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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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ツツジに誘われ⑤

 そうして白鳥は瀧の家に向かった。もちろん瀧を伴って。

 小さな長屋住まいらしい。詐欺で荒っぽく金を稼いでいたが、暮らしぶりは質素だ。要するに彼女は、派手な生活をすればすぐに悪事が露見することを心得ていたわけである。

 部屋の中に入ってすぐ、瀧は小さな木箱を持ってきた。中には髪飾りやかんざし、櫛などが整然と並べてある。

 白鳥はその木箱の中身を漁り、手を止めた。偶然が偶然でなくなった時、もしかしたら人は運命を引き寄せるのかもしれない。

 綺麗に並べられたかんざしの中から、ツツジをかたどった銀の逸品を取り出した。

「これ……お借りしても?」

 瀧はしずしずと頷く。

 ことと次第によっては大手柄だ。平野には彼女の扱いを丁重にするよう頼み、再び市中の中央へと取って返した。

 空模様はやがて黄昏へと傾く時刻で、西の方から徐々に紺色が滲みだしている。

 道場に向かうと、まだ男達が汗を流していた。白鳥は慌てた様子で板張りの稽古場に入り、下男に止められながらも、あの若い婚約者を呼んだ。彼はゆっくりと近づいてきた。そして白鳥の手が握りしめているものを見て、はっと顔を歪めた。

