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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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無関係の報復②

「で、八百長の内容を教えてくださいよ」

 二人は再び豆河通りの方へと戻ってきていた。

 変装は実に良い効果を発揮したようだった。隠れる必要はない、という白鳥の言を信じて、着替えを済ませた磯部は堂々と光のある方へと出てきた。

 途端に悪い顔をした連中が近付いてきたものの、まさか磯部が綿の着物を着ているとは思わなかったようで、彼に目をくれることもなく脇を抜けていったわけだ。

「……はあ」

 磯部は深々と溜息をつき、辺りの様子を窺いながら話し始めた。

「仕組みはさっき言った通り。勝たせるべき犬に薬を飲ませる。興奮剤だよ。これで怪我をしても怯まなくなる。たがが外れたみたいに攻撃をして、相手を食いちぎっちまうんだ」

「……で、あなたは、それを間違えた」

「そりゃ誤解だよ。俺はちゃんと目当ての犬に決められた飯を食わせたんだ。でも、昨晩の闘犬では、ものの見事に負け。で、今日になって急に、副興行主さんに呼びつけられて、八百長で俺を告発するって……」

「飯を取り違えた可能性は?」

 ようやっと豆河通りの方へと戻ってきた。雑踏に紛れていれば、そうやすやすと見つかることはない。白鳥は港の方へと足を向けた。その様子に磯部がちょっとだけ青ざめた。

「まさか、このまま番所に突き出すとかって……ないよね?」

「……ああ。その手がありましたね。あなた、今から番所に行きます?」

 白鳥がにんまりと笑って言うと、磯部は悪夢を見たかのようにかぶりを振った。

「勘弁してくださいよお。でも、さっきの話なんだけど、取り違えはありえないよ。あったとしても俺の間違いじゃない。事前に飯は振り分けられているんだ。俺はそれに従って犬に飯をやるだけ」

 ふうむ、と白鳥は唸った。であるならば、ありえるのは普通に磯部を切り捨てようとしたということか。

「その闘犬場、なにか重大な犯罪の温床になっていたりは?」

「た、例えば?」

「違法な遊郭とか、薬とか、武器の売買とか」

「うーん、ないなあ。闘犬場自体も、国からきちんと認められているしねえ。八百長だけだよ」

 こいつが気付いていないだけなんじゃなかろうか、と白鳥はふと考えたものの、あえては口に出さなかった。

「じゃ、薬を盛るのは誰です?」

「鉄馬っていう若い薬師」

「彼のミスである可能性は?」

「それもないと思う……。だって、闘犬場の連中がちゃんと監視してるもん」

「……監視しているのは誰です?」

 なおも白鳥が問いを重ねると、磯部はちょっとだけ泣きそうになった。

「尋問みたいだなあ」

「尋問ですからね。で、誰です?」

「さっき言った副興行主の龍さんかな。八百長は組織ぐるみでやるべきだからねえ。上が細心の注意を払ってやるんだよ」

 誇らしげに言う磯部の頭を、白鳥は鋭く叩いた。

「興行主の涼次は? 八百長のことは知らない?」

「知っていたんじゃない? 龍さんが許可取っているって言っていたよ」

 二人は港近くにある番所も抜けて、市中の南に広がる巨大な港へと出てきた。

 番所が後方に通り過ぎたことと、眼前で輝く大海原とで、磯部は明らかに安堵の溜息をついている。白鳥はそのまま、とある船屋に入った。古びているが活気ある船屋だ。

 昔からの付き合いだし、同心としても何度か出入りしている。かくまってもらうには充分過ぎるような場所だった。

「ごめんください」

 店に入ると、かつては船乗りだったという五十代そこそこの店主が表に姿を現した。彼の体は赤銅色で、その下には年齢不相応の隆々とした筋肉が詰め込まれている。店主はじろりと二人を見た途端に破顔した。

