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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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平野の初恋②

「……で、何の用です?」

 とぶっきらぼうに問うた白鳥は、もうすでに酔っていた。

 寝不足と疲労に苛まれた体は、酒精による衝動には抗いがたい。神平の方も、少しだけ、とろんとした様子で赤くなった頬を撫でた。

「うむ、最近、どうだ?」

 と問われて、白鳥に返す言葉はない。

 つまらない事件を話して打ち首になったり、どこかに左遷されたりしたら敵わない。であるならば、曖昧な答えを返すのが一番だろう。それで飽きてもらって、さっさと解放されてしまえばいい。

「そうですね、普通です」

「そうか……」

「それで、何の御用です?」

「む、若い者は随分と性急だな」

 白鳥は、酒が入って浮揚感に苛まれている頭を叩いた。

「すみませんね。昨日から寝ていないんです。ちんけな泥棒を捕まえるために、一晩起きていたんですよ」

「ふうむ、静もか?」

 特段、娘のことを聞きたいわけでもなさそうだが、まあ、否定するいわれもないので白鳥は頷いた。神平は苦々しげに口元を歪め、それは美容に悪い、と呟いた。

「娘さんのこと、気に掛けているんですね」

 この思わぬ言葉には白鳥でさえ驚いた。本人が驚嘆しているのであるから、もちろん質問を投げかけられた方はもっと驚いているに違いない。

 神平は持ち上げていた茶碗を置き、ふっと息を吐いた。

「まあ、娘だからな。あの性格でいじめられていないか、心配になるだろう?」

「……」

 答えに窮して白鳥は黙り込んだ。どの性格でいじめられるのか、心当たりがちょっとなかったからだ。

 そんなことなど露知らず、神平は言葉を続けた。

「最近、あの子の調子はどうだ?」

「はあ」

 白鳥は酒で熱された吐息を漏らし、神平の横顔をまじまじと見つめた。

 見れば見るほど親子であると分かるのは、その骨格もそうだし、面の皮一枚の部分に示される顔の造形もそうだ。

 また、思い悩む姿もどことなく似ている。やっぱり平野も、困ったことがあると眉間にしわを寄せ、眉をハの字に曲げる。神平も口を尖らせながら眉を寄せていた。

「……そうですね。少し、悩んでいるような気がします」

「ほお」

「理由は不明ですが……」

 神平は、くつくつと笑いながら白鳥を見やった。その様子に、見られた方も茶碗を置いて、ゆるゆると体を向けた。

「……君、金柳道場の古葉という男を知っているか?」

「いいえ、道場には縁がないもので」

 白鳥が通っている道場なんか、へっぽこ師範が適当に教えるだけの、くそみたいな場所だ。それに対して金柳道場というのは、市中はおろか、中津国全体でも名の知れた場所である。そんなところには縁もゆかりもない。

「そうか。君、明日、静にその男について聞いてみろ。なるべく純情なふりをしろよ」

「……はあ」

「それから、いつぞや我が家に来た時に渡した、着物はまだ持っているか?」

「ええ、それなら桐の箱に入れ直して、実家で保管してもらっています」

「そうか。あれは良い物だからな。私の妻が若い頃に着ていた物だ」

 白鳥は、いつだったか、指令書とかいうものを辿って得た、戦利品について思いを馳せた。あれらは全て平野が幼い頃に市中の至る所に隠したものだという。それが何故、今になって必要なのか……。

 兎にも角にも、金柳道場の古葉という男については尋ねてみようと思った。

 神平はもう何杯か飲んでいくという。それに付き合いたいのは山々だったが、寝不足とアルコールの打撃によって、今や白鳥の頭は真っ白だった。ほとんど酩酊状態にあった。

 神平は近くにいた部下を呼びつけた。

「この勤労青年を送り返してやれ」

 部下は慇懃な様子で頷き、足元のおぼつかない白鳥を担いだ。

「何かありましたらお呼びください」

「何もないさ。見ろ、どこの男達も幸せそうに酒を飲んでいるだけだ」

 神平は煩わしげに手を振り、白鳥を担いだ部下達を追い払った。

 白鳥は時折苦しげな唸り声を上げた。乱暴に駕籠に押し込められると、もはや夜のうちには目覚めぬほどの熟睡に突き落とされた。

 翌朝、目覚めた白鳥は、昨日のことが夢だったのではないか、という考えに駆られた。

 けれども台所に置かれた酔い醒ましの薬と、朝食代わりだと思われる竹の皮に包まれた握り飯とを見て、昨日のことが事実だったのだ、ということを思い知らされた。

「金柳道場の古葉か……」

 白鳥は呟き、何の疑いもなく握り飯を食った。

 そのまま身支度を整え、番所へとやってくる。

 朝の豆河通りは、昼間とは違って静かな雰囲気に包まれていた。人通りも少なく、店々の丁稚や若い衆の声が時折響くだけだ。

 白鳥は、何の気もなしにゆっくりと番所の引き戸を開けた。日差しが中に入りこみ、土間を微かに照らした。

 そこで、ぎくり、と足を止める。土間から一段高くなっている床の一角に平野が座っていたのである。そこは白鳥の特等席だった。程よく日が当たり、夏は涼しく冬は暖かいという、仕事には最適な場所だった。

 彼女は古ぼけた木刀を布で磨いていた。その表情は、普段の冷厳な雰囲気からは全く想像できないほど、柔らかに微笑んでは溜息と共に陰っている。

(古葉と関係があるのかな?)

 こちらには気が付いていないようだ。

 しかし、平野の横顔から目が離せなかった。ここ数日、何とはなしに感じていた違和が改めて目の前で浮き彫りになった。

 しばらく黙っていると、港の方でひときわ大きな声が上がった。周囲がどよめくほどの声だ。恐らくは船が転覆しかけたか、もしくはよっぽど高級な品か、珍品でも運ばれてきたのだろう。

 その声で平野が顔を上げた。

「あ……」

「む……」

 お互い、ばっちりと目が合ってしまう。

 平野は即座に面上の憂いと木刀を隠した。普段通りの凛然たる様相が戻ってきて、白鳥は安堵した。あのまま、ちょっと悩ましげな彼女を見るのは嫌だったからだ。いつも気を張っていて、時々優しくしてくれるくらいでいい。

 白鳥は無言で頭を下げ、昨晩のことを聞くか否か逡巡した末、思慮深くも後回しにすることにした。

ゆっくりと中に入り、引き戸を閉めた。

「珍しいですね、そこに座るなんて」

「……お前が来るまで、ここは私の特等席だった」

「なるほど。その、今日は何か急ぎの仕事はありますか?」

「いや、ないな。犯罪者が気を変えないように祈っておけ」

 平野はそのまま、そそくさと控室に戻っていった。白鳥はその背中を追い、やっぱり自分の感覚が間違っていなかったのだ、と確信した。

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