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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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両替商強盗事件③

 その手代の話を聞き、白鳥は憤然と立ち上がった。

 呆気に取られている同僚に手代を預け、白鳥は土足のまま一段高くなっている床に上がり、雑然とした勘定台の脇を抜けて店の奥へと向かった。

 手代の話が正しければ、店の奥に番頭がいるはずなのだ。

 果たして、店の裏手に入った時、青ざめた顔の番頭が廊下で立ちつくしていた。

 店の裏側には中庭や金蔵があり、重厚で物々しい鋼鉄製の扉が、ぴったりと閉じられている。日差しを浴びて、普段の静寂を保っているようだ。

 白鳥が現れたことに、番頭は少しだけ驚いた顔をしていたが、すぐにいつもの柔和な笑みに戻った。

「……ああ、白鳥さん」

 その笑みはぎこちなく欺瞞に満ちている。今となってはそれが手に取るように分かる。見えている金蔵のうち、一体どれを開け、客を謀ったのだろうか。

 腹立たしい気分になる。自然、白鳥の口調はぶっきらぼうになった。

「頭巾の男は?」

「追いかけたんですが……取り逃がしました」

 番頭は苦笑いを浮かべ、髪の毛を掻いた。普段仕事では見せないような弱気な態度だ。白鳥は咳払いをして、その番頭の肩を掴んだ。

「僕は嘘が嫌いです」

「……はあ」

「それだけを知った上で、質問に答えてください」

 番頭はおずおずといった感じで頷いた。白鳥は咳払いをし、一つの躊躇いもなく問うた。

「あなた、あの頭巾の男のことを知っていましたね?」

 白鳥は険しい表情で彼の顔を睨み続けた。視線を逸らさせるわけにはいかない。掴んでいた手に力がこもり、番頭が呻き声を上げた。それでも力を緩めたりはしなかった。

「正直に答えた方が身のためですよ」

「……そんな事実はありません」

 番頭は真っ直ぐ睨みながら言った。

「そうですか……」

 白鳥は力なく首を振る。後方に待機していた同心に声を掛けると、四十路の厳つい顔に軽薄な笑みの仮面をつけて、ゆっくりと姿を現した。

「この人も連れて行ってください」

「え?」

 驚いた顔をする番頭に、白鳥は業を煮やした。思わず冷眼を向けてしまう。

「あなたは、あの頭巾の男と結託して金を盗んだ。手代が吐きましたよ。頭巾の男に協力するよう、彼に命令したそうですね」

「それは……」

「とんでもない男ですよ、あなたは。自分の権力を悪用して店を襲わせた」

 呆れた様子で糾弾する白鳥に、番頭が愕然とした。腕を取り、強引に連行しようとする同心達に抵抗しながら、彼は喚き声を上げた。

「待ってください! 誤解です!」

「反論は彼らにどうぞ」

「本当です、話を聞いてください。彼は、あの頭巾の男は店の金を盗んではいません」

 白鳥は番頭を睥睨した。同心達を止め、彼に首をかしげた。

「どういうことです?」

「正確には、彼が持って行った金は私の物です」

「……二人で計画して、この店に押し入らせて、頃合いを見て逃げたんでしょう? だから手代に言い含める必要があった。あの爆弾のことも」

 ぱっと鳳仙花が種を弾くように、番頭は同心の手を振り切り、白鳥の足元で膝をついた。彼は普段では考えられないほど取り乱した様子で、板張りの廊下に額を擦りつけた。

「違うんです。彼がここに押し入ろうとしたことも、私に話を持ちかけてきたことも事実です。でも、私は協力しなかった。この計画はあまりにずさんすぎた」

「でも、あなたは彼の為に働き、逃がした」

「それは誤解です。爆弾が本物かどうか、判断が付かなかったのです。手代を傷つけるわけにはいかなかった」

 番頭は悲痛に頭を抱えた。白鳥はその後頭部を冷淡に見下ろした。

「どういう意味です?」

「……あの爆弾のことは、あなた方同様、全く知らなかったのです。そもそも、あなたが店に来たことさえ、不幸な偶然だったんですから……」

 番頭の目からは自然と涙がこぼれ落ちた。板張りの廊下に水滴が落ち、日差しを浴びてきらきらと輝く。番頭はますます熱心に白鳥の足に縋った。

「まあ、ほら。顔を上げろよ」

 同心達が同情的に肩に手を置いた。番頭は苦しげに一つ息を吐き、脂ぎって青ざめた顔を上げた。その瞳には、恐怖と困惑が繊細な色彩のように混ぜ込められていた。

 確かに白鳥が同心だということを番頭は知っている。もしも協力者なら、もう少し慌てて追い出すような気はしなくもない。

 結果的には居眠りをして、事態に巻き込まれたのではあるが。

「あの男は、どこの誰です?」

 白鳥が冷徹な声で尋ねると、番頭は歯を食いしばりながら、うなされるように答えた。

「かつて、この両替商で共に働いていました。正吉と言います。……彼は金を増やすのが上手かった。旦那様にその腕を買われて、同期では一番の出世頭だった」

「……その彼が、何故?」

「若くて、自制心がなかった。給金が増えるほど、浪費は加速度的に激しさを増した。最後は莫大な借金の利息を払うためだけに、危険な投機に手を出して、そのまま……」

「正吉さんはどこに行ったんです?」

 番頭の頬が涙で濡れていた。目を充血させ、鼻を何度もこすった。

「別れた奥さんのところだと思います……。今度、再婚するんだそうです」

「金を持って行けば、どうにかなると考えた?」

「恐らくは。……ねえ、私の金は良いんです。奴を止めてください。思い余った行動に出るかもしれない」

 白鳥は同心達と視線を交わした。事情はどうあれ、ひとまずは番頭の言うことを聞くことにしたのである。彼が嘘を言ったか否かは、正吉を逮捕したあとに聞けばいい。

 厳つい顔をした同心は、遅れてやってきた汗みずくの目明しに番頭や現場のことを任せた。彼はそのまま、持ち前の強引さで以って、非番の白鳥を引きずりながら市中を駆け抜けた。

