時限式の殺人鬼⑤
「――というわけで、その老人を張って下さい」
屋敷から番所へと戻った白鳥は、早速平野にそう告げた。
彼女はその話を聞いて、眉間にしわを寄せた。にわかには信じがたい話であるからだ。しかし、それが恐らく真実なのであり、現実に起こった出来事なのだ。
全ての報告を済ませた白鳥は、再び国史編纂室を尋ねた。
その日も歴史家達は仕事に明け暮れていた。国が存続している時間だけ、川砂の如く歴史は堆積していく。
「それで、今日は何の御用でしょう?」
歴史家の一人が尋ねた。手は動かしたままだ。蝋燭だけの薄暗い部屋の中で、微かな物音だけが静けさに憚るようである。白鳥は微妙そうな顔をした。
「処刑人について聞きたいんです」
「なるほど」
歴史家の一人が手を止め、パタパタと駆けだしていく。部屋に戻ってきた時、いくつかの巻物を抱えていた。
「まあ、これを見ていただければ分かるんですが……」
「読めないので解説をお願いします」
歴史家はにっこりと笑って頷いた。
「分かりました。まあ、処刑人というのは読んで字の如くです。元は敵である革新派の面々を処刑するために創設された部署の働き手……」
「彼らは、今の同心みたいな仕事をしていたんですよね?」
「ええ、武士の多くが戦地へ赴くに至り、治安を守る人間が必要だった。そこで武家の幼い次男や三男に苛烈な訓練を施した。ほとんどが十代に達したくらいだったようです」
白鳥は顔をしかめた。歴史家は巻物を丁寧に広げ、その一文を指差した。
「ここです。訓練の内容は不明ですが、十人のうち五人は精神に異常をきたした」
「非効率的すぎませんか?」
「当時は戦時下ですから。駄目になった人間でも最前線に送れば仕事はあった。訓練を無事に終えた半分の若者は市中や禁裏を防衛する任務を課せられた。人々を反乱にけしかけないよう、恐怖で押さえつけたのだそうです」
そう言われて、白鳥には、あの壁際を向かされた遊女の亡骸が思い浮かんだ。
「恐怖……往来での処刑とかですかね?」
「ええ、彼らは恐ろしいほど腕が立ち、少しでも反抗すれば容赦なく切り捨てたそうです。壁に向けて首を切るわけです。市中の壁が真っ赤に染まったと記録にはあります」
「……処刑人はその後、どうなったんです?」
歴史家は額を掻きながら、史料を漁った。
「うーん、大半は同心へと転化したようですが、それには条件がありました。新しい世の中に順応することです。出来ない者は殺された。同じ元処刑人の手によって。そして表面上は新しい秩序を受け入れても、心の底から変わった者は僅かでした。結局生き残ったのは四分の一に満たない程度でしょう」
白鳥は目をすがめた。
今まで生きているということは、渡辺左門は新しい世の中に適応したということだ。
では、何故、今さらになって処刑人としての精神を蘇らせたのであろうか。その疑問に対して歴史家はこう述べた。
「老人になると新しい記憶を忘れ、古い記憶を思い出すという現象がたまに起こります。その現象の一つなのではないでしょうか?」
もっと突っ込んだ話を聞きたかったのだが、番所の方から目明しがやってきた。
いつの間にか辺りは夜になっていた。同心の一人が度胸のある遊女を一人説得したらしい。それを巻き餌として左門をおびき出すというのである。
「それ、大丈夫ですか?」
「安全は図ります。周囲には平野さんと河津さん、それに同心を十人配置します」
それにしたって左門の力量を軽視しすぎているように感じるのは、白鳥が憶病だからなのだろうか。
それは分からなかったが、白鳥は目明しに教えられた場所へと向かった。
