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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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無関係の報復④

「吐け! 磯部はどこだ! 奴は本当に金を借りただけなのか?」

 辺りを震わせるような鋭い声と共に、桶一杯の水を浴びせかけられる。白鳥は後ろ手で縛られ、龍によって二、三発の平手を浴びせられたあとであった。

 白鳥の内心は恐怖で満たされていた。しかし、それが縁際に盛り上がり、こぼれ落ちなかったのは、時間が解決してくれるだろう、という直感があったからだ。

「奴は金を何に使うと言った? どこかへ行くと言わなかったか?」

 耳元で龍のけたたましい声が弾ける。白鳥は顔をしかめ、龍から視線を逸らした。

 本当に、自分の抜かりなさには感服したい。あの船屋の店主に平野のことを言っておいて良かった、と思った。

 龍は汗みずくの顔を白鳥に近づけた。ぷん、と煙草の臭いがして、鼻の頭にしわを寄せたくなる。

「それに、何故金を貸した? 返ってこないと分かりきっているのに!」

 彼は白鳥の素性をも勘違いしているのであった。先ほどついた嘘がまだ効いている。鉄馬は殴られた白鳥を見て、震えあがったままだった。

「さあ……どうでしょうねえ。僕も探しているんですよ」

 そう呟くと、再び龍が肩を怒らせ、平手を浴びせる。平手というよりも張り手と言った方がいいかもしれない。殴られる度に頭に鈍い衝撃が走り、視界が暗転するのである。

「嘘を言うな!」

 耳元で龍が叫ぶ。白鳥は顔をしかめて、ふらつく頭を振った。酷い耳鳴りがする。

 闘犬場では犬の餌にするためか、鶏を飼っているようなのである。その飼育に必要な干し草や雑穀のもみ殻、他にも土俵の整備の為に必要な土などが雑然と置かれていた。

 背の高い龍に胸ぐらを掴まれ、今や白鳥の体は浮いていた。あまりの苦しさにもがくと、彼は唸り声を上げ、土の上に叩きつけた。土といっても固められているので、落ちると息が出来なくなるほどの衝撃が走る。

 咳き込む白鳥を冷淡に見下ろし、腹を蹴りながら龍は唸った。

「くそっ! 何故、誰も磯部の姿を見ていないんだ!」

 土の上でもがきながら何とか身を起こした白鳥は、龍に尋ねた。

「磯部が、なぜ必要なんですか?」

「黙ってろ!」

「八百長の罪をなすりつけるためですか?」

「……黙っていろ、と言っただろう?」

 龍が顔を近づけてくる。その表情は実に恐ろしいものだったが、白鳥はたまらず笑い声を漏らした。

 その顔がいつ苦痛に歪むか、そしてどうやって取り調べてやろうかと考えると、なんとも愉快な気分になってしまう。

「ふふ、あなたと、そこにいる鉄馬と、あとは誰が加担したんです?」

 また龍の強烈な平手が飛んだ。白鳥は土の上で息を切らし、唾を吐いた。

「俺は関係ねえよ」

 吐き捨てるように龍が叫んだ。またしても白鳥は、目をひんむいている哀れな副興行主に問いかけた。

「関係ない? ここでは公然と八百長が行なわれているのに?」

「奴らの罪だ! 俺には関係ない」

「……なるほど」

 やっぱり、自分が半年前にされたことを繰り返しているのだ。恐らくは、その裏切った部下も身代わりを立てていて、そいつと共に龍は葬り去られたのだろう。

 龍は耳朶まで赤黒く染まりながら、何度も苦しげに呻いた。ここに来て何カ月かは分からないが、地道に地固めをして、磯部という生贄に最適な男を取りたてて、鉄馬という若い薬師まで得たのだ。

 全ては涼次を追い落とすためである。涼次はやり手で、清廉潔白な――薬は犬を戦わせるという純粋な目的で使われたのだろう――興行主だ。その隙をついて、八百長の証拠も固めていた。

 あとは磯部を代償に涼次を葬り去るだけなのだ。それが、磯部の逃亡で全てが無に帰した。このままでは自分も処罰されると恐れているのだ。薬の管理は二人の役割だったのだから。

