたらしいのだ。おっさんの恍惚とした顔なんざ見たくもない。白鳥は舌打ちをして、髭面の同僚の膝を蹴った。

「いって!」

「ほら、行きますよ」

 そうして二人は市中の北に広がる、寺の立ち並ぶ場所に向かった。寛空寺はその中でもかなり規模の大きな寺であった。敷地内にはいくつかの雑木林があり、数千に近い墓が建てられている。

「熊三郎さんですか……見ていませんね」

 と言う住職を何とか説き伏せ、白鳥と河津は雑木林や墓地を見て回った。

 寺は坊主達によって綺麗に整えられているが、敷地の奥にある雑木林は別だった。何でこんなものがあるのかさえ不明だが、兎にも角にも蒼然とした薄暗い雰囲気である。

「お前さ、こんなところにいると思うか?」

 河津が呆れかえった様子で尋ねてきた。まさか白鳥だってここにいるとは思っていない。でも、万が一いたら嫌だと思っただけだ。平野に叱られるのは事実だろうし、自分が手抜き仕事をしたというのはもっと嫌だ。

「そう言わずに。ほら、次に行きますよ」

 足元を覆い隠すように生えた竹藪を掻き分けながら、二人は前へと進んだ。

 木々が重なり合い、がさがさと音を立てる。高さのバラバラな木々が折り重なりあい、辺りは奇妙な暗がりに占められている。ふと視線を転じれば向こう側には青空が広がっているのに、この一帯は足元もおぼつかないほど暗い。

 さらに闇の深い雑木林の奥に目を凝らしていた河津が、突然足を止めた。

 だが、その様子には気付かず、白鳥はしばらく一人で歩いた。やがて後ろに誰もついてきていないことを察すると、立ち止まって口を尖らせた。

「河津さん? 遭難ですか?」

「ちげえよ馬鹿野郎」

 河津がひょっこりと顔を覗かせた。その表情は真剣そのものである。それで白鳥も察するところがあった。

「……何か、ありました?」

 不安が胸をよぎり、恐る恐る尋ねる。河津は無言で頷き、髭を引っ張りながら雑木林の奥の方を指差した。

 白鳥は元来た道を戻っていく。先ほど倒した竹のおかげか、歩きやすいのがまた嫌な気分だ。

 河津が立っていたのは竹藪に隠れた一角だった。驚いた表情であるところを勘案すると、全く意図があって見つけたわけではなさそうである。

「おやおや……」

 渋面を作った白鳥はぼそりと呟いた。

 そこには腹に小刀を突き立てられた死体が一つあった。血が下半身を濡らしていて、死んでから随分と経っているのか、その染みが赤褐色に濁っていた。美麗な顔立ちは血の気を失って青ざめている。

 河津は俯いた死体の顔を覗きこみ、深く溜息をついた。

「熊三郎だ」

 彼は慌ただしく寺の坊主達を呼びに戻った。雑木林に残った白鳥は、熊三郎の死体を見分し、そのはだけた胸元に折り畳まれた紙きれがあることに気がついた。

 遺書、と書かれたその紙きれには、達筆な文字がつらつらと書かれている。熊三郎の不良な雰囲気からは到底考えられないほど形の良い文字だ。白鳥が注目したのは、最後の一文だった。

「……父親を殺してしまいました。申し訳ございません?」

 その手紙に露悪的な半笑いを浮かべた。何を言っているんだこいつは? 苦悶の表情で絶命している、熊三郎の死体を一瞥してしまう。

 そのうち河津が戻ってきた。もちろん住職を連れている。彼は熊三郎の死体に一通り念仏を唱えると、若い坊主達にてきぱきと指示を出し始めた。

 その手際の良いさまを横目に、河津にも遺書を見せ、首をかしげた。

「どう思います?」

 河津には、その問いの意味が分からなかったらしい。

「……どうって、父親を殺して気に病んだんじゃないか?」

「その為に堕胎させた女を身代わりにしたんですか?」

「……いや、そりゃ、ねえだろうが。しかし遺書まであるんだぜ?」

 そう苦々しく反論する河津の眼前に、白鳥は昨日拾ったチラシを見せつけた。そこには熊三郎の署名が記されている。それと遺書の署名を比べる。

「この二つの熊三郎って字、似ても似つかないんですよね」

 河津は二つの署名を交互に見続けた。

 印象に残すため特徴的に書くであろうチラシの署名は、その事実を加味しても、お世辞にも綺麗だとは言えない字である。

 これに対して遺書に記されていた熊三郎の字は、誰が見たって美しいと思えるような、均整の取れた文字であった。

「何が言いたいんだ?」

「別人が書いたのかもしれません。つまり彼も殺された可能性があるってことです」

 と冷たく言い放ち、白鳥はあとのことを住職と坊主に任せた。そのうち同心も来るだろうから、二人は別の場所に向かうことにした。

 彼らが向かったのは、熊三郎が最後に泊まっていた旅籠だった。

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