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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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五年目の真実②

「それで、何から話したらいい?」

 診療所の、自分の診療室に戻ってすぐ医師が冷眼を向けてきた。

 その様子だと何かを知っているらしい。河津は険しい顔をしている。

 あの女は布団に簀巻きにされていた。身動きが取れないようにだ、と医師の弟子達は説明してくれた。けれども、そこまでする必要はないんじゃないか、と白鳥などは思うわけである。

「じゃ、まずはあの女の素性から」

「たえ、という。五年前からこの診療所にいる」

「何故です?」

「五年前、ここに運ばれてきた時、あの女は何者かに暴行されたあとだった。分かるか? 暴行だ。ありとあらゆる暴力的な行為を受けた状態だった。それから五年もの間、目覚めず、眠りっぱなしだった」

 白鳥は怪訝な顔をした。河津も同様だ。医師が言うには、この五年間、目を覚ますこともなかった女が、突然数日前に起き出して、そしていなくなったという。

「いなくなった? 報告は?」

「してないな。すぐに戻ってくると思った。あの女には、ここ以外に帰る場所はないと言い含めておいたから」

 白鳥はむっとしたが、けれども何か言い返そうとするのを河津が止めた。

 医師にも他の仕事がある。あの女にばかりかまけているわけにもいかない。

 それよりも女の事情を探る方がよさそうだった。彼女は寝たまま起きずにいたから、診療所にいることが出来た。起きてしまったら、追い出されるのは必然だ。

「で、あの女の家族なんかは分かんねえのか?」

「ああ、一応、緊急連絡先に指定されている夫に使いを出したんだが、家を引き払っているらしいな」

「名前は?」

「徳蔵、というようだ」

 その名を聞き、白鳥は眉間にしわを寄せた。なおも医師から話を聞こうとする河津を止め、白鳥は口を開いた。

「庄三郎という名前に心当たりは?」

「ない」

 そっけない医師の言葉に白鳥は首をかしげた。その後も、いくつか河津が質問を重ね、大した収穫もなく診療所を出る。

 二人はすぐさま番所に戻って報告を済ませた。普段よりも遅く帰ってきた部下達の話を、平野は真面目な様子で聞き、頷いている。

「分かった。とりあえずは夫の徳蔵を探せ」

「はい」

 二人は頷き、まだまだ日差しの強い市中へと飛び出した。

 一応、医師に徳蔵の住所は聞きだしてある。

 長屋にも格差はあって、部屋も広く立派な佇まいのところもあれば、板を重ね合わせた建物に藁ぶき屋根、という貧相な場所もある。

 徳蔵とたえの夫婦は、どうやらあまり良い生活をしていないようだった。その長屋の近辺は明らかに柄の悪い連中が住む、貧民街といって差し支えない地帯である。

 遊ぶ気力もない子供達が家の壁際にもたれかかって白鳥達を見ていた。男達も別段仕事をする様子もなく煙草を吸っている。女達は文句を言いながら井戸の水を汲んでいた。

「何とも言えない場所ですね……」

「気を抜くなよ。財布すられるだけじゃすまねえぞ」

 河津は辺りに殺気を振りまいていた。その形相に、そそくさと男達がいなくなる。女達は作業の手を止め、じっと見ていた。そちらの方に白鳥は近付いた。

「すみません、ちょっとお話を聞きたいんです。五年ほど前に、この辺りに徳蔵という人が住んでいたと思うんですが……」

 女達は顔を見合わせた。そのうちの一人、しわの刻まれた四十そこそこの女が手を叩いた。

「ああ、徳蔵さんね。亡くなったわよ。五年くらい前に」

「え?」

「奥さんが倒れたあとよ。すぐに亡くなっちゃって。元々病気がちだったしねえ」

 最初の情報が出ると、あとは簡単だった。まるで堰を切る濁流のように、徳蔵とたえの話が女達の口からまろび出る。白鳥は急いで横帳に記入していった。

「あそこの旦那さん、事業に失敗してねえ」

「そうそう。その上病気になって、奥さんが必死に働いていたわよお」

「どこだっけ? 戎屋?」

「それと、船屋かなんかで荷揚げの仕事もしていたって」

 そんな話が、とりとめもなく交わされる。

 白鳥は、会話が途切れないよう必死に相槌を打った。その様子を河津が唖然とした様子で見ている。

 女達の口は、この世のどんなからくり装置よりも滑らかに軽く動いた。言葉が簡単に紡ぎ出され、要点も分からぬ話がいくつも流れていく。

 傍から聞いていたら気が狂いそうになるだろう。実際、白鳥も頭の中が混乱しそうだった。同じ話を三度繰り返されると、手が止まり、舌打ちをしそうになる。それでも何とか会話は円滑に進めた。

 それによると、たえという女性は実に殊勝だったらしい。借金を背負った夫の徳蔵の為に、身を粉にして働いたのだという。

 口を開けば夫の自慢話ばかり。彼の為に働くのは苦でもないとのたまったのだそうだ。

 そして女達が言うには、そんなたえを襲ったのは借金取りだろう、というのである。

 如何に彼女が勤勉であっても、増え続ける利子と減らない元金、それに夫の薬代や生活費を同時に稼ぐことは困難だ。それで借金取りが何度も長屋まで来ていたそうである。

「そりゃ、もう凄かったんだから」

「怒鳴り声とか?」

「そうよお。時には部屋まで上がり込んで、臥せっている徳蔵さんを働かせようとまでしたくらいだもの」

 借金取り達は、市中の港の近辺をうろつくゴロツキだったという。

 法も何も無視を決め込む不法者達なのだが、徳蔵はそういうところから借りないとならないほど困窮していたのだそうだ。

「お店、よっぽど駄目だったのね」

「ちなみに亡くなった時、誰か死体を引き取りに来ました?」

「ええ、弟さんが」

 そう言うと、また別の女が口を挟んできた。

「どこの人だっけ? 廻船問屋をやっているとか、何とか言っていたわよね」

「そうそう! 生きているうちに助けろって話よねえ」

「ねえ! 全部終わったあとに来るなんて、非常識よ。それよりもさあ、徳蔵さんを何度も訪ねていた男の人、いるじゃない?」

「ああ、良い男だったわあ。どっかでお店やっているんだってね」

 奥様方が勢い良く頷きあっていた。

「水も滴るってのはああいう男よ。他人の為に身を投げ打つなんてさ」

 とまたしても姦しい会話が始まってしまった。

 白鳥は頬を撫で、ぼんやりと女達の話を聞いていた。いずれ情報が出るだろう、と水を差す気力が湧かなかったのだ。

 けれども厳しい顔をした河津が着物の袖を引いてきたため、筆の尻で額を掻き、無理やり話題を引き戻した。

「それで、場所は分かります?」

 女達が口を揃えて教えてくれた。白鳥はにっこりと笑って礼を言い、そのまま井戸端を離れた。どっと疲れがぶり返してくる。頭が痛くなりそうだった。

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