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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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無関係の報復③

「……あの」

 そう声を掛けられたのは、涼次と龍に見送られて闘犬場から出たあとのことである。薬師の鉄馬と二人で正門までの道のりを歩いていた。

「何でしょう?」

 白鳥が微笑みかけると、鉄馬はちょっぴり青ざめた。龍にミスを指摘された時よりも、よっぽど汗を掻き、視線が辺りを彷徨っていた。

「あなた、ど、同心ですよね」

「……さて、どうでしょう」

「い、磯部はどうしたんです? 八百長のことは話したんですか?」

「さあ? どうなったと思います?」

 鉄馬はさらに青ざめた顔をした。どうやら何かを知っているらしい。白鳥はさらに踏み込もうとしたのだが、それを掣肘するように、副興行主である龍が声を張り上げた。

「鉄馬ぁ! 早く来い」

 呼ばれた若い薬師が振り返った。彼は一苦労しながら喉を鳴らし、白鳥の方に向き直った。

「薬屋の三日月屋へ行ってください」

 鉄馬は震えた声でそう呟き、怒鳴り声を上げている龍の元へと駆けていった。

 白鳥は首をかしげながら元来た道を辿り、豆河通りへと戻ってくる。

 まだ昼を過ぎた頃とあって、案外と人通りが多いようだった。押しのけあうようにして男達が歩いている。白鳥はその雑踏の中に紛れこみ、そっと後ろを窺った。

 闘犬場の方からずっと男が一人、ついてきていたのだ。その男は白鳥が人いきれに飛び込むと同時に、慌てた様子で追いかけてきた。

 男はそのまま白鳥の横を抜けて行ってしまう。苛立たしげに辺りを見渡し、怒号にもめげずに群衆を掻き分ける。白鳥は首を縮こめて、その男の視線をやり過ごした。

 亀のように慎重に進みながら、市中にあるらしい三日月屋という薬屋を目指した。

 目当ての場所はすぐに見つかった。結構な人気店で、老若男女が店の前に人垣を作っている。白鳥は、そうした様子を無視するように店の中に入った。

 中では五、六人の薬師が必死の形相で薬を作っていた。彼らを統率するのは、店の主のようだ。時折鋭い檄を飛ばしながら、薬師達に仕事を早めるよう急かしている。店主は突然入ってきた白鳥に気が付くと、怪訝な顔をした。

「順番は守ってください」

「あ、いえ、客じゃないんです。闘犬場で働いている鉄馬さんから、ここへ行くようにと指示を出されまして」

「鉄馬から? ……何だろうな」

「恐らくは八百長関連だと思うのですが」

 と言うと店主の方も合点がいったらしい。彼は一つ頷いて、忙しそうにしている見習いに、いくつかの資料を持ってこいと叫んだ。

「八百長かは知らんけど、あそこはいっつも同じ薬を注文するんだ。興奮剤だな。恐らく犬を戦わせる為だろうが……あんまりお勧めはしていない」

 店主は肩をすくめた。

「その薬は、ずっとあそこに納入しているんですか?」

「いや、涼次さんになってからだよ。二、三年前かな? あの人は結構やり手だからね。龍って人もいただろ? あの背が高い怖そうな人。半年くらい前に彼を連れてきたのも涼次さんだ」

「……どういう人達なんです?」

「涼次さんは昔見世物小屋をやっていた人だな。その腕を買われて、闘犬場の興行主に抜擢された。龍は、どこかから流れてきたらしいんだ。半年くらい前にあの人が来てから、闘犬場はさらに規模が大きくなったんだよ」

 番狂わせも多いからね、と店主はくつくつと笑った。八百長のことは知らなさそうだが、要するに激しく戦う上、順当にいかないからこそあの闘犬場は人が集まるし、儲かっているのだという。

