時を越えて①
「あのう、白鳥さんはいませんか?」
と突然、番所に壮年の男が二人、訪ねてきた。昼下がりのことである。
警邏を終え、白鳥と河津は冷たい水を飲んでいるところだった。二人は揃って顔を見合わせ、深刻そうな表情の男達に視線を向けた。
見たところ四十は越えているであろうという、壮年の男達だった。どちらも深刻そうな顔をしている。白鳥は二人を番所の中に招き入れた。
「ええと、何か?」
一人は弱気そうな男だ。どこかで見た覚えがあるから、恐らくは市中の人間なのだろう。もう一人の怒り顔の男の方は見覚えがなかった。
二人は鋳物師だという。弱気な方が弟弟子の此八で、怒っている方が兄弟子の藤平というらしい。かつて金太夫という市中屈指の鋳物師に教えを請うていたのだそうだ。
「なるほど……で、何故僕のところへ?」
白鳥が首をかしげると、此八が泣きそうな顔で兄弟子を見た。
それを受けて口火を切ったのは、兄弟子の藤平だった。
「実はですね。二十年前、私と此八、それに師である金太夫とで一つの取り決めを交わしたのです――」
藤平はじろりと此八を睨みつけ、吐き捨てるように言った。
「――二十年間、鋳物師として各地を巡り、修業をするように、と。この間、店を持つことも、妻を娶ることもなく一心不乱に修行に集中しろと言ったんです」
中々話が見えてこない。白鳥が首をかしげると、此八が微妙そうに話を継いだ。
「師は優れた鋳物師に店を譲ると、その、言ったんです……」
「ええと、話は分かりましたけど、それで、何故僕が?」
藤平が傲然と胸を逸らした。
「ええ、私は言いつけ通り二十年、修行を積んでまいりました。そして市中に戻ってきたのです――」
爛々と目を光らしたまま、勢いよく弟弟子を指差した。
「――そうしたら、この卑劣漢が、のうのうと店を継いでいるじゃありませんか!」
「はあ」
「話を聞けば、金太夫は五年前に流行り病で亡くなったとのこと。この此八という男は、それをいいことに市中に居を移して、私を出し抜いたんです」
「なるほど。で、僕のところに来た理由は?」
今度は此八が前に出てきた。何とも息はぴったりだ。
「実は、金太夫も私も、白鳥屋さんには大層お世話になっておりまして、ことの決着をつけていただけないかとお願いしたところ、それならば息子に任せる、と言われたんです」
素直に白鳥屋の長男に持って行けばいいものを、何故か白鳥に持ってきたのだという。
何とも迷惑な話だ。内心では憤りが渦巻いたが、唾を飲み込んで何とか収める。
舌打ちをするわけにはいかない。二人の鋳物師は、それぞれ堂々と、そして臆病そうに白鳥を窺っていたからだ。
「どうしましょう?」
話を終え、此八が尋ねてくる。
「どうしましょうね?」
と白鳥は返し、首をかしげた。
「……というか、別にいいんじゃありません?」
「は?」
投げやりな言葉を吐いた白鳥に、藤平が怪訝な顔をした。その顔は怒りで歪んでいる。
「だって、あなたも修行していたんでしょ? どこかで店を開いたら?」
「な……な、何を言っているんですか! 師との約束を破った男が、何の代償もなく店を開いているというのに、何故私だけが不利益をこうむらねばいけないのですか!」
「じゃ、此八さんが開店資金を負担すればいい」
ちらと気弱な此八を見ると、彼はそれに納得しているようだった。けれども何が気に食わないのか、藤平は唸るようにかぶりを振った。
「い、いいわけがないでしょう? この男の悪事を周知させてやらないと!」
「そうですかねえ……はあ、面倒くさいなあ。で、あなたはどうしたいんです?」
藤平は顔を真っ赤にしながら、鼻の頭にしわを寄せた。
「恐らく、生きていれば師は私達に勝負をさせたでしょう。どちらが優れた鋳物師か、競わせたということです。それによって、この男のメッキを剥がしてやりますよ!」
ちらと此八という弟弟子の方を見た。彼は恥ずかしげに顔を赤くして俯きながら、自分もそれでいい、と頷いた。
なんだかなあ、と白鳥は思った。鼻息荒く意気込む藤平と、恥ずかしげに顔を赤くしたり怯えたように青くしたりしている此八とを見て、そんなに名声は必要だろうか、と思わされてしまう。
そもそもの問題として、優れた鋳物師とは何か、ということが問題として付きまとう。
白鳥には技術的なことは全くと言っていいほど分からない。では、どこかに鋳物師の知り合いがいるかといわれると、これもいない。彼らの優劣をどのようにしてつけるのか、それが全く分からないのである。
さっさと断っても良かったのだろうが、何となく邪険にするのも憚られ、白鳥はうんうんと唸りながら辺りを行ったり来たりした。
その様子を見て、河津が首を捻った。
「そもそも、鋳物師の優劣ってどう決めるんだ?」
自信ありげに答えたのは藤平であった。
「そりゃ、美しい物を作るのが一番だ」
「あんたは?」
と河津が此八に水を向けると、彼は自信なさそうに弱々しい声で言った。
「やっぱり、人に必要としてもらえる商品じゃないでしょうか」
二人は随分と違う思考を持っているようだ。
白鳥はさらに頭を悩ませ、二人を交互に見やった。
「あの、父は、僕に全部任せると言ったんですか?」
「ええ、息子が取り仕切るから、と」
どっちの息子でいいなら、やっぱり長男のところに持って行ってもらいたい。
けれども二人の鋳物師は、何故か白鳥に助けを請うようにして熱視線を送っている。
「で、どうします?」
藤平がせっついた。
困惑ぎみの白鳥は、考えに考えた末、ひとまず上司に相談することにした。一日休暇は無理でも、半日くらいは休めないかと思ったのだ。
控室に入ると、すでに事情を聞き及んでいた平野が、白鳥が口を開くよりも早く言葉を述べた。
「構わんぞ」
「はい?」
「ここでひと勝負させてみたらどうだ?」
平野は面白がっているようだ。顔を上げた時、冷徹な表情を微笑が彩っていた。
「……ここで、何をするんです?」
「彼らに商品を作らせて、売ってみるのはどうだ?」
「売る、ですか?」
「優れた鋳物が何かは知らんが、鋳物は商品だろう? ならば、より多く売った方が勝ちだ。分かりやすいのではないか?」
白鳥は唸り声を上げた。それでは此八が有利になり過ぎる。
だが、二人にそう持ちかけると、よほど腕に自信があるのか、藤平が大きく頷いた。
「作業場さえ貸してくれりゃあそれで良い。細かい規則はあとで決めればいいさ」
ひとまず、七日を置いて勝負することとなった。
番所の前で莚を敷き、そこに商品を並べて売る。その収益の多少で勝負をつけようというのである。
商品の販売数や売上でも良かったのであるが、鋳物師といえども商人である。やはり儲かるのが一番だ、という白鳥の意見を採用した。
そうして二人は去っていった。まるで嵐のようであった。やっぱり父の言伝に釈然とはしないものの、引き受けてしまった以上は致し方あるまい。