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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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ツツジに誘われ②

「あの」

 いつもは微笑んでいるだけの女が声を上げたのは、白鳥が寺の方に来るようになって六日目のことだった。

 相も変わらず視界を閉ざすような乳白色のもやがかかっていた。行き先は毎回同じで、二人はその中で色とりどりのツツジを見る。女が苦しげな表情を浮かべることもあったが、概ね実りある時間を過ごせたと白鳥は自負している。

 情報を重ねると、彼女の向かう先がいつも同じであることに気が付いた。市中でも限られた人しか行かない、曙光寺という寂れた寺に足を踏み入れているのである。

 市中の地図上で曙光寺は奥まったところに位置し、人はあまり来ないようだった。少なくとも女と共に花を愛でている時は人の気配を感じたことがない。

「何でしょう?」

 白鳥はにっこりと笑い、女の手を握りしめた。

 別段嫌がる様子もないし、何より彼女の手は冷たすぎる。肉感にも乏しくて、ごつごつとした骨に触っているみたいだ。もっとご飯を食べたほうがいい、と言うと彼女は曖昧な笑みを浮かべた。

 その女が繋いだ手を見下ろして、もう一方の手で包み込んできた。まるで氷のようだ。体温がどんどんと奪われていくみたいだった。

「実は、折り入ってお願いがあるんです」

「食事ですか? それとも逢引き? お誘いする準備なら出来ていますよ」

 女はくすくすと笑ってかぶりを振った。

「どれも必要ありません。私には素晴らしい人がいますもの」

 がっかりしながら、白鳥は言葉を返した。

「じゃ、なんでしょう?」

「ここ、私達が立っている場所、どこか分かりますか?」

 白鳥は頭の中で地図を思い浮かべ、頷いた。

「もちろん。曙光寺ですよね?」

「ええ、その、お願いというのも、ここで殺人事件があったか、調べて欲しいんです」

「殺人事件?」

 何とも物騒な話だが、女は真剣な顔で白鳥を見つめていた。

 ここ数日、僅かな時間を過ごしただけだが、女の表情が読めるようになっていた。女は一つの冗談も言ってはいない。大真面目に頼み事をしている。

「ここで殺人があったはずなんです。住職には若い女と淫行に耽るという秘密がありました。その現場をとある娘に見られたんです。彼は嫌疑を逃れるために娘を殺しました」

 そこで女はふっと息を吐き、優しげな眼差しを白鳥に向けた。

「体を犯し、首を絞め、丸裸にして死体を埋めました。着ていた衣服は燃やしたんだと思います」

「それは……」

 何とも具体的な話だ。白鳥は女の美しい顔を見た。彼女は血の気のない顔を赤らめ、そっと着物の袖で隠した。

 女が俯いた。袖越しに聞こえる声は、何故だか涙ぐんでいるようだった。

「おそらくは事件として現れてこないと思います。でも、これはれっきとした殺人なんです。どうか、調べてください」

 女は、それだけ言うと白鳥の手を取り、再びもやの中を戻った。いつもと同じく豆河が見えたところで女はいなくなった。

 この日、初めて白鳥は女のあとを追うことにした。それまでは未練がましく追いすがるなんて馬鹿な真似だ、と思っていたのだが、何だか変な気分になったためである。

 女が消えた角をそっと覗きこんだ。

 寺と寺の間にある細い路地だ。薄暗い一筋の道が貫いている。

 試しに路地を歩いてみるが、すぐにどこかの寺の裏手に出てしまい、そこはさらに閑散とした雰囲気である。どこにも女の姿はなかった。

 白鳥は首をかしげた。後頭部を叩き、ひとまずは警邏を済ませることにした。もやは、すでに晴れていて跡形もない。

 番所に戻ってくると、すぐに事件の資料が詰まった棚に向かった。

 時系列の他にも、事件の内容や場所などからも一応調べられるようにしてある。曙光寺が関わった事件を探し、とある一件の失踪事件に行きついた。