「それもこれも薬のおかげさ。どんなに弱い犬でも敵を殺す可能性がある」

「ふうん、残酷ですね」

「放っておけば野たれ死ぬ犬さ。ひと時温かい寝床と飯が食えりゃ、本望だろうよ」

 そうして話しているうちに見習いが何枚かの紙きれを持って現れた。店主はそれを受け取ると、白鳥に見せた。

「この通り。興奮剤だねえ」

「使うと、どんな作用があるんです?」

「興奮する。しかも痛覚が鈍くなる。それこそ首を食いちぎられない限り、戦い続けることだってできる」

「これは量を調整することは出来ますか? 例えば、ちょっとだけ使うとちょっとだけ効果が出る、みたいに」

 店主はそっけなく頷いた。そういうことも可能だという。そもそも、きめ細かい調整をさせるために鉄馬を送っているのだそうだ。

「奴は仕事をしていますか?」

「……ええ、充分にね」

 白鳥は肩をすくめて、三日月屋から出た。

 そうして次は闘犬に詳しそうな知り合いの元を尋ねることにした。とはいえ、追手もいるからあからさまな場所には行けない。それゆえ再び港の方に戻ってきた。

 港の近くには、昼時に仕事を終える漁師達が行く飲み屋がいくつも連なっている。そのうちの一軒の暖簾をくぐった。

「ちょっといいですか?」

 その店は今日も満席状態だった。人が行き交うのさえ苦しいほど狭く、漁師達は肩を寄せ合って飲んでいる。白鳥が割って入ったのは、白鳥屋に長年出入りしている船乗りの隣だった。

「……ああ、坊ちゃん」

 船乗りというのは往々にして荒っぽいらしく、その気性に比例して博打や喧嘩や、それ以外のあらゆる悪事と絡んでいる。白鳥が話しかけたのもそういう男だった。人生の半分をどこかの牢獄で過ごしたような、そんな人間だ。

 白鳥は注文もせずに単刀直入に告げた。

「西の方の闘犬場に行ったことは?」

「……行ったことのない賭博場なんかありはしませんよ。あすこは良い。でかく稼げますから」

「昔から?」

 男は肩をすくめた。彼が言うには涼次が仕切り始めた、ここ二、三年のことだという。それまではあそこほどしけた賭博場はなかった、と彼はぼやいた。

「あの涼次って男は興行が分かっている。犬が激しく戦うようになった。あいつが来た日のことを思い出しますよ。当時、横綱だった犬が、何でもないボロ雑巾みたいな犬っころに噛み殺された」

 その光景が何となく思い浮かんで、白鳥は顔をしかめた。船乗りの男はくつくつと笑って碗を飲み干し、代わりを注げと命じている。白鳥は一番いい酒を持ってくるよう頼んだ。

「……龍って男の方は?」

 船乗りは指を微かに動かして、耳を寄せろと合図を出した。

「……奴は見たことがあります。以前は、北の方で賭博場をやっていましたよ。しばらく見ないと思ったら、こんな場所にいるとは……」

「どんな人です?」

「どうってことないですよ。見た目通りの人間だ。北の方じゃ、部下に賭博場を乗っ取られたみたいですがね」

「ほお……」

「八百長ですよ。部下が散々けしかけて、露見した途端に全部あの龍に押しつけた……ってのがもっぱらの噂ですね。半年くらい前だったと思いますが……」

 それは面白い、と白鳥は思った。今まさしく起きていることではないか? 涼次を龍に、龍をその裏切り者の部下に置き換えればいい。

 考え込む白鳥を尻目に、船乗りの男は蔑むように鼻で笑った。

「それに、ああいう奴は動きが分かりやすい。野心に忠実だから。そう遠くないうちに涼次を追い落とそうとするに違いない。俺みたいな奴は、その瞬間がいつ訪れるかと楽しみに待っているんです」

「……なるほど」

 白鳥は頷き、この混雑する居酒屋を出た。

 最後にもう一杯船乗りに奢ってやると、来年までまじめに働く、と呟いて気の良さそうな笑みを向けてくれた。本質的に善悪が理解できていないだけで、性根は悪くない男なのだ。

 豆河通りに戻ってくる。注意深く辺りを見回すが、どこにも追手の姿はなかった。それにほっとして歩き出したのも束の間、人込みのど真ん中で、白鳥の背中に鋭く尖った何かが当てられた。

 振り返ろうとすると肩を掴まれた。どうやら二人ほどいるらしい。彼らは雑踏にかき消されそうな低い声で言った。

「歩け。ったく、手間掛けさせんじゃねえ」

 恐る恐る隣を見たが、柄が悪いと一発で分かるような連中が刃物を突きつけているようだった。

 白鳥は素直に頷き、ゆっくりと足を動かした。

 再び、闘犬場までの道のりを歩かされる。豆河通りの人込みを抜けてしまうと、男達は白鳥を取り囲んだ。全部で四人もいるようだった。早く歩けと小突いてきて、いちいち癪に障る荒っぽい声を上げた。

 そうして闘犬場に戻ってくる。入口のところでは青ざめた顔の鉄馬と、副興行主の龍が待ち受けていた。鉄馬の頬は赤く腫れあがっている。

「どうやら失敗したみたいだな」

 龍がほくそ笑んでいた。鉄馬は青ざめた顔で小刻みに震え、立ち止まった白鳥は男達に促されて闘犬場の、人目に付かない物置小屋に放り込まれた。

 どうやらあの船乗りは真実を言い当てていたらしい。

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