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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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五年目の真実③

 そうして二人は昼下がりの港へとやってきた。

 船がひっきりなしに行き来している。見るからに堅気ではないような男達が船べりに立ち、大声を上げていた。帆船や手漕ぎ船が、まるで弾丸のように海面を切り、沖合へと出ていく。

 今日は波も穏やかそうだった。反面風は少しだけあり、歩いているうちに浮いた汗があっという間に引いた。

 二人は目当ての店に入った。

 店は嵐のあとのような、雑然とした中で静けさに包まれている。さながら繁殖を終えた鮭の群れのように、男女が机や棚に突っ伏していた。恐らくは大口の仕事をようやっと終えたのだろう。

「すみませんが」

 と声を掛けると、勘定台のところで転寝をしていた男が立ち上がった。三十路過ぎというくらいだろう。目の下にはクマが出来、頬が痩せている。

 彼は二人が見せた印籠に、蒼白の顔をますます青ざめさせた。

「あのう、実は、たえさんのことで――」

「たえ、ですか?」

 その男は怪訝な顔をした。徳蔵の弟を呼んできてくれ、と言うと、乱れた服の裾を直して笑った。

「わたくしでございます」

「ああ、そうですか。実はあなたの兄嫁の、たえさんが目を覚ましましてね。それで旦那さんはもう亡くなっているそうですから、あなたに身元を引き受けていただけないかと思ったんです」

「はあ……」

 明らかに疎ましがるような、気のない返事を男は返した。ざっと見ると、年配の従業員も眉間にしわを寄せている。

「何か、あったんですか?」

「いえ……いえ、五年前は酷い有様でしたから。思い出す者も多いんでしょうね」

「ああ、徳蔵さんのこと……」

「それもありますが、やはり借金です」

 と男が声をひそめる。彼が言うには、たえが倒れたあと、徳蔵はこの弟に泣きついてきたのだという。その結果、借金取りが彼の店にまでやってきた。

「払う義務のないものだと主張することは簡単でしたが、それを相手に納得させるのは困難でした。店の商品を奪われたことだってあります」

「それは、奉行所には?」

「訴えましたよ。でも力にはならなかった。代わりに当時、良くしてくれる方がいて、やっと解決したという有様でした」

 男は力なくかぶりを振った。

 見れば彼の店はかなり利益を上げていそうだった。扱っている商品も、高級すぎず、されども低級すぎない。まさしくそれなり、という言葉が似合いそうだ。

 堅実に仕事をすれば、食うには困らないだけの金を稼ぐことが出来るだろう。そして、それを遂行するための誠実さも持ち合わせている。そこに目を付けた借金取りがいるのも事実だろうし、手を差し伸べる人がいるのも理解できる。

 だが、何とはなしに気になってしまったのだ。

「良くしてくれる方、ですか?」

「ええ、生糸問屋の店主なんですが、庄三郎さんと言いましてね」

 白鳥は、眉がぴくりと動くのに気が付いていた。

 しかしながら、それは本人しか理解しえない、些細なものであった。男は構うことなく話し続けているし、河津も親身になって聞いている。

「――起きない、たえさんの治療費も肩代わりしてくれたんですよ」

「なるほどなあ。そりゃ、傑物だわな」

 河津は納得した面持ちで頷いている。

 ただ一人、白鳥だけが釈然としない。家族思いだったというたえが、無意識のうちに発した庄三郎、という言葉と命名書、そして生糸で出来た巾着だ。

 白鳥は咳払いをした。男達の目が向く。

「庄三郎さんというのは、どういう人です?」

「ええと、豆河通りで生糸問屋を営んでいます。歴史は古いでしょうね。人柄としては……愛妻家というのが、わたくしの受けた一番の印象です。五歳になる息子さんも、よく懐いておりましたよ」

「息子さんがいるんですか。名前は?」

「ええと、庄太郎、だったと思いますが……」

 白鳥は何とはなしに頷いた。河津が怪訝な顔をしていたものの、あえてそちらの方は見ず、さらに質問を重ねた。

「ちなみに、徳蔵さんに付きまとっていたゴロツキは?」

「え? ええと、恵次郎と言ったはずです。この前も捕まったとかいう話ですよ。ろくでもない奴です」

 白鳥は小さく頷いた。ゆっくりと踵を返すと、二人が呆気に取られた様子で見ていた。

「……曖昧にしておくとあとが面倒ですから」

 言い訳がましくそう呟き、男には、たえのことを頼んでおいた。

 店を出るとすぐ河津が追いかけてきた。困惑した面持ちで白鳥を窺っていた。全く、彼が何を考えているのか分からなかったのだ。

 けれども往来のど真ん中で話す気はなかった。白鳥は足を止めることもなく港を抜け、市中の中央にある町奉行所の本体へと向かった。恵次郎はそこにいるようだった。

 衛兵に案内され、牢を見て回る。木枠のところに餓鬼みたいな人々が群がり、格子を揺らしていた。唸り声を上げ、虚ろな目をしていた。

「ここです。おい、恵次郎はいるか?」

 衛兵が一つの牢の前で立ち止まった。

 中には十人ばかりの男達がいる。ちょうど気の弱そうな一人を殴りつけているところだったらしい。衛兵は顔をしかめたものの、いつものことだ、と言わんばかりに目を瞑っていた。

