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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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闘技場④

 翌日、白鳥は頭を悩ませることになった。

 何せ、河津は世の中を悲嘆して剣の手入れに余念がない。時折溜息をついては、過ぎた日のことを思い出しているようだ。何と言うか、ふられた直後の乙女みたいである。

 白鳥はその様子をちらちらと窺いながら、何とか話を切り出そうと決意を固めた。

「ねえ、河津さん?」

「あ?」

 彼は剣から目を離そうともしない。銀主屋が市中で営業を終えるまであと二日しかない。白鳥は腕組みをした。

「伊波さんのことですけど」

 しかし河津はかぶりを振った。自慢の髭も萎れているように見える。

「……何も言うな。あいつは剣士としての精神を失った。あんなところで殺し合いをして、金を稼ぐような奴に費やす時間はねえ」

「でも――」

「言うな!」

 河津が普段では考えられないほど鋭い怒声を上げて、はっと顔を歪めた。自分でも気付かないくらい気が立っているのだろう。彼は少々苦い顔をして、深く溜息をついた。

「言うな。もう忘れてえんだ」

 何とか話を繋げよう、と白鳥が身を乗り出すと同時に控室の引き戸が開いた。前のめりになった白鳥は苛立たしげな顔をそちらに向け、冷厳な表情の上司を睨んだ。

「……何だ、白鳥?」

「いえ」

 どうやら、さっさと警邏に行けというらしいのだ。

 白鳥は膝を打って立ち上がり、河津は見るからに無理やり平静を装い、周りを見ることもなくふらふらと外に出た。その様子に上司は首をかしげた。

 警邏をしている間も口を開けなかった。二人は豆河通りの喧騒を抜け、口を閉ざしたまま、結局順路を回って番所まで戻ってきてしまった。

 いつもの通り、白鳥が控室に向かい、上司に帰還の報告をする。すると彼女は縦帳――調書だ――から目を離し、冷淡な視線を白鳥に向けた。彼女はちょうど白鳥が日付を消した部分を開いていた。

「何かあったか?」

「……いえ」

 平野に話したら、間違いなく面倒なことになるだろう。白鳥は口を閉ざした。それでは上司も追及する気にならなかったのか、再び縦帳に戻った。

「昨日、客が来たらしいな」

「それは……ええ、はい」

「どんな客だ?」

「ろくでもないのですよ。同心に金を握らそうとする連中でした。河津さんに渡そうとして――」

 白鳥はとっさにそう答えて、ぴくりと眉を動かした。

 ここまで話しても良かっただろうか。けれども言ってしまった以上はあとの祭りだ。それに平野もあまり気にしていないようだった。

 土間の方に戻ってくると、河津がじろりと睨んできた。白鳥は口を滑らせたという後ろめたさから、彼に一つだけ忠告をした。

「伊波さんは、あなたが考えるほどの人間じゃありませんよ」

 河津は、ふん、と鼻を鳴らし、そのまま自分の仕事に戻った。

 空が紫色に染まる頃に仕事を終え、白鳥は今夜も銀主屋に向かおうと心に決めた。

 すると、何故か一定の間隔を空けて河津もあとについてくる。斜陽に染め上げられた髭面が厳しげに歪められていた。

 何度歩いて振り返っても、やっぱり同じだ。河津は恨めしげな顔をして白鳥と付かず離れずを繰り返している。

 そのうち白鳥は立ち止まり、河津の顔をまじまじと見つめた。

 彼はすぐに降参して近づいてきた。もう港に足を踏み入れている。夕暮れ時ということもあり喧騒はなりをひそめ、海は朱に輝き、波が流れては砕ける音が響いていた。

「……どこに行くんだ?」

「どこでもいいでしょう?」

 白鳥はぶっきらぼうに返した。河津は絶句していた。何故か酷く傷ついた顔をしている。

 そんな彼を置き去りにするように、白鳥は踵を返した。同じように幾人かの男が、東から流れてきた夜の闇に紛れるようにして、何の変哲もない寂れた建物の方に向かっている。

「いらっしゃいませ」

 あの銀主屋の主、吉平が満面の笑みで客を出迎えていた。彼は二人の同心に気が付くとさっと表情を変えたものの、素直に金を払ったものだからむげにも出来ず、微妙な顔をして中に入れてくれた。

 白鳥は何も言わずに舞台の脇を横切り、楽屋の方に向かった。

 それにも吉平は良い顔をしなかったが、同心相手に騒ぎを起こすわけにもいかず、黙って仕事に集中したようだった。

 それをいいことに楽屋のある舞台裏に入る。河津は感心しきりの様子だが、これから顔を合わせる男のことを知ったら、怒り狂うことだろう。

 それでも白鳥は心を鬼にした。伊波がいる楽屋の前にやってくると、唖然とした様子の河津を待たせて、中を覗きこんだ。

 どうやら彼一人であるようだ。白鳥はそっと手招きをして、河津に部屋の中に入るよう促した。

 この同僚が楽屋に足を踏み入れると同時に、白鳥は勢い良く戸を閉め、そのまま塞いだ。

「おい! 何だ?」

 という河津の馬鹿げた声は、すぐに聞こえてこなくなった。

 代わりに伊波の低い声が響き、白鳥は安堵の表情を浮かべた。

 物音に気がついたのか、伊波の嫁がそっと楽屋を覗きに来たが、白鳥は人の良い笑みを浮かべ、彼女に戻るよう促す。今、河津と顔を鉢合わせたら面倒なことになる。

 楽屋の中の話し合いは難航しているようだった。見世物が始まっても、二人の男が話し合う声が聞こえてくる。舞台の方からは大歓声が漏れ聞こえてきて、どうやら銀主屋の営業は今晩も上手くいったようだ、と分かる。

 しばらく引き戸に背中を預けていた。

 舞台では猛獣使いや曲芸、他にも女のみだらな踊りと演目が移り変わっていく。楽屋の前もばたつきだし、奥の方からどす黒い顔をした吉平が現れた。

「……申し訳ありませんが、そこをどいていただけますか?」

 張り付いたような、白々しい笑みだ。白鳥は半眼を向けたものの、ちょうど同じタイミングで楽屋からも声を掛けられ、そっと戸から身を離した。

 中から険しい顔をした河津と伊波が出てくる。伊波は吉平に頭を下げていた。どうやら河津と口論をした末、戦いで決着をつけると決めたらしいのだ。

 そう話し終えた伊波は朗らかな顔で白鳥を見、小さく頷いた。

 話を持ちかけられた吉平は、しばらく逡巡していた。同心をこの見世物に参加させられるか、そして河津が客を満足させられるかと考えたのだろう。けれども伊波の出番が近付いてきていることもあり、彼は舌打ち交じりに河津の出演を許可した。

「せいぜい、死なないようにしてくださいよ」

 これはどちらに掛けた言葉だったのかは分からない。けれども二人とも頷いて、ゆっくりと舞台の方へと向かっていった。

 それがつい、十五分ほど前のことである……。

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