 他方、番所の中は大わらわだ。

 大捕り物があるだのないだの、何だか騒がしい。血の気の多い連中が剣を抜きたくてうずうずしていて、勤勉な奴らがさっさと仕事を終わらせようと声を上げている。

 そんな中、白鳥は一人で資料と向き合った。現れた事件は別段、珍しいものではない。二年前、とある娘がその辺りで行方不明になった、というだけである。

「あ!」

 だが、その資料に挟まれた行方不明者の人相書きを見て、白鳥は声を上げた。あの冷たい手をした美しい女だった。歳は十九とされている。

 それこそ殺気立っていた番所が静まり返る声だった。河津が怪訝な顔をして近づいてくる。白鳥は人相書きを穴が開くほど見ていた。

「どうした?」

 河津が気遣わしげな表情で顔を覗きこんできた。その濃い眉毛がハの字に曲がっている。新人に仕事を押し付けすぎて、ついに狂ったのかと思ったのだ。

 だが、振り返った白鳥は急いで資料を片付け、番所を飛び出した。その後ろ姿を見送った同心達は揃って顔を見合わせた。

「何かあったのか?」

「女じゃねえか?」

 下卑た笑い声を上げる連中を、不機嫌そうな平野の勁烈な言葉の鞭が打ち叩いた。

「さっさと仕事をしろ!」

 同心達は飛び上がっておののき、それから明け放たれた番所の入口に殺到した。

 白鳥は、資料にあった失踪した女の実家に向かった。幸いなことに、まだ引越しなどはしていないらしい。見えてきたのは小さな屋敷で、使用人の影はない。

 裏口の戸を叩くと品の良い壮年の女性が出てきた。老けてはいるが、あの女に似ている。年相応の落ち着いた着物の柄はツツジの花だ。覗いた裏庭にも植えられていた。

 白鳥は印籠を見せた。神平家の紋を見せれば、すぐに相手も事情を察する。

「単刀直入にお尋ねしますが、二年前、お宅の娘さんが失踪した件についてお聞きしたいんです」

 女性は目をひんむいた。半ばもたれかかるようにして裏口の柱に手をつき、白鳥を恐る恐る見やった。

「町奉行所が捜査してくれるんですか?」

 白鳥は、その様子に僅かな気まずさを残しつつ、こめかみを掻いた。

「僕だけで、ですが」

「あなただけ? ……ああ、でもいいんです。あの子は殺されたんですよ」

 確かに人相書きの女も同じことを言っていた。白鳥は高揚感を抑えきれなかった。

「どうして、そう言い切れるんです?」

「あの子がいなくなる道理がありません。結婚も控えておりました。相手だって、あの子の選んだ方です」

「あの、どのあたりでいなくなった、とかは? 資料の方にはほとんど記されていなくて」

 母親はまなじりに浮かんだ涙をぬぐい、振り絞るように言った。

「曙光寺です。家内安全の御祈念をお願いしに行ったんです。あすこには我が家のお墓もありましたから」

 白鳥はひそかに目を見張った。

「そのお寺での道中でいなくなった、ということですか?」

「分かりませんわ。お寺に入って行くのを見たという人もいるし、見ていないという人もいる」

 母親は悪夢にうなされるみたいにかぶりを振っていた。

「それで、そういうことをする人間に心当たりが?」

「ええ、もちろんです。照蔵ですよ。下男だった」

「だった?」

「もう捕まりましたわ。彼は娘の一件についてはついぞ語らなかった。でも、若い娘に淫行を働いていたんですわ。きっと私の娘もそう。あの男に犯されて、殺された。……あの男は悪魔ですわ。清らかな住職を裏切って、平気な顔をしていられたんですもの」

 そこまで聞いて、おや、と思った。女は住職が淫行に耽っていると言っていた。しかし母親は下男の照蔵が怪しいという。この齟齬は何だろう?

「お願いします。どうか、どうか真相を明らかにしてください」

 母親は必死に白鳥の手を取り、哀願してきた。その手は酷く冷たいようだった。あの女と同じか、それ以上に。白鳥は反対側の手で母親の手を叩いた。

「分かりました。調べてみます」

 全てを真に受けるわけじゃないが、何とも奇妙な話だった。

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