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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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大泥棒②

 二人はいつの間にか豆河を遡上して、北の河原の方までやってきていた。人いきれもいつの間にかまばらになっている。

 その近辺にも数少ないながら店はある。特に長屋に物を売るような連中が、小舟を使って豆河を往来するのだ。その日も、いくつかの舟が川底に竿を差して進んでいた。

 白鳥は声を上げて舟を呼びとめ、彼らに泥棒に関する注意事項を告げた。まあ、彼らの大半は物を盗まれるほど裕福じゃないから、ほとんど真面目には聞いてもらえない。

「全く、あの連中、絶対に分かっていませんよ」

 と白鳥がぷりぷり怒りながら戻ってくる。平野はその様子に少々気の毒そうな顔をしていた。だが、彼女の視線はすぐに近くの川岸に注がれた。釣られて白鳥も見ると、舟が一艘、止まっていた。

 その舟は、何故だか家財道具なんかを山積みにしている。若い娘がその近くに立っていて、舟が不用意に傾かないように四苦八苦していた。

 平野は、その舟の積み荷や、娘の様子なんかに首をかしげていた。

「何かありました?」

「いや……」

 平野は唸り声を上げながら舟に近付いた。

 長屋の方から布団を抱えた壮年の男が出てきて、舟に積んでいる。娘はその重量に悪態をついていた。お父さん、なんて言葉が聞こえてきたから、どうやら親子なんだろうということは分かった。

 その親子は近付いてくる平野と、それに追いすがる白鳥に気が付いて、怪訝な顔を見合わせていた。

 白鳥は勇ましい上司の背中を見つつ、仕事が押していることに悪態をついた。

「ちょっと良いか?」

 平野が声を掛けると、親子は動きを止め、二人の腰にぶら下がっている印籠に視線を釘付けにした。娘は苦々しい顔をしていて、父親の方は青ざめた表情になった。

 布団を娘に押し付け、父親がぎこちない笑みを浮かべた。

「……何でしょうか?」

「そんな大荷物でどこへ行くんだ?」

「わたくしの実家に帰ります」

 父親は笑顔を引きつらせ、冷や汗を拭った。

 彼はちらちらと舟を窺っている。娘が荒っぽく布団を山の頂上に投げ置くと、船体が僅かに傾ぎ、水面に波紋が浮かんだ。

 積み荷が緩やかに揺れる。娘は慌てた様子で倒れそうになった箪笥を抑え、ほっと胸をなでおろしている。

 白鳥は、その箪笥の近くに立てかけられた絵画に目を奪われた。舟が揺れた拍子に、覆っていた絹の布がこぼれ落ちたのだ。

 それは掛け軸ではなく、木製の平板に厚手の布をかぶせて固定して、その上から絵を描いているらしい。保護するためか、精緻な彫刻が施された額縁に入れられている。

 彼は娘のすぐ後ろに立ち、その絵に目をすがめた。地面に落ちた影で、同心の一人が近付いていることを察したらしい。娘は眉を吊り上げ、腹の底が冷えるような声を上げた。

「近付かないで!」

「……おお、怖い」

「変態! 尻に触ろうったってそうはいかないよ!」

 白鳥は視線を娘の体に落とした。

 上から下まで見るが、肉感に乏しいと思われる平野よりもさらに貧相な肉体である。出るところが全く出ていない。まるで剽悍なイタチのようだ。筒のような肉体である。そんな体に見とれるほど、彼の嗜好は高尚じゃない。

 白鳥は即座に一歩分だけ飛び退った。娘は腰に手を当て、鬼の形相で舟から遠ざけようとしている。

 何故、こうも気の強い女性ばかりが引き寄せられるのだろう。白鳥は苦々しい気分であった。それでも視線は絵に向けた。娘は体を動かし、絵を隠すようにして立ちふさがった。

「見えないじゃないですか」

「見なくて良いのよ!」

「でも、そうすると、あなたの貧しい体を見ることになるんですが……」

 娘は急に赤面して、白鳥をかっと睨みつけた。

 二人の様子に、平野と父親が視線を向け、怪訝な顔をしていた。白鳥は咳払いをし、父親に水を向けた。

「まあ、それは良いんですが、この絵、随分と立派な額縁に入れられていますね」

 じっくりと目を凝らせば、額縁の彫刻には金箔細工がなされていた痕が残っている。額縁は漆塗りだが、彫刻の模様は中津国では見られない。どちらかというと異国風である。

 額の中に入っている絵も、一見して中津国の絵画の技術を用いつつ、異国の画風も取り入れていると分かった。

 娘の面上は汗でびっしょりだった。乾いた唇を赤い舌で湿らせた。

「……知らないよ。お爺さんが持っていたんだ」

「そのお爺さんは? 話を聞いてみたいですね」

「もう亡くなった」

 娘はそっけなくそっぽを向いた。ちらと父親の方を見やると、先ほどよりも青ざめた顔をしている。この親子は随分と失礼らしい。白鳥は目をすがめ、額縁に入れられた絵をまじまじと見つめた。