「あの、僕は非番――」

「うるせえ。お前以上に口の立つ奴がいねえんだ。逃がしたらお前に責任をかぶせんぞ」

 白鳥は目をぐるりと回して、引きずられるままにした。厳めしい顔をした同心とその部下は、息を切らしつつ豆河通りを抜けて、長屋の広がる地帯にやってきた。

 

 正吉の妻が住んでいるという場所へは迷わずに行けた。

「……あ、おい」

 厳めしい顔をした同心が、とある角で止まり、そっと顔を覗かせた。白鳥以下の面々も、そっと角から顔を覗かせた。

 とある長屋の前で、中身の重そうな麻袋を持った男が、うろうろしていた。かぶっていたであろう頭巾が懐からちょっと覗いている。

 長屋の部屋の中からは姦しい女達の声が聞こえている。漏れ聞こえてくる会話から逆推する限り、母親と娘であるようだ。

「どうする?」

「行かないって選択肢はあるんですか?」

 白鳥が尋ねると、厳つい顔をした同心は険しい表情を保ったまま、自分の部下達に反対側に回るよう指示を出した。

 彼らは実に忠実な手駒らしい。すぐに所定の位置につき、合図を送ってくれる。それで壮年の厳格な同心は、ゆっくりと角から姿を現した。

「おい、正吉」

 彼が声を上げると、去来していた男がぱっと顔を上げた。相手が同心だと分かると、反対側に逃げようとする。けれどもそちらにも同じように同心が立っていて、行く手を阻んでいた。

 正吉は麻袋を後生大事そうに抱えたまま、道の両側から迫ってくる同心達を激しく、何度も睨んだ。そのうち、壮年の厳つい顔をした同心の方に飛びかかった。

 それは大きな過ちであった。同心は華麗な身のこなしで正吉の着物の襟元を掴み、渾身の力で投げ飛ばして、のしかかった。

「ちくしょう! 離せ!」

「犯罪者を離せるか! 正吉、大人しくしろ!」

「くそったれ! あいつが話したんだな?」

 正吉が暴れる。同心達は急いで捕縛用の縄で彼を縛り上げ、荒っぽく起き上がらせた。その時、麻袋が落ちて重たい音がした。白鳥は素早くそれを拾い上げ、顔をしかめた。

 この騒々しい大捕り物の音に反応してか、引き戸がおずおずと開けられた。

「……あの、先ほどから何か?」

 若い女と幼い娘が出てきた。彼女達の困惑した面持ちは、正吉を見ると憎悪に変わった。

「あ……お、お前達」

 正吉が白鳥の方に突進しようとする。それを三人がかりで押さえつけた。

「は、離せ! か、金。金。おい、それをこいつらに」

 正吉はまるで芋虫みたいにもがきながら、白鳥に懇願の視線をくれていた。麻袋からは耳障りな金属の擦れる音がしていた。

「……出来ませんよ。これはあなたのお金じゃないでしょう?」

 白鳥は溜息交じりに正吉を諭した。彼を抑えているのは三人の同心だ。それだけで女は何かを察したらしい。額に手を当て、天を仰いでいる。

 女の腰に娘が縋りつき、同じように険のある表情を浮かべた。

「……お父さん、何しに来たの?」

 娘が口火を切った。その幼い瞳にも憎しみがこもっている。一体何をしたら、四、五歳くらいの自分の娘にこれほどの感情をぶつけられるのだろう。

 けれども正吉は、そんな母子の様子など無視するかのように、同心達に向かって喚き、噛みつこうとして、殴りとばされていた。

「おら、離せ! くそ。おい、今度は……今度は幸せになってもらいてえんだ!」

 正吉は汗みずく、砂まみれになりながら何度も大声を上げ、同心達の拘束を解こうと暴れる。そのけたたましい様子に野次馬が集まってくる。母子は青ざめた顔をしていた。確か、再婚すると言っていたはずだ……。悪評は避けておきたいところだろう。

 白鳥は咳払いをして、こそっと正吉の頭を蹴った。彼の意識が向いた隙に、厳つい顔をした同心が猿ぐつわを噛ませる。それでやっと正吉は声を上げられなくなり、二人の若い同心に抱え上げられた。

「……行きますよ」

 これ以上、彼の恥を晒すわけにはいかない。同心達は正吉を押さえ、その場を離れた。

 その後、正吉への取り調べで、番頭と手代の関与がなかったことが明らかにされた。正吉は火盗に引き取られ、あとの処理は町奉行所の知るところではなくなった。

 後日、白鳥と三人の同心、それに両替商の番頭は、正吉の妻の結婚式に参列した。

 甘いとは思うが、正吉が働いて稼いだ金だ、ということにして心ばかり祝儀を包んだ。

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