「……それは、どこで?」

 悲痛に天を仰ぎながら尋ねてくる。まだ言えない。言うわけにはいかなかった。白鳥は必ず返すことを約束した。若い男も承諾し、白鳥に背を向けた。

 汗みずくになりながら、白鳥は市中の西部に戻ってくる。その道中で河津と合流した。一応の用心のためと、平野に言いつけられたらしい。

「あっちの事件も手伝うんだぞ」

「分かっていますとも」

 白鳥は弾む胸をぽんと叩いた。

 市中の西部、豆河通りの北にある、寺が立ち並ぶ地帯に戻ってきた。またあの白いもやが出るかと思ったのだが、今回は無かった。

 すっきりと晴れ渡る夕焼けの空が頭上には広がっていた。

 曙光寺、という煤けた看板を見た時、白鳥は怪訝な顔をした。あの女と共に来た時は、こんなに古びた印象ではなかったからだ。

「ごめんください」

 入口のところで声を掛けた。腰のひん曲がった老住職が近くの影にいたらしい。

 彼は怪訝な顔をしながら近づいてきた。

「はい、なんでしょうか?」

 白鳥は印籠を見せた。老住職は気の良さそうな笑みを浮かべた。

「ちょっとお話を聞きたいと思いましてね」

「……何でしょう?」

 実に穏やかな声だ。とてもじゃないが、淫行に耽るような破戒僧には見えない。

 白鳥は逸る気持ちを抑えた。河津には黙っているように告げてある。彼はいつも以上に真面目な顔で後ろに控えてくれていた。

 白鳥は咳払いをした。門をくぐり、ざっと古びた寺を見る。

「このお寺は何年くらい前に建てられたんです?」

「おおよそ八十年前に建立されたそうですよ」

「あなたはいつ頃から住職に?」

「十年ほど前です」

 それが何だろう、と老住職は首を捻っている。白鳥は頷き、話を続けた。

「なるほど。このお寺にお客さんってのは、どれくらい来るんです?」

「……何故、そんなことを?」

「いいでしょう? あまり多くないんですか?」

「まあ、流行ってはおりませんね。おかげで突発的な仕事も覚えております」

「じゃあ、二年前、家内安全を願いに来た人がいたことは?」

 住職は怪訝な顔をした。その落ちくぼんだ目の奥が、きらりと光った気がした。白鳥は喉を鳴らし、人相書きを見せた。

「この女性に心当たりはありませんか?」

「いいえ」

「しかし彼女の実家はここの檀家でもあります。ここにはあなた以外の僧侶が?」

「おりません」

「じゃあ、覚えているでしょう?」

「……申し訳ありませんが」

 白鳥は胡散臭そうに老住職を睨み、咳払いをした。

「ま、いいでしょう。ちなみに、このお寺にはツツジの木はありますか?」

「ツツジ、でございますか?」

「ええ、花のツツジです」

 住職は青ざめた顔をして頷き、白鳥を寺の裏手へといざなった。

 影の差す、じめじめとした場所にツツジの木が一株、旺盛に枝葉を伸ばしていた。その光景に白鳥は首をかしげた。

「これだけですか?」

 あの女と見たツツジは、もっと一面に花を咲かせるような、美しい光景だったはずだ。

 しかし目の前には一株しかない。しかも枝も伸び放題で、花付きも悪い。寺の裏庭を見渡すが、これ以外にツツジの木はなかった。あの絶景はどこへ消えたのだろうか。

 老住職は額に浮いた汗を拭っていた。

「ええ、そうですが……」

「いつからここに?」

「かれこれ二年ほど前でしょうか」

「……何故、植えたんです?」

「え?」

 白鳥は周辺を見渡した。

 寺の裏手は枯れた柿の木があるくらいで、あとはまっさらな砂利ばかりだ。ろくすっぽ手入れもしない木を、突然植えたがるとはとてもじゃないが思えなかった。

「この場所に、何故木を植えたんです?」

「……さあ? 気分でしょうか」

「別に、植えなくとも良かったのでは?」

 そう問うと、老住職は眉を吊り上げた。

「先ほどから何です? 意味のない質問ばかりを繰り返して」

「申し訳ありません。実は、ここで殺人事件があった、という通報を受けてその捜査をしているんです。で、心当たりは?」

「ありませんよ!」

「でも、このツツジを植えた時期と、殺人事件が起こったとされる時期が一致しているんですよ。この下を掘ってもいいですか?」

 住職は蒼白の顔になった。けれども激しくかぶりを振り、白鳥を傲然と睨み据えた。

「ここは神聖な寺です。殺人事件など起こっておりません!」

「そうですか。でも、ここで女とまぐわったことはあるでしょう?」

「なっ……」

 白鳥はツツジをかたどったかんざしを老住職の鼻先に突きつけた。彼は寄り目をしてそれを確認し、見る見る血の気を失った。

「これに心当たりがあるでしょう? それとも別の証人を連れて来ましょうか?」

「しょ、証人?」

「瀧という名前にご存知は?」

 老住職は鼻白んだ顔をした。口を引き結び、白鳥を睨みつけている。

「あなたは瀧のような少女を脅し、抱いていた」

「そ、そんなことはありません。瀧を抱いていたのは照蔵です」

「ええ、ええ。そうでしょうとも。あなたはそう言うしかありませんからね。じゃあ、一つ捜索をさせてはいただけませんか?」

「な、何をするおつもりです?」

「実は、詐欺容疑で逮捕された瀧が、このかんざしを曙光寺から盗んだというんです。彼女は罪を逃れるために嘘をついているのかもしれない。証言の真偽を確かめるために寺の内部を調べさせていただきます」

 白鳥は後方を睨む。そこに佇んでいた河津がゆっくりと寺の方に歩きだした。老住職は喚き声を上げながらその体を押しとどめた。白鳥は険しい顔で人相書きを突きつけた。

「あなたは照蔵を使って、この女だけを寺に呼びつけた。何故か? あなたの罪を彼女が目撃したからだ。黙らせるために犯した。しかし激しく抵抗され、勢い余って殺した――」

 そこで白鳥は言葉を切り、蒼白の老住職を炯眼で捉えた。

「――そして死体を燃やしたんだ。」

 その白鳥の言に、河津を抑えていた老住職が悲鳴にも似た声を上げた。

「燃やしていない! 埋めただけだ!」

「……埋めただけ?」

 老住職ははっと顔を歪めた。彼は忌々しげに口元を歪めた。汗みずくだ。体は小刻みに震えている。その耳元で白鳥は囁くように言った。

「さ、お話を聞きましょうか。あなたがあの日、この場所で何をしたかをね」

 事件は簡単だった。あの日、女は老住職の罪を糾弾するために婚約者の男と共に来る予定だった。それを事前に察知した老住職は策を練り、男を引き離した。その日、女は口をつぐむ気だったが、老住職は照蔵を使って裸にし、己が欲望を発散した。

「照蔵は何故、そこまであなたに協力的だったんです?」

「奴の妻は怪物でした。不特定の男とまぐわい、金を散在し、夫である照蔵を虐げた。奴はそれに怒り、思わず妻を殺してしまった。その始末を私がしたんです」

「……あの柿の木の下ですか?」

 老住職はちらと見やり、頷いた。結局、彼は自己顕示欲が捨てきれなかった。罪の露見を恐れて目印をつけたと言い換えてもいいかもしれないが。それきり、照蔵は老住職の手駒となり、最後は切り捨てられて死んだ。全てを飲みこんだまま。

 詐欺事件で忙しい同心達が町奉行所からやってきて、ツツジの下が掘り返された。そこから白骨化した死体が一つ出てきた。それを見ると老住職は白目を向いて卒倒した。

 その晩、白鳥はツツジの前で夜明けを待った。またあの白いもやが出てくるのではないかと思ったのだが、それきり、もやがかかることはなかった。

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