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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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両替商強盗事件②

「まだ、逃げないんですか?」

 蝋燭はその全体の四分の一ほどを消費していた。

 一時間は経ったのだろうか? ともかく、番頭が持ってきた麻袋を足元に置いたまま、頭巾の男は床に腰かけ、何故かじっとしている。

 人質達は――少なくとも白鳥の素性を知っている者は――白鳥に期待の眼差しを向けていた。彼は首を振った。

「期待なんかしないでくださいよ。武器なんか持っていないし、武芸なんかからっきしですよ」

 白鳥は溜息をついた。頭巾の男はじっと蝋燭を見つめている。番頭も手代も青ざめた顔で蝋燭を見ている。誰も口を開かず、表の喧騒がくぐもって聞こえた。

 何とも奇妙な状況だ。もう我慢ならんと言った人達が表から入口を塞ぐ板を叩いていた。

 頭巾の男が指示を出し、人質達が入口を塞いでいる板きれを押さえる。

 爆弾を首に下げた手代がだらだらと汗を掻き、顎から滴が落ちる。番頭の方に懇願するような視線を向ける。番頭は落ち着きない様子で、苛立たしげに指を動かしていた。

 その時だった。入口のところをひときわ激しく叩く輩がいる。

「町奉行所の同心だ。おい、開けろ!」

 その声に人質達が湧き、すぐに静まった。男が蝋燭を持ち、手代に近づいたからだ。

 番頭が脂汗の滲んだ険しい顔をした。白鳥はその肩に手を置き、そっと耳打ちをした。

「落ち着いてください。相手を焦らせてはいけない」

 番頭は、はっと顔を歪め、そして頷いた。

「そ、そうですね」

 彼は軽く腰を浮かしたまま、じっと頭巾の男を見ていた。汗を掻き、顔色は蒼白だ。じれったそうに手が動いている。

「おい、誰かいないのか!」

 入口がなおも強く叩かれた。何人かの人質が声を上げようとしたが、理性ある者に止められていた。

 頭巾の男は、今や手代の肩に手を回している。蝋燭を持ち、彼の首に掛けられた爆弾の導火線に近づけたり、離したりしている。

 また、人質達の期待の眼差しが白鳥に向いた。

「見られたって困りますよ!」

 白鳥は慌てふためいてそう叫び、首を振った。

 その刹那、入口を叩いていた同心が怪訝な声を上げた。

「おい、白鳥か? 中にいるのか?」

 声から察する限り、同じく昼番の同心だろう。白鳥は休日だが、その同心は勤務日であるはずだ。

 さっと血の引く思いをする。頭巾の男を見た。

 顔の一部分しか見えていなかったものの、目をひんむいているのが分かる。番頭が激しく首を振り、助けてくれ、と声を振り絞った。

 頭巾の男が初めて唸り声を上げた。その途端に人質達が混乱し、さながら暴動のような騒ぎが起きた。押しあいへしあいをして、逃げ場はどこかと探していた。

 手代の首に巻きつけていた爆弾に火をつけたのである。

「うわあ!」

 白鳥は口を半開きにして、叫び声を上げた。

 いざという時、人の本性が現れるものだ。白鳥もあたふたとし、人質達と共に右往左往した。反面、番頭は素早く手代に近づいて爆弾を奪い、地面に投げ捨てた。

「うわあ!」

 もう一度叫び声を上げた。

 爆弾が勢いよく灰色の煙を吐きだしたのだ。火は出ていないが、辺りはあっという間に煙に巻かれてしまった。

 膝をついて咳き込む老人、咄嗟に口元をかばって入口の板塀を叩く壮年の男、泣きじゃくる若い娘、その場でぐるぐると回りだす初老の女。留めようもない混沌が巻き起こった。

 人質達が正気を失って入口に殺到する。

 恐らくはそこにいた同心達も困惑したことだろう。ミシミシ、と音を立てて入口を閉ざしていた大きな板が軋み、隙間から白光が差し込んだ。

 人質達は大混乱を巻き起こし、我先にと入口に体当たりを食らわせた。

 煙はあっという間に視界を奪った。白鳥は着物の袖で口元を覆いながら、爆弾の近くで立ちつくす手代に近づいた。彼の姿勢を低くさせてから顔を覗きこんだ。その面上は愕然とした恐怖で満たされていた。

「大丈夫ですか?」

 何だか分からないが、周りが慌てふためくのと反比例して、段々と落ち着いてくる。白鳥は冷静に爆弾を見た。破裂する気配はなく、煙をまき散らしただけのようだ。

「は、はい。でも――」

 と手代は不安げに店の奥を見た。その肩を抱き、白鳥は入口の方へと促した。

「今は離れましょう。爆発していないだけかもしれませんから」

 人質達はついに扉を破ったようだった。

 どよめきと興奮の声が沸き上がり、入口の真ん前にいた同心達を蹴散らしながら、人質が外に飛び出していく。灰色の煙が日に晒され、あっという間に薄くなっていった。

「ほら、行きましょう」

 白鳥が手を引くと、手代は少しだけ抵抗した。

「ま、待ってください」

 彼は、煙を吐き終えた爆弾を見、それから日差しに照らされた白鳥に視線を向けた。その顔にはびっしょりと汗を掻き、青ざめているように見える。

「大丈夫ですよ」

 そう言いつつ白鳥は肩を撫でてやる。

 半ば冷静になったこの休日の同心は、じっと周囲を見渡していた。

 そういえば、あの頭巾の男の姿がない。それから番頭も。先ほど感じた違和がぶり返した。手代はしきりに店の奥を気にしていた。

「ねえ、君?」

「は……はい」

 白鳥は、怯えた表情の手代に優しい笑みを浮かべる。彼もぎこちないながら微笑を返してくれた。ちょうどその時、入口の方から日差しを遮るような影が伸びた。

「くそう……何だってんだよ。ちっ! おお、白鳥」

 人質達に踏まれてズタボロになった同心達が、着物の汚れを叩きながら店に入ってきたのだ。厳つい顔をした四十代の同心と、その若い部下達である。

 その彼らを無視して、白鳥は言葉を続けた。

「あの男と番頭さんを見なかった?」

 手代はまたしても顔を歪めた。頭を抱えた同心が近付いてくると大粒の涙をこぼした。

「なっ、何で泣いてんだ?」

「顔が怖いからじゃないっすか?」

 部下の返答に厳つい顔をした同心が傷ついている。

 まあ、顔を見た途端に泣かれたら、そんな気分にもなるかもしれないが、爆弾が処理されていない状況で、事態を混乱させるのは好ましくない。

「ああ、もう! 黙っていてください。今、話を聞いていますから」

 と叫んだ白鳥の袖を手代が引っ張った。その耳元で、そっと囁いた。

「……あの、白鳥さんは同心なんですよね? 悪い人を捕まえるんですよね?」

「ええ、そうです。悪い奴を捕まえます」

「じゃあ、僕も逮捕されますか?」

 白鳥はまじまじと手代の顔を見た。その若い顔は真剣そのものだ。その真意がつかめず、白鳥は唸りながら答えた。

「犯した罪の内容によります」

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