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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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祭りの夜①

「うう……雨、結局降ってきちゃいましたね」

 ざあざあという雨音を聞きながら、白鳥は濡れた体を抱いた。

 彼が今いる船屋の茅葺きの天井にも激しい雨粒が叩きつけられる。遠くに見える海は太陽が水平線に沈んだこともあり、真っ黒な闇の中に沈んでいた。潮騒の音も、間断なく降る雨の前では虚しくかき消されるばかりだ。

「ああ、本当になあ」

 船屋には他にも何人かの男達がいる。その日、市中の南にある港では、年に一度の豊漁祈願の祭りが行なわれていた。

 ここ数年、鰯も鰤もあまり取れず、漁師達は四苦八苦している。そのために最近はこの祭りも大規模化しており、先見性のある商人がそこに目をつけて、金や人員を投入するという始末である。

 もちろんのこと市中でも屈指の目利きと評判である白鳥屋の当主――白鳥の父親だ――がそれに目をつけないはずもなく、仕事で忙しい長男に変わって、同心で、運悪くも非番だった次男坊を派遣したのは言うまでもない。

 とまあ、こんなわけで白鳥は朝から祭りに駆り出されたのであった。

 しかも今年は運の悪いことに、朝方から天気がぐずつきだした。祭りの目玉である巨大なかがり火は本来、夕暮れと共に焚かれ始めるのだが、今日に限っては昼のうちにそれを焚き、早めに行程を消化していったのである。

 そのおかげで、雨が本格的に降りだした黄昏を過ぎた頃には、あとは男達が飲み明かすばかり、という状況まで持ち込めたのであった。その後は、祭りのあとのお楽しみしか残されていない。

「でも、一晩中、飲むんですか?」

 白鳥が恐る恐る尋ねると、その船屋で雨宿りをしていた男達が、当然だ、とばかりに巨大なとっくりと茶碗を用意していた。

 もちろんのこと彼らは漁師や商人である。釣った魚や妻に作ってもらったつまみまで持参し、雨音を肴にしてでも夜を徹して酒を飲む腹づもりであるようだった。

「僕、明日は仕事なんですけどねえ」

「今日は仕事じゃねえんだろ?」

 などという屁理屈を聞かされながら、白鳥は呆気なく男達と共に酔泥の波に飲み込まれた。

 夜もふけ、男達はどんちゃん騒ぎを続けている。

 下戸の人達は最初の一杯を付き合っただけで逃げ出した。酒が飲めないわけでない白鳥は、促されるままに何杯も飲み、もはや正常な判断が下せないほどには酔っていた。

 酒豪はまだ酒の飲み比べをしている。しかし、限界まで飲んでいる白鳥はその輪から離れ、外の空気を吸う為に、おぼつかない足取りで船屋の入り口付近に這いずった。

 時刻は未明頃だった。宴もたけなわ、というところだ。にもかかわらず、白鳥同様、大騒ぎから逃れるようにして一人の男が船屋から出て行こうとしていた。

 白鳥はその男の背中に声を掛けた。見慣れた男だった。

「あの竜二さん?」

 雨に濡れながら振り返ったその男は市中で長年、立花屋という問屋を営んでいる。もちろん白鳥とも知己だ。彼はばつが悪そうに白鳥を見、頭を下げた。彼の性格から言って、酒の席を中座するとは思えないのだが……。

「ああ、白鳥屋の坊ちゃん。……今日はちょっと用事があるんです」

「止めるつもりはなかったんですよ。ごめんなさいね。竜雄さんは元気ですか?」

「ええ、今度、結婚するんです。その時は挨拶をさせてください」

 外は雨が降っている。傘も差さずに竜二は出ていった。彼は何度も振り返って、律義に頭を下げた。その度に白鳥は手を振り、彼の姿が夜の雨の中に消えてしまうと、酒臭さが充満している船屋の中に戻った。

