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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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時を越えて③

 勝負の朝がやってきた。

 明け方、商品を荷車に乗せた二人が番所に姿を現した時、ほんの一瞬、両者の間に火花が散ったような気がした。ただ、一瞬で終わったのは此八が視線を下向けたからだった。

「ふん、店じまいの準備だけはしておけよ」

 藤平が吐き捨てるように言った。この勝負は藤平の提案により、莚の上に商品を並べ、二人が自ら売り子となって商品を売る、という方式が取られた。

 口の立つ同心が売っても良かったが、自らの手で引導を渡したい、という藤平の願いによってそうなった。

「じゃ、今から日暮れまでです。厳密にいえば、屋根越しに太陽が見えなくなったら、営業終了です」

 白鳥が一応の補足を加える。此八は真っ青な顔で真面目そうに頷いている。それに比べると藤平は不真面目に、鼻歌を歌いながら、周囲を見回していた。

 その様子に白鳥は溜息をつき、そっけなく合図を出した。

「じゃ、始めてください」

 その声を皮切りに、二人はいそいそと準備をし、口々に売り口上を並べた。やはりというかなんというか、声が良く通るのは藤平の方である。

 これは全くの余談であるが、番所の前の通りに人を集めるため、事前に周囲のいくつかの小道を通行不能にしておいた。それが同心としての、白鳥に出来る限界であった。

 この効果か、番所の前は普段よりも三割ほど多くの人が流れ込んでいるようだ。

 真っ先に人が集まったのは藤平の方であった。彼は朗々と商品を売り込み、道行く人々の足を止めさせ、そして煌びやかな商品で目を集中させた。

 人だかりはあっという間に出来た。藤平の周りには目利きの良い商人達が集まり、商品を手に取り、品評している。対して此八の方は顔を真っ赤にして俯いている。

 その勝負序盤の状況を見て、白鳥と河津は顔を見合わせた。

「俺の勝ちだな」

 河津はにやりと笑い、白鳥の肩を叩いた。今晩はとびきり高い酒を飲んでやる、と宣言しながら番所の中に戻っていく。

 対して白鳥は冷めた目で藤平を見つめた。メッキは剥げるものだ。いずれ人々は地金に気がつくだろう。

「ま、勝負はこれからですよ」

 そう呟いて白鳥も番所に戻り仕事に集中した。

 とはいえ、勝負を検分するために、かなり頻繁に表に出る。

 勝負の流れは一時間経っても藤平の方にあるようだった。此八も何度か声を掛けはしたものの、買い付けに来た商人達は売り物にならない、と無視して藤平の方に行ってしまう。

 まあ、そういうものだ。武骨で実用的な商品は、往々にして商人達には人気がない。

「お前、観念しろよ」

 時間を追うごとに河津の顔が下卑た笑みに染められる。何とも破廉恥な男だ。白鳥は知らずのうちに舌打ちをし、藤平を観察した。

 彼は熱心に商品の説明をしているようだ。時折、閑古鳥が鳴いている此八の方を見ている。その度に鼻で笑って、周囲にいる人々に自分の美しい商品を売る。

 ただ、此八の方にも全く客がないわけではなかった。一般的な民衆は、此八の商品に目をつけているようだった。

「なあ、これ長く使えるか?」

 とある一人の男が、此八の前にしゃがみこんで急須を手に取った。此八は、ぱっと顔を華やがせ、たどたどしく商品の説明をする。孫の代まで使えます、持って来て下さればいくらでも修理いたします、と。

 男は満足そうに頷いた。値札を見、財布から金を取り出す。それがこの日、此八が売りあげた最初の商品だった。

 その瞬間、潮目の変化を白鳥の目は捉えていた。

 隣で余裕綽々の河津の肩を叩き、そっと呟いた。

「勝負はこれからですよ。藤平の客は昼を境にいなくなる」

 白鳥は片方の口の端を歪めるようにして笑い、また番所に戻った。河津は未練がましく番所の入口に立ち、藤平に念を送っているようだった。

 白鳥の直感が正しいことが証明されたのは、彼と河津が昼飯の為に番所を出た時だった。

 先ほどまでの喧騒が嘘のように引いていることは耳が捉えていたものの、そこには予想外の光景が広がっていた。

 緊張のあまり汗を掻く此八の周りに客が集まっているのだ。

 藤平の商品は繊細で美しいが、その分、手入れが面倒なのもあるし、何より値段が高い。

 商人が上流階級の連中に売ったり、美術品として横流しする分には構わないのだが、一般的な民衆からは受け入れられない。金箔が張ってあったって、精緻な模様が描かれていたって、茶の旨さは変わらないからだ。

