大泥棒③
「お父さん! 何も言わなくて良いのよ!」
娘は、青ざめた顔で震えあがる父親に詰め寄った。それを平野が羽交い絞めにし、目配せを受けた白鳥が話を促した。
「種明かしを聞きたいんですが?」
「……はい。実は、わたくしの家系は代々泥棒をしておりまして」
娘がかっと目をひんむいた。平野はより一層力を込め、娘を締め上げた。
「あなたも、ですか?」
「いいえ、わたくしはまっとうに生きてきました。少なくとも祖父も父も、ああ、娘にとっては曾祖父と祖父に当たりますが、彼らは――」
そこで父親は言葉を切り、深く溜息をついた。
「――わたくしを泥棒に誘うことはなかった」
父親は脂汗の浮いた顔を撫で、白鳥を見た。
「猫小僧という義賊をご存知ですか?」
「ええ、市中の人間にとっては英雄みたいなものですからね」
「それ、わたくしの祖父と父です」
「は?」
「わたくしの祖父と父が、泥棒一族の最後の御奉公だと思って、ひと働きしたんです」
眉間にしわを寄せざるを得なかった。父親が嘘を言っているようには見えなかったが、しかし話の内容は荒唐無稽だ。およそ二十年前、突如として姿を現し、消えていった泥棒の血縁だと言っているのだから。
白鳥は首を振った。
「……それで、この絵は?」
「実は、ですね。わたくしの祖父も父も夢があったそうでして。禁裏に潜入して帝に会うという不遜な夢です。そしてある時、二人はその計画を実行した。どこをどうやって進んだのかは知りませんが、念願の帝と謁見することが叶ったのだそうです」
父親は、ゆっくりと舟に近づき、その絵を持ち上げた。娘が唸るような声を上げたものの、彼は全く気にしない様子で額縁の裏にある留め具を外した。
絵の裏側をむき出しにして白鳥に見せた。ちょうど真ん中の部分に達筆な字で、勇敢な二人の泥棒にこれを捧げる、という趣旨の言葉が書かれている。
白鳥は頭を抱えた。そこには花押の印が描かれている。中津国に生まれ落ちた人間ならば、一度と言わず、気が遠くなるほど見ることになる印であった。
それは帝が代々使う神聖な証だ。白鳥は、震える手で板の後ろに描かれた文字をなぞった。恐らく偽物ではない。れっきとした帝の直筆文字だ。
「これは?」
「この絵を描いた同時、鍬野光太夫は御用絵師をしており、初めて青色を使ったのだそうです。その出来栄えを先帝が気に入り、床の間に飾っていたのだとか、何とか。で、それを祖父と父が貰い受けたのですよ」
「……なるほど」
娘は何か言いたげに喚いている。その口を平野が押さえていた。勁烈な視線で白鳥を射抜き、苛立たしげに口を尖らせていた。
恐ろしいが、もう見慣れたので不意打ちでもなければ驚くことはない。眉を吊り上げて無言で応じると、娘を強く指差した。どうやら彼女の愚行に腹が立っているらしい。
白鳥は咳払いをした。
「つまり、それはあなた方の正統な所有物だということですね?」
「信じては貰えないでしょうが」
白鳥は髪の毛を掻き、首を振った。
「いえ、信じますよ」
「え?」
「だって、あなたのお爺さんとお父さんが猫小僧だったとして、本当に禁裏に入ったと仮定しましょう。よしんばその絵を盗みだしたとしても激しい捜索が行なわれる。でも、そんな話はない。猫小僧が禁裏に入ったのは伝説として残っています。幻の十三枚目は、その時に得たのだろう、と僕は思いますよ」
「……」
「そっちの方が、浪漫がありますからね」
白鳥はにっこりと笑った。
見れば、父親の舟には猫小僧が盗んだと思しき美術品がいくつもある。白鳥は、商人の次男としての鑑賞眼を駆使して、いくつかの美術品を鑑定した。
どれも本物だ。市場に出回れば、おそらくは相当な値がつくことだろう。もちろん、表の市場に出せば大騒ぎになるが、売りようはいくらでもある。
いわくつきの品でも本物を欲する奴はそこら中にいる。口外は出来ないが白鳥の父親だって、若かりし日にそういう場所で美術品を漁っていた時期もあったそうだ。
しかし、この伝説の泥棒の血を引く父親は、金持ちになる好機を無視して健全に生き、そして今、全てを持って逃げようとしている。