「こちらにいる同心の方が話をしたいそうだ。さっさと来い」

 恵次郎、という名の男は、それほど若くはなかった。どう見ても五十そこそこだろう。髪の毛には白い物が混じり、右目の斜視が酷く、そして前歯がそっくりなかった。

「おう」

 元気良く返事をした彼は牢から出され、近くの小部屋に案内された。

 落ち着いた佇まいなのは、ろくでもない人間の証拠だ。彼は不敵に笑い、白鳥の前に腰を下ろした。二人の間には小さな正方形の机があるばかりだ。

 白鳥はその上に、巾着と、その中に入っていた命名書を広げた。恵次郎は眉をひそめている。

「五年前、あなたが取り立てをした人間の中に、徳蔵さんとたえさんという夫婦がいたと思うのですが」

「……ふうむ」

「徳蔵さんが病気がちで、たえさんが身を粉にして働いていました」

 恵次郎は顔のしわを伸ばしながら、じっと天を見上げている。

 河津が険しい顔をしたものの、白鳥はそれを抑えさせた。恵次郎が何かを考えていることは分かる。非協力的なことだったら、その時は殴りつければいい。

「……ああ、長屋のか。弟が廻船問屋をやっていた」

「そうです。これは、そのたえさんという女性が持っていた物なんですが、見覚えは?」

「あるといえばあるし、ないといえばないな」

 恵次郎は犬のように舌を出しながら笑った。ということはあるのだろう。白鳥はそれらを片付けながら、ぼそりと呟いた。

「そうですか。残念です。恩赦も考えられる案件だったのですが……」

「え?」

「いえ、もう良いんですよ。あなた、この人を牢へ――」

 とそっけなく言おうとした白鳥に向かって、恵次郎が手を上げた。衛兵が怪訝な顔をしている。白鳥は頷き、彼を元の位置に戻らせた。

「じゃ、聞きましょうか」

 恵次郎は途端に顔を紅潮させた。

「ああ。見たことがある。庄三郎という男が渡していた」

「それは、どこの誰です?」

「豆河通りで生糸問屋をやっているんだ」

 河津が息を詰めた。白鳥は、恵次郎を真っ直ぐ見つめながら、かぶりを振った。

「まさか。彼はあなたと付き合う必要もないほど、清廉な人ですよ?」

 だが、恵次郎は激しく首を横に振った。机に手をついて身を乗り出し、白鳥に向かって声を低めた。

「そんなことはない。奴はあんたが思っているような奴じゃない。昔から女癖の悪い奴だった。その尻拭いを俺達にやらせていたんだ」

 そう言って恵次郎は白鳥の横帳と筆を奪い、何人かの男と船の名前を書いた。どうやらとびきり柄の悪い船頭と水夫らしい。

「あの日もそうだった。たえが突然、庄三郎の店に来たんだ。子を孕んだって。庄三郎は奥さんにばれたくなくて、俺達を呼びつけて徹底的に痛めつけろと言った」

 河津が鼻息荒く何かを言いたそうにしていた。白鳥は、そんなことには気づかず、命名書を広げ直して恵次郎の字と比べた。

「あなた、字が綺麗ですね。この命名書、あなたが書いたんですか?」

「ああ。昔から母ちゃんに褒められたよ。どこでこんなことになっちまったんだろうなあ。それで恩赦の方は?」

「……あなたの話を裏取りしないことには、どうしようもありませんねえ」

「じゃあ、早くしてくれ。来月、娘が結婚するんだ」

 それにぜひとも出席したいのだという。何とも自分勝手な話だ。白鳥は眉間にしわを寄せた。

「あなた、人を二人も殺した実感がありますか?」

「あ?」

「たえさんのお腹にいた子供と、徳蔵さんを殺した自覚があるかと聞いているんですよ」

「あるわけないじゃねえか。子供は生まれてねえんだし、あの夫の方は病死だ」

 白鳥は溜息をついて立ち上がった。

 口やかましくなおも懇願する恵次郎を冷淡に見下ろし、かぶりを振って部屋を出た。

 あとから河津の怒号と、恵次郎の悲鳴が聞こえてきたが、彼は全く足も止めずに奉行所を出た。

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