 酔い潰れるたびに二度としないと心に誓うのだけれども、何故だか人は意志が弱いものであり、白鳥も例外ではなかった。

 当然の如く、晩を越すまで逃がしてもらえず、翌朝、潮臭さと共に起き出し、千鳥足のまま帰宅した。

 頭はぼうっとし、まだ酒が抜けきってはいない。朝霞が出る市中は閑散としていた。豆河通りにもまだ人の気配はほとんどない。

 もうひと眠りするのは諦め、井戸で何度も水をかぶった。朝方の澄み切った空気が濡れた肌を急激に冷やす。昨日の雨雲は、もう影も形もなさそうだった。この分では道の泥や水たまりもあっという間に乾いてしまうだろう。

「あーあ、嫌になるほどいい天気だよ」

 そんなことをぶつくさと言いながら、強烈な朝日に後押しされるようにして、白鳥は酒臭さが残る体を引きずった。

 いつもより少しだけ早く番所に出勤した彼を出迎えたのは、夜番の同心ではなかった。

 何故か土間のところで平野が仁王立ちしている。いつもなら夜番の連中が死んだ顔で出迎えてくれるというのに。その凛呼とした立ち姿を茫然と見つめていると、痺れを切らしたのか平野が舌打ちをした。

「さっさと中に入れ」

「……はい」

 途端に自分の有様が恥ずかしくなる。これを三日に一度くらいやっている河津の厚顔無恥加減が何とも羨ましい。

「昨日は飲んできたのか?」

 その鋭い眼光で鬼嫁に追及されている気分になる。白鳥は頬を赤くしながら頷いた。

「ええと、はい。あの、昨日港で祭りがありましてね。どうしても――」

「言い訳はいらん。思考が正常ならついてこい」

 まさか殺されるんじゃあるまいな、と震えあがった白鳥の予想は大きく外れていた。

 平野に手を引っ張られながら豆河通りへと出て、その道を南下した。港の方まで出て、豆河通りから外れるように道を折れ、海産物などを扱う問屋が並ぶ通りに出た。

 とある店の前に人だかりが出来ていた。平野が大音声を浴びせると、同心達が鞘に入ったままの剣を振りまわし、野次馬を蹴散らした。

「……何があったんです?」

「殺人事件だ。行け」

 平野に顎をしゃくられて、白鳥はそろそろと事件の現場へと向かった。

 店の名を確認する。立花屋、という古臭い看板が雨に濡れたまま乾かずに残っていた。

 激しい出入りがあったのだろう。店の前は泥でぐちゃぐちゃだった。白鳥は着物の裾を掴んでそれを乗り越え、店先に入ったところで足を止めた。血だらけの死体があった。

「竜二さん……」

「知り合いか?」

 あとからついてきた平野がそっと囁いた。白鳥は小さく頷き、力なく手足を投げ出した死体の脇に膝をついた。近くには血にまみれた包丁が転がっていた。同心の話によれば、立花屋の厨房から取られたものだったという。

「はい。昨日も一緒でした。誰がこんなことを? 強盗ですか?」

「いや、火盗の出番はないと思う。店の金庫は無事だったからな」

 平野はそっけなく言って、朝も早くから叩き起こされたのであろう、険しい顔をした医師に死体の状態を話すようにと告げた。

「……体に傷があり過ぎて、致命傷は分からんな。しかし、これだけは言っておいてやる。怪しい傷は二つ。腹に刺さったものと心臓を貫いたものだ」

「後者が死に至らしめたのでは?」

「死んだあとに刺された可能性もある。ともかく、全身に十五カ所も傷があるんだ。失血死ってことも考えられる」

 医師は髪の毛を無造作に掻きむしり、髷が乱れることも構わずに死体の表面に目を凝らしていた。

 あとのことは彼に任せればいいだろう。白鳥は難しい顔をしたまま、後ろにいる平野に尋ねた。

「第一発見者は?」

 彼女はそっけなく店の奥を指した。それで白鳥は草履を脱いで、一段高くなった床に上がり、その奥を覗きこんだ。

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