 これに対して此八の商品は、一見すると不格好だが、手に取るとその頑丈さや、造り手の細やかな配慮などが見て取れる。また、此八が市中に店を出している、というのも民衆にとっては好材料だった。

 白鳥達が蕎麦を食い、戻ってきた時にはもう朝方とは形勢が逆転していた。

 藤平が半ば怒鳴るようにして客寄せを行ない、此八の方は物を売るために目の回るような忙しさの真っただ中にあった。口上などをする暇さえなさそうだ。

「……勝負あり」

 白鳥は不敵に笑った。

 唖然とした河津は、まだ分からん、と未練がましく言ったものの、藤平の方に客が戻ってくることはなかった。商人は鉄のようなものだ。熱い時には寄ってきて、あっという間に冷えて離れる。

 めまぐるしく商品と貨幣が行き交い、あっという間に黄昏の時が訪れ、白鳥は勝負の終わりを告げた。

藤平はぶつくさと言っていたものの、規則は規則だ。

「さて、売り上げの方ですが……」

 ざっと見たが、数えなくともよさそうだった。二つの筵の一方には商品がほとんどなくて、もう一方には最初の半分ほどが残っている。

 藤平の方は最初こそ客が来たものの、途中からは閑古鳥が鳴いた。商人達は商品を買ってくれたが、完売するには至らなかった。というよりも美術品として見られたため、それほど多くは売れなかった。

 対して此八の方は、市中に住む人々がこぞって買った。一人につき一品しか買わなかったとしても、完売に等しい量を売る結果となった。

 それが導く当然の帰結として、此八の方が多く売り上げた。藤平はどす黒い顔をして、こいつの商品の値段が安かったからだ、と文句を並べた。

 白鳥はそれを咳払いで制し、勝ち誇った顔で宣告する。

「例えそうだったとしても、この勝負は此八さんの勝ちです」

「だが――」

「そう言うなら、あなたももっと安い物を売れば良かったでしょう?」

 藤平は苦々しげに溜息をつき、舌打ちをした。此八の方は呆気に取られた様子で、勝ったことが信じられないようである。

「はい、この勝負は終わり。此八さんは今まで通り店を営業するように。藤平さんは、どうぞご勝手に。不当な悪評などを流したら、今度はこの番所にご案内しますからね」

 白鳥が手を叩いて撤収を命じると、道の角から此八の妻と弟子が飛び出してきた。

 勝った此八を抱きしめ、もみくちゃにしている。その様子を藤平は唖然とした様子で見つめていた。たった一人、二十年間修業をしてきた代償がこれとは何ともやるせない。

「まあ、気を落とさずに……」

 白鳥が彼の肩を叩いた。藤平はびくりと体を震わせ、血走った目で白鳥を睨んだ。眉間にしわが寄る。その様子に、何だか違和を感じた。

 段々と辺りが薄暗くなる。のろのろと莚を片付けていた藤平の下に、作業場を貸していた金太夫の弟弟子が提灯を片手にやってきた。その後ろには中年の女と幼子がいる。

「勝負は?」

 金太夫の弟弟子が尋ねた。白鳥がかぶりを振ると、この老人は溜息をつき、後ろにいる母子にも同じように首を横に振った。

「この人達は?」

 白鳥が問うと、金太夫の弟弟子は乱れた髪の毛を直しながら微妙な顔をした。藤平は朝方とは打って変わって蒼白の顔をしている。中年の女が藤平の手を取った。

「あんた、ここで店を開く話はどうなったの?」

 藤平は口をつぐんだままだったから、金太夫の弟弟子が苦々しい顔をして呟いた。

「藤平の奥さんと娘さんだ。……こいつ、修行した先で店を開いて、結婚して子供をもうけていたらしい。で、経営が上手くいかなかったから、市中に戻ってきたんだとさ」

 白鳥は目をひんむいた。

「あなたも、金太夫さんの命令を守らなかったんですか?」

 藤平は目を瞑り、険しい顔をした。金太夫の弟弟子が白鳥の肩を叩いた。

「やっぱり、二十年はやりすぎだよ……」

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