「……磯部は優れた男ですね。あなたから逃げきった」

 白鳥は、ぼそりと呟いた。その瞬間に龍の顔に青筋が立った。彼は這いつくばった白鳥の腹を蹴ると、鋭く部下達を睨みつけた。

「磯部を探して来い」

 部下達は張り切って外に飛び出していく。龍の方はといえば、鉄馬にも鉄拳を振り下ろして、土の上に倒れた二人を冷たく睨みつけた。

「大人しく従っておけばいいんだ!」

「……ふん、涼次さんほどの経営手腕もないくせに」

「うるさい!」

 またしても龍が白鳥を蹴飛ばした。白鳥は激しく咳き込みながら身を起こし、口に入った土を吐いた。そして怒りのあまりどす黒い顔をした龍を睨んだ。

「ま、間抜けな男ですよ、あんたは。部下の裏切りにも気が付かない癖に」

「何だと?」

「考えてみれば分かるでしょう? 磯部みたいな男が見つからないはずがないんだ。あんたの部下達、本当に探しているのかな? 今頃、番所に駆けこんでいたりしてね」

 白鳥は精一杯、皮肉っぽく口角を吊り上げた。隣では口元に血を滲ませた鉄馬が青ざめた顔をしている。

「……」

 龍は逡巡しているようだった。その険しい表情の裏でどんな計算が行なわれているのだろうか。かつての謀反でも思い出しているのか。白鳥はそんな複雑な龍の顔を見上げながら、さらに彼を混乱させる一言を呟いた。

「それに、考えてもみればおかしなことだらけですよ」

「何?」

「こんな状況で、何故涼次さんは騒がずにいられるんでしょうね? 誰かが情報を流しているんじゃありませんか? あなたの裏切りを知っているから冷静でいられる……」

 そう言いつつ鉄馬に視線をやった。彼は青ざめた顔で白鳥を睨みつけていた。

「この薬師も裏切っているんじゃありませんか?」

 龍は目玉を大きくひんむくようにして鉄馬を睥睨した。睨まれた若い薬師は泣きそうな顔をしながら、あとじさりをした。白鳥は冷笑を浮かべながら言った。

「三日月屋のことも、八百長のことも、彼が教えてくれたんですよ」

「ちくしょう、あんた、白鳥さん! お、俺を裏切るんですか!」

「はは、一度だって、あなたに協力すると言った覚えはありませんよ」

 白鳥は愉快そうに笑った。龍は鉄馬ににじり寄っている。それで白鳥は一息ついた。物置には若い薬師の悲鳴が響いていたが、それ以外にも外の方が騒がしそうだった。

「あ、あいつは、あいつは同心ですよ!」

 鉄馬が真っ青な顔に脂汗を滲ませながら叫んだ。今や彼は龍の膂力で持ち上げられ、無様に足をばたつかせている。

 そんな告白をしたところで、もう事態はあとの祭りだ。白鳥はまたしても片方の口の端を吊り上げるようにして笑い、首を振った。

 その直後だった。

 物置の引き戸が急に倒れ、四角く区切られた日差しが差し込んだ。その光の中に影が一つある。思ったよりも大きくないが、その足取りは決然としていて、凛呼とした声は冷厳な響きを伴っていた。

「白鳥!」

 どうやら平野が到着したらしい。白鳥は土まみれの顔を上げ、眩しさに目をすがめた。龍は事態が掴めず、鉄馬を掴んだまま、白鳥と平野を交互に見やっている。

 あとは簡単だった。腕まくりをした平野が龍に飛びかかった。

「貴様ぁぁ!」

「あ、え?」

 龍はあっという間にボロ雑巾のようになった。ボロ雑巾のようにしたのは、主にあとからやってきた同心達なのだが、彼らが殴る前から、龍は平野の形相を前にして戦意を喪失させていた。

 龍を動けなくしたあとに、平野は白鳥に近づいた。胸ぐらを掴み上げ、顔をまじまじと見ている。平手で切った口の端にほっそりとした冷たい指先を這わせる。

「ちょ、ちょっと。怪我、しているんですから」

「……ふん。このくらいの方が男前で良いぞ」

「じゃあ、平野さんが女前になるには、どうしたらいいんですかね」

 強烈な拳骨が飛んだ。平野は、そっけなく白鳥を土の上に落として立ち上がった。

「心配して来てみれば。減らず口が叩けるならば充分だ。自分で歩け」

 平野は物置から去ってしまう。それでも優しさからか、手を縛っている縄は解いてくれた。白鳥も何とか立ち上がり、泣きじゃくる鉄馬を諭し――もちろん生贄にしたことは謝罪した――闘犬場をあとにした。

 当然のことではあるが、磯部も船屋で――死ぬほど仕事をさせられていたようだ――逮捕されて、八百長に関して取り調べを受けることになった。

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