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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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ツツジに誘われ③

 母親に元婚約者の話を聞かせてもらった。とある武家の次男坊であったそうだ。近所の道場で剣術指南などをしているのだという。

 早速そちらに向かうことにする。

 道場は武家相手に開かれているようで、市中の中央に位置するらしい。真昼間から稽古に精を出す武士がいるのか不安ではあったが、どうやら杞憂であった。

 道場の周辺は焼けつくような熱気に包まれていた。中からは激しく稽古をする音が響いている。河津が来たら、きっと大喜びするだろう

 道中でいくつか話を聞いたが、女の元婚約者はいまだに独身であるらしい。仕事ぶりは誠実そのもの、剣の腕も悪くはないそうだ。いずれは道場を継ぐのだろう、というのが大方の予想であった。

 白鳥は道場の前を掃いていた下男に断りを入れ、敷地の中に入った。

 下男は静かに頷き、道場の裏手へと向かっていった。道場は古びているものの、手入れだけは怠っていないようだ。どこにも不自然な破損や汚れはない。

「こんにちは」

 ややもあって二十代半ばくらいの若い男が姿を現した。彼に人相書きを見せた。その途端に美しい眉間にしわが寄り、疑わしげな目をする。白鳥は印籠を見せた。

「町奉行所の者です。ちょっとした情報があって、この女性の行方を捜しているんです」

 男がかっと目を見開いた。

「本当ですか? ああ! その情報が二年早ければ……」

「資料を確認した限り、当時はあまり熱心に捜査が行なわれていなかったみたいですね」

「ええ、ええ。その通りです」

 白鳥は横帳と筆を取り出した。墨汁の入った瓶に浸し、男を見る。彼の顔は紅潮していた。右手が力強く握られている。

「当時の状況を聞かせて欲しいんです」

 男は一歩だけ白鳥の方ににじり寄り、鼻息荒くまくしたてた。どうやら二年前の鬱憤は腹の奥底に溜めっぱなしだったみたいだ。のけ反るような姿勢になった白鳥は、男の肩を叩いて落ち着かせた。

「一つずついきましょう。とりあえず、当時不審なこととかはありませんでした? 例えば、あなたの可愛らしい奥さんに付きまとう人とか、悩んでいた様子だとか」

 現実に則せば、まだ婚約者であったのだろうが、無粋なことを言うつもりはない。男にとっては恐らく愛らしい奥さんだったに違いないから。男もそれを否定しなかった。

 彼は精悍な顔を歪ませ、涙ぐんだ。肩を落とし、大きな手で顔を覆う。

「ありました。変な男に後をつけられている、と」

 男は青ざめた顔で頭を抱え、何度も首を振った。

「……ああ! あの日も最後までついていけば!」

「あの日? 行方不明になった日?」

「数日前から、よからぬものを目撃した、と彼女は言っていました。今思い返せば、照蔵の淫行現場だったのでしょう。一緒に来てくれと懇願されて承諾したんです。けれども、その道中で道場から急を告げる使者が来て、別れてしまった」

 白鳥は怪訝な顔をしながら頷いた。何とも妙を得た、都合のいい急用だ。

「で、あなたの用件は何だったんです?」

「師範が倒れたのです。それで休日をいただいていた私に代役をして欲しい、と」

「師範は何故、倒れたんでしょう?」

 今度は男が首をかしげた。顔が悲痛に歪んでいる。

「それは、その、事件と関係があるのですか?」

「分からないから尋ねているんです。師範は?」

「確か、診察に来た医者の話では、悪い物でも食べたのだろう、と」

「その師範は、今、いますか?」

「ええ、もちろん」

 男は納得しかねる様子で道場に戻っていった。

 もちろん白鳥だって陰謀なんて考えていないし、あの女が誰かの策略によって襲われたなんて荒唐無稽だと思っている。それでも可能性は全て潰さなければならないのだ。

 やがて師範が男に引っ張られてやってきた。彼は白鳥の質問を一笑に付した。寺の下男に山菜を貰ったのだ、と言った。恐らくそれだろうと気難しい顔になる。

「どこの寺です?」

「ええと、曙光寺の。確か……名を照蔵と言ったかな」

 師範は、それがどうしたと言わんばかりに鼻を鳴らし、踵を返した。白鳥と男は恐る恐る顔を見合わせた。奇妙な偶然が必然へと変わる音が彼らの耳道を揺さぶっていた。そのちくちくとした熱を伴う痛みに白鳥は顔をしかめた。

「調べてみます」

 男は悄然とした面持ちで頷き、青ざめた顔を白鳥に向けた。

「……照蔵はすでに死んでおります」

「はい?」

「一年ほど前に。牢の中で自殺を図ったそうです」

 白鳥は目をぐるりと回した。

「そうですか。でも、一応調べますよ。あなたも自棄にならず、お願いしますね」

「ええ、もちろんです。この二年、耐えてきましたから」

 男は蒼白の顔で辛うじてぎこちなく笑い、あとを続けた。

「それにしても照蔵は酷い男だ。住職は誰よりも立派な方なのに」

白鳥は髪の毛を掻きむしった。またしても女とは意見が食い違っている。

「住職はそれほど素晴らしい人なんですか?」

「もちろんです。身寄りのない子供達の支援をしたり、近隣住民の相談役なども務めております。彼は信頼されている。照蔵はそういう人間を裏切ったんです」

 町奉行所で資料を漁れば、照蔵の裁きの様子などが克明に記されているだろうし、生死や罪状もはっきりするだろう。何より、彼がどのような人間であったのかも。

 去り際、白鳥は道場の正門のところで立ち止まり、振り返った。男はまだ立ちつくしている。

「もう一つだけ聞かせてもらってもいいですか?」

「……ええ、どうぞ」

「その行方不明になった日、あなたの奥さんは何かを持っていませんでした? 例えば……お金とか。そういうものを目当てに犯行が行なわれた可能性は?」

「いいえ、その日はお願いをしに行くだけでしたから。私が贈ったかんざしを差していただけです。妻が好きだったツツジのかんざしです。遠出をする時は必ず付けてくれました」

 男はそこで涙を堪え切れなくなったのだろう。ぽろぽろと涙をこぼした。

 下男が優しい顔で近付いてきた。年長者らしく優しく背中をさすって諭してやっている。白鳥は一礼してその場を立ち去った。

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