「ああ、坊ちゃん。どうかしたんで?」

 低く、かすれた声だ。けれども恐らくは市中でも一、二を争うほど信用のおける男でもある。白鳥は無遠慮にも履物を脱ぎ、店の奥に向かった。磯部も慌ててそのあとに続く。

 道中で店主に、磯部の事情を話した。彼はこれ以上ないほど険しい視線を向け、磯部をたっぷりと無言で脅した。磯部の方は……股間に手を当てておどおどとしている。

「それでですね、ちょっとその闘犬場のことを調べたいので、こいつを預かっておいてください」

「はあ……何人か護衛をつけますか?」

「いや、結構。でも、同心には伝えておいてください。特に平野静という人に」

 休日の上司の名を挙げるのは気が引けるが、でも彼女ほど信頼できる人はいない。

 白鳥は真っ直ぐ店の裏手に向かった。そこには草鞋がいくつか用意されている。先ほどまで履いていた物では思うように走ることさえままならない。

「じゃ、頼みましたよ」

 そう言い残して、白鳥はあっという間に船屋を出た。唖然とした様子の磯部が、店主に首根っこを掴まれているのが最後の光景だった。

 白鳥は磯部が働いていたという闘犬場へと向かった。

 そこは市中西部でも外れの方にあり、中心地からは完全に離れている。商家や屋敷の群れはとうの昔に過ぎ、農地もある田舎の風景が広がっていた。家々はまばらで、どちらかといえば漁村にも似て、砂浜では漁船や漁網の修理をしている男達の姿が見えた。

 磯部が働くという闘犬場は、そうした景色のど真ん中にあった。

 休耕中の畑を使うのであろう。柵を立て、区切られた中で何十という犬が駆けまわっている。他の場所ではまだ闘犬の訓練を受けていない犬を男達が調教している様子も見られる。

 白鳥はそんな闘犬場で働く若者を呼びつけた。彼は犬の様子を見ているようだった。傍らには薬箱が置かれている。その点から鑑みれば、薬師であろうと予想がつく。

 やってきたのは二十代そこそこの若者であった。見るからに善良そうで、白鳥に応対する時も物腰の柔らかさがにじみ出ていた。

「磯部のことで、少し話があるんですが」

 そう告げると、その若い薬師はちょっとだけ眉をひそめた。

「はあ……あ、どうぞ、あちらから回って入ってください」

 と促され、白鳥は闘犬場の敷地内に足を踏み入れた。なだらかな丘陵地が広がり、その中央にひときわ大きな建物がある。屋根も壁もある、一見すると蔵のようにも見える武骨な瓦葺の建物だ。

 中に入り、ぱっと視界が開けると、まるで相撲の土俵場のような光景がそこにはあった。すり鉢状に客席の桟敷が配置され、その薄暗い底辺部の土俵には男が二人、立っていた。

「あの」

 若い薬師が声を掛ける。その二人の男が振り返った。ちょうど頭一つ分くらい背丈が違う。白鳥は真面目くさった顔で会釈をした。

「私ね、港の方で高利貸しをしているんです。ここで働く磯部って男に金を貸していたんですが、今日に限って姿が見えなくてね……。来ていませんか?」

 すると男達のうちの背の高い方――副興行主の龍だと名乗った――が前に出た。

「いや、来ていませんね。それに磯部に金を貸すなんて、どうかしていますよ」

 そんなことは良く分かっている。磯部に金を貸すくらいなら、その辺の犬に貸した方がよっぽど返済の可能性があるということくらい。

「ま、死んでも償わせようってのがうちのやり方ですからね。で、磯部が行きそうな場所に心当たりは?」

 と尋ねると、龍は明らかに苛立った顔をした。その彼を抑えたのは、背の低い方――興行主の涼次――であった。

「いやいや。我々も探しているんです」

「何かあったんですか?」

「……奴は八百長を先導していましてね。おかげで昨日、うちは随分な損害が出たんです。そういうわけでうちも追っているんです。な、龍?」

 背の大きい龍は苦々しげに口元を歪めて頷いた。

 ふうん、と白鳥は恬淡な様子で呟き、内心では舌打ちをした。やっぱりあいつ、面倒そうなことに巻き込まれているじゃないか、と。

 それでも顔には出さずに、白鳥は柔和な笑みを浮かべた。

「八百長ってことは、勝ちそうな犬に下剤でも盛ったんですかね?」

「まあ、そんなところですな。なあ、鉄馬?」

 背の高い龍が若い薬師に凄むと、彼は青ざめた顔で頷いた。まあ薬は鉄馬という若者の領分なのだろう。それをいじられたとあっては責任を取らざるを得ない。

 白鳥は頷き、不機嫌なふりをしながら闘犬場を出ることにした。

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