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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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時を越えて②

「もう諦めろよ。引き受けちまったものはしょうがねえじゃねえか」

 それから何度となく溜息をつく白鳥を、河津は慰めた。やる、と言ってしまった以上は、自分に出来ることを最大限にやるべきだ。

「まあ、そうですよねえ」

 面倒な気分もあるし、どうしてこうなったという気持ちがないわけでもない。しかし、河津の言う通り、引き受けたからにはきちんと仕事はこなさなければならないだろう。

 それで白鳥は、警邏の途中で知り合いに声を掛けていった。

 七日後、番所の前で鋳物を売ります、と。

 勝負の詳細は言わないでおいた。人の噂は広がりやすいものだが、当事者が口をつぐんでいるから、二人の鋳物師が競争することも、金太夫のことも知られることはなかった。

 藤平は金太夫の弟弟子だという老人の作業場を借り、持参した型を用いて仕事をすることになった。此八はかつて金太夫が営んでいた作業場を継承している。

 嵐の前の静けさとでもいうべきか、時間はあっという間に、されども穏やかに流れていった。どちらも作業は万全のようだ。何事もなく五日が過ぎた。

 いよいよ勝負が翌日に迫り、白鳥と河津は警邏の片手間に二人を訪問することにした。翌日の準備が出来ているのかどうか、確認するためだ。

 まず向かったのは此八の店だった。

 かつて彼らの師である金太夫が開いた店で、一等地からは離れているものの、人の流れは悪くない。鋳物作りは火を使うし、音も出る、ということで港の近くの昼夜を問わずに少々うるさい場所を選んだのだろう。

 此八の店には、ちょっとした人だかりが出来ていた。

 何かと申せば、此八自身が珍しく根を詰めているというのもあるし、二十年前、彼の好敵手だと思われていた藤平を見た、という者もいたからだ。

「おい、何か関係あるのかい?」

 と詰め寄ったというわけである。店の前では此八の妻が客を威嚇している。彼女は藤平との勝負のことを知っている。少しでも夫を集中させてやろうと意気込んでいるのだ。話を聞いた限りだが、彼女は金太夫の娘であるらしい。

 二人の同心が店に顔を出すと、客はあっという間に引いた。まあ、好んで同心とお喋りしようというのは、よほど行き場のない老人か、金がない若者くらいなものである。

「よお」

 と河津が声をかける。此八の妻が睥睨し、すぐに表情を和らげた。

 作業場では此八が、弟子達に熱心に指示を出しながら、汗水たらして働いている。素人目で見た限りだが、此八の腕は並以上であるようだ。動きに澱みや迷いはなく、指示は的確だ。弟子達も必死の形相である。

 同心と妻が作業場に入る物音で、此八が顔を上げた。よほど集中していたのか、彼は口をぽかんと開け、それから顔を真っ赤にして弾けるように立ち上がった。

「あっ! ど、どうも!」

「ええ、こんにちは」

 白鳥は素直に頭を下げ、此八が仕上げた商品を見やる。鉄製の急須のようだ。どことなく武骨な見た目だが、質は良さそうである。此八は恥ずかしがるように商品を自分の背に隠し、精一杯ぎこちない笑みを浮かべた。

「あの、ええと、今日は何の御用ですか?」

「はい。調子はどうかと思いまして」

「え? はは、普通ですよ」

 此八は恥ずかしげにはにかんだ。働き者の妻が茶を淹れてくれる。冷めてますけどね、と彼女は笑い、此八や弟子達にも湯呑を渡していた。

 作業場はむっと来るような熱気に包まれている。井戸水か何かで冷やしたのだろうが、それが胃の腑に落ちる感覚が心地よい。

 此八は、そんな妻に優しげな笑みを向け、椅子に座っているように、と諭していた。別段妊娠しているというわけではなさそうだが、確かに良く見ると、妻の方も疲れているように見える。

「大変そうですね」

「ええ、もちろん悪いのは私ですが」

 と俯く此八の背中を妻が叩く。にっこりと笑っている。

「あなたのせいじゃないわよ。お父さんが悪いの」

 白鳥は首をかしげた。この時ばかりは此八も弟子達も手を休めていた。

「どういうことです?」

「お父さん、五年前に倒れたんです。それで、どうしても二人の様子が知りたいって、手紙を送ったんですよ。届くかは分からなかったけど。亡くなる間際になって此八さんだけ戻ってきました。そこで種明かしをしたんです」

 妻は呆れたように溜息をついた。白鳥がちらと此八を見ると、彼は顔を真っ赤にし、右手で口元を隠しながら言った。

「ほんの冗談だったそうです。二十年は長すぎるって。いずれ技術を修めて、戻ってくるなり、名を上げるなりするだろうと思っていたそうです。ただ、私達はあまりに忠実すぎた。私もここに戻ってくるまで、一心不乱に修業に明け暮れていました」

 そこで妻が口を尖らせた。

「二人とも頑固なのよ。音を上げて戻ってきてしまえば良かったのに」

 此八は苦笑いをし、かぶりを振った。

「でも、師の言葉に背いたのは事実です。藤平が店の看板を欲するのなら、私達は素直に明け渡して、どこかで再起を図ろうと思っています」

 肩を落とし、此八はまた仕事に戻った。その姿は真剣そのもので、気恥し屋な彼の一面はなりをひそめた。

 今度は藤平の元へと向かった。こちらも港の一角に居を構えた、師である金太夫の弟弟子の作業場にこもっているようだった。何人かの船乗りが遠巻きに見ている。理由は明白だ。作業場の中から怒号が響いていた。

 藤平は金太夫の弟弟子だという老人を怒鳴りつけ、作業にけしたてている。何とも古い職人のような態度だ。老人はぶつくさと文句を言いながら、火に向かっていた。

「全く……、さぼるんじゃねえ」

 悪態をつきつつ木桶を蹴り飛ばした藤平は、戸口に立っている同心達に気が付くと笑顔に切り替えた。

「やあ、様子でも見に来たんですか?」

「ご明察です。どうです?」

「完璧ですよ」

 そう言って藤平は商品を見せてくれた。

 此八が作る物よりも線が細く、洗練されていた。おまけに表面には美しい装飾が施され、芸術性にも富んでいる。一見して彼の技術力が勝っているように見える。

「それは良かった。さっき、此八さんとも話してきたんですが……」

「まんまと店を手に入れた屑だ。師の言葉を無視して、あまつさえ師の娘をたぶらかした」

 藤平は唸るような声を上げた。老人が何か言いたげな顔をしたものの、また喚かれてはたまらんと首を振った。その様子を見ながら、白鳥は問うた。

「あなたは二十年も修行に明け暮れた。見たところ、此八さんよりも腕は良さそうです」

「当たり前ですよ。あんな腑抜けと一緒にしないでください。明日は恥を掻かせて、この市中に居られなくしてやります」

 藤平は傲然とそう吠えたけた。

 結局、そうして勝負の前日は過ぎた。何とも対照的だ。自信がなく、実直な此八。自信過剰で、華美な藤平。

「勝負は見えているじゃねえか」

 河津が気の毒そうな顔をした。だが、白鳥は不敵に笑った。

「じゃ、賭けます? 僕は此八さんが勝つと思いますよ」

「……いいだろ。俺は藤平だ」

 景品はその晩の酒代ということにする。こうして清廉な鋳物師の勝負の他に、同心による薄ら暗い賭け事も行なわれた。

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