そこは市中の西部と中央部のちょうど真ん中。花街の外れにある通りの角であった。渡辺家の屋敷からは目と鼻の先で、必ず左門はこの道を通るのだという。
渡辺には事前に話を通しておいたらしい。普段ならば左門の夜間外出を止めるのだと言うが、今晩ばかりは引き止めぬよう依頼した。彼はそれを承諾したという。
「まあ、歴戦のつわものと戦えるいい機会だ」
河津は自慢の髭を引っ張った。
その近くには美しい顔をした遊女がいる。彼女は顔を半分、着物の袖口で隠していた。月光を浴びた肌は白雪のようで、そのしなやか肢体は男の目を引く。
その彼女が声を上げた。同心達が揃って物陰から顔を覗かせる。
あの厳めしい顔をした老人が大小二本を腰に帯び、夜のひと気のない通りを闊歩していた。肩が大きく左右に揺れている。
周辺の住民には通達済みだ。夜のうちは外出をしないこと。した場合は命の保証をしないこと。きちんと守られているようだ。
「それじゃ、行ってくるよ」
遊女は艶然とした表情で提灯を持った。その艶めかしい体が暖色の光に包まれる。彼女が通りの真ん中まで歩き出ると、左門が足を止めた。しかし二、三歩、前によろめく。意気はともかく、十五年もの昏睡状態は彼の体に大きな影響を残したらしい。
「おい!」
動きとは裏腹に鋭い声だ。その雰囲気は決して齢七十を超えた老人には見えない。
彼は大股で遊女に近づき、肩を怒らせた。
遊女は左門の剣呑な姿に全く動じることなく、くつくつと笑い声をあげ、着物の上をはだけた。同心達が前のめりになる。それを平野が鋭く叩いた。
河津はじっと老人の動きを見ていた。
言葉にならない怒りを発した左門が勢いよく剣を抜き払う。
その切っ先は怒りのあまり震えていた。遊女が悲鳴一つ上げずに後方を振り返った。その時にはもう河津が飛びだし、左門に斬りかかっていた。
鈍色の刀身が激しくぶつかり合う。火花が散り、河津と左門の顔が一瞬の閃光で照らされた。
「何のつもりだ!」
かつての処刑人が叫んだ。河津は微妙な顔をして、唸り声を上げた。
「爺さん、俺の顔を覚えていないか?」
「お前みたいな馬鹿面、覚えているわけがなかろう!」
河津は酷く傷ついた顔をして、左門を跳ね飛ばした。
その枯れ枝のような体は勢いよく後方へ吹っ飛んだが、すぐに回転して体勢を整えた。その身のこなしは老人のそれではない。
河津はますます警戒して、剣を構えた。
しばらく二人で睨みあう。白鳥や平野を含めた同心達も飛び出し、遊女を囲んだ。彼女は着物を整えていて、河津の戦いぶりを熱っぽく見つめていた。
一方、河津は鋭く左門に斬りかかった。普通にやれば体力は彼の方が上だ。老人は並はずれた技量でその鋭い斬撃を交わし続けていたものの、やがて体力が切れたのか、胸元のを抑えながら跪いた。
河津が転がった剣を蹴り飛ばした。その直後に平野が飛びかかり、縄を掛けた。
逮捕された老人は、すぐに医師の診断に掛けられた。
こいつも頭は狂っているが、老人ほどじゃない。夜を徹して左門の話を聞き、診療所から出てきた時には苦い顔をしていた。
「ありゃ、本物だな」
その弁に平野が眉間にしわを寄せた。
「本物、とは?」
「自分を二十歳そこそこの人間だと思い込んでいる」
「……五十年前に、戻っているのか?」
「ああ。若いうちは処刑人としての習性や行動を何とか抑えこんでいたのだと思う。だが、十五年間眠ったあとには思い出せなかった」
平野は首を振った。やはり信じがたい現実だ。
診療所の方では同心達が老人を抑え込む物音が聞こえている。同情的な顔をした白鳥に対して、いつの間にか煙草に火を付けた医師は紫煙を吐きながら言った。
「よほど強烈な時代だったんだろうな」