「……おや?」

 目につく部分があり、白鳥は声を上げた。親子を睨みつけていた平野が首をかしげた。

「どうした?」

 振り返り、白鳥は微笑んだ。彼はその絵を指差した。

 見たこともない美しい青色の花を口に加えた美人が描かれている。よほど写実的な手法を取ったようで、女の目尻まできちんと描かれていた。これは中津国の絵画技法には見られない方法だった。

 美人画の背景にはどこか荘厳な庭園と建物が描かれている。どうやら家の廊下のような場所から見える世界を描いているようだ。

 白鳥は、その独特な写実主義の徹底された画風に見覚えがあった。

「これ、鍬野光太夫じゃありませんか?」

「鍬野……誰だ?」

 平野が首をかしげた。

「鍬野光太夫ですよ。五十年前の大戦中に戦争画を描いたことで有名です。ただ、その本質は風景画家で――」

「御託はいい」

「……はい。鍬野は先帝の御用絵師でしたから、案外絵は出回っていないんです。作品のほとんどは今なお禁裏に飾られています。もちろん彼が御用絵師になる前の絵も回収された。でも、例外があって、彼が御用絵師を退いた晩年、死ぬまでの二年間に描いた作品は普通に市場に出回っているんです」

 そこで白鳥は咳払いをして、絵を横目で見た。

「贋作が多いことで有名でして、そりゃもう仕事を辞めたご老人達が、さながら飛んで火に入る夏の虫の如く、骨董品屋に騙されて退職金を残らずむしり取られるんです」

「で、それが何だ?」

 平野はじれったそうにしていた。毎度思うが、彼女はあまりにせっかち過ぎる。回り道を異様なほど嫌うのだ。そんな一面に改めて気付かされ、白鳥は苦笑いをした。

 答えだけは簡潔に述べた。

「この絵は本物です」

「……」

「このお爺さんの鑑賞眼は素晴らしい。どのような形で手に入れたのであれ」

「……よほど珍しんだろうな?」

「世に出回る鍬野作の絵画は、九割九分九厘が偽物です。何せ、御用絵師を退いてから描いた絵は十二枚。所有者は全て明らかです。少なくともここ十年、本物の絵が市場に売りに出されることはなかった」

 気弱そうな父親はなお一層、血の気を失った。その為に、眉間にしわを寄せて反論したのは娘の方だった。

「それが何だっていうの? あなたの見立て違いじゃないのかしら? 随分大層なことを言っているけれど――」

「生憎ですが、その十二枚、僕は見たことがあります。そのどれもが市中の風景を描いた、牧歌的なものです。彼は風景画家でした。ほとんど失われましたが、彼が御用絵師になるまでに描いた絵も全て、彼の故郷、ないしは市中の近郊の景色を題材にしていました」

 娘は鼻を鳴らした。腰に手を当て、白鳥を傲然と睨んだ。

「じゃあ、違う絵師なんじゃない? こんな美人画、良くあるじゃない」

「まあ、確かに最近は良く見ますが、鍬野の絵の特徴は異国の絵の具を使ったことです。中津国では絶対に得られない色を用いている」

 白鳥は近付きながら、絵の青色の部分を指差した。娘が眉を吊り上げてその動きを止めようとしたものの、平野の唸り声に掣肘され、結局は接近を許した。

 白鳥は鼻先ほどの距離で絵を確かめ、確信を抱いて頷いた。

「青ってのは高いんですよ。特殊な鉱物を砕いて作りますから。その鉱物も珍しいもので、異国の絵師でさえ、手に入れるために人生を棒に振る借金をしたこともあるそうです」

 娘が顔を真っ赤にしながら癇癪を爆発させた。

「何だって言うのよ! 例えば、その鍬野何とかの絵を持っていて、私達があんたに迷惑をかけた? それとも不都合でもあった? ねえ、どうなの?」

 その前のめりの反論に顔を引きつらせたが、白鳥は娘の体を押しとどめた。

 自分一人であったなら、恐らくは放っておいただろうが、今日の相棒が悪かった。このまま親子を見逃すような弱気は許されないだろう。白鳥は意を決して考えを告げた。

「少なくとも、この絵の入手経路には疑問符が付きます」

「……何だと?」

「彼は御用絵師として働く間、先帝の命で数々の絵を描いたそうです。おかげさまで腕は良く、先帝も現在の帝も、それを下賜しようなどとは考えなかった。だから異国の技術を取り入れた鍬野の絵は晩年の十二枚しか存在しない。それ以外は偽物だということになるんです。でも、実は一枚だけ例外があるといわれています」

「……それがこれだって言うの?」

「ええ、その通りです。もしかすると、これは――」

「ちょっと待ってください」

 不穏な答えを口にしようとした白鳥を制したのは、父親だった。彼は掻いた汗を拭うと、神経質そうに喉を鳴らし、それから苦しげに平野から視線を逸らした。

「その件に関しては、わたくしからお話させていただきます」

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