父親は冷や汗を拭っていた。額縁の留め具を締め直し、舟に乗せる。その煤けた丸い背中に白鳥は問うた。猫小僧の伝説を知っている者ならば、誰もが知りたがったことである。
「ちなみに、猫小僧はどうなったんです?」
「……祖父が亡くなり、仕事を続けることは出来なくなりました。おかげで父も廃業。まっとうな道に戻ることになったんです」
「なるほど」
それは夢のない終わり方だ。聞かなけりゃあ良かった、と白鳥は後悔し、まあ、そのうち忘れるだろうと能天気に考えた。
そんなことを思っていると、後ろから声を掛けられた。娘を抑えていた平野が苦々しい顔をしていた。
「そろそろ離してもいいか?」
娘は怒り狂っている。父親の話によれば、猫小僧に誇大な憧れを抱いているのだそうだ。ただ、泥棒になる気はなく、彼らが愛した逸品を継ぐことに傾注しているのだそうである。
「全く、誰に似たんでしょうか?」
「間違いなくあなたでしょうね」
白鳥は一つの汚れもない美術品を見て、溜息をついた。
結局、親子は見逃すことにした。彼らの証言以外に証拠は一つもない。猫小僧はすでに世を去り、彼らの子孫が美術品を別の場所に持ち出そうとしているに過ぎない。
「立件しようがありませんよ」
と未練がましい平野を抑えた。盗んだ張本人が死んでいるのだから、如何ともしがたい。
結局、白鳥と平野も、その荷物の搬送を手伝うことにした。平野は散々渋ったものの、白鳥が説得すると嫌々ながらも手を貸してくれた。
そうして親子の家を掃除していた時、ふと、とある小箱が目についた。
「これは……」
「ああ、それは祖父が祖母の為に買っていた物ですね。仕事が仕事ですからねえ……」
中身は銀で出来たかんざしばかりだ。迷惑を掛けているからと買い与えていたらしい。
「……これ、一本売ってもらうことは出来ますか?」
「はあ、もちろん。無料で構いません」
娘の方は眉をひそめたものの、白鳥の素性を知るとすぐに顔色を変えた。
どうやら白鳥屋には思うところがあるらしい。それで今度は高値で売り付けようと交渉を始めたが、父親に止められ、逡巡した末、彼の意見を全て飲み込んだ。
「ふむ……これにします」
一本、気に入ったかんざしをとる。簡素な品だ。
父親はもっと良い物をどうぞ、と勧めてくれたが固辞した。そのかんざしの形が刀に見えて仕方がなかったのだ。見た瞬間に、思わずくすりとしてしまうほど似ていた。
怪訝な顔をしている平野の一束ねにした髪にそれを差してやる。
「……何だ?」
「おお、似合うじゃないですか」
平野は片眉を吊り上げていた。白鳥は両手の人差し指と親指で四角を作り、困惑した様子の上司を見た。
「うーん、この前の着物を着せても――」
「……おい、待て」
「ちょっと、お化粧とか持ってないです? 紅とか差しましょうよ」
睨む上司をさておき、白鳥は娘の方に振り返った。彼女も乗り気だった。散々怖い目に合わされたのだ。化粧っ気のない女に化粧を施すぐらいの反撃はする気になったらしい。
目をかっと見開いた平野を抱きしめるようにして押さえつけ、唇に紅を塗った。娘はそこでさらに調子づき、平野のざんばらの髪の毛を解いて結い直した。
「お、お前ら!」
「ほら、暴れないでくださいよ、平野さん。似合うかどうかを判断するんですから」
平野は鼻息荒くしていたものの、にんまりと笑う娘の様子に、血の気を失ったようだった。もう抵抗はしなかった。あっという間に時間が過ぎ、娘は大きく頷いた。
さすがに着物の方はどうにもならず、首から上だけが煌びやかになっている。険相は変わらないが、化粧一つで狼が人の女に化けるくらいには変化があった。
その様子に白鳥はぽかんと口を開け、まじまじと見つめた。平野は顔を真っ赤にして、右手で顔を隠した。
「……覚えておけよ」
「ええ、絶対に忘れません。良く似合っていますよ。可愛いです」
と言うと平野は耳朶まで赤らめ、かんざしに触れ、そして白鳥に強烈な回し蹴りを一発食らわせた。