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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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時限式の殺人鬼④

「何用か?」

 と声を荒げた部屋の主、渡辺左門は、ぱっと見ても分かるほど体の痩せ衰えた老人だった。屋敷の主よりももっと枯れて、萎れている。松の枝を思わせるほど細い腕には大きな傷がいくつもあった。

 この老人に人間の首を叩き斬ることは可能だろうか。

 一瞬だけ、そう考えたものの、白鳥は先入観を完全に捨てた。

「はい。役所から調査に参りました」

「……調査?」

 左門は眉をひそめ、近くに置いてあった剣を取る。肩を怒らせ、息を荒げている。往年の処刑人としての姿がはっきりと浮かび上がった。だが、動きがぎこちない。その正体は何か。白鳥は一瞬のうちに脳内で左門の動きを反芻する。年齢からか、下半身がもつれているような感じがあった。

 ただ、その違和感は僅かだ。彼は剣の柄に手を掛けていた。

「またか!」

 その剣呑な様子に下男は飛び上がって逃げてしまった。一方で、異常なほど殺気立った様子に、河津が剣の柄に手を掛けた。それを手で制し、白鳥は息をひそめた。

「調査とは何か! 貴様らも俺を老人扱いするのか!」

 左門の声は鞭のようにしなって二人を叩いた。

 河津でさえ、あっけに取られている。屋敷中が震えそうなほどの大声量だ。誰がどう見たって老人だが、その剣幕は本物である。

 白鳥は、自分が生来持ち合わせている機転を総動員して、深々と頭を下げた。

「は、ええと、……実は、調査と言っても、あなた自身のことではないんです。ええと、厳密にいうと、あなたの持っている剣に関して調査をしたいんです」

 左門が顔をしかめ、今にも抜かんとしていた剣を見下ろした。

「こいつを? 主様から頂いた宝剣だ。断る」

 考えろ、と白鳥は自分に言い聞かせた。商人として働いていた頃ならば、この程度の苦境はよくあることだ。乗り気でない相手を乗せるには、どうするのが一番か? 相手の話に合わせ、機を探ることだ。

 白鳥は勢いよく顔を上げた。

「あ、ええと、実は大戦も末期に差し掛かりまして。陛下の勝利が目前に控えているんです。兜の緒を引き締める必要もありますが、功労者に対して報奨を出さねばなりません。もちろん、あなたにもです。あなたには剣が下賜されることになったのですが……どうしましょう?」

 左門は目の色を変えた。立て膝を解き、改まった様子で正座をする。

「何故、剣を調べる?」

「どうせなら良い物を与えたいというのがこちらの意向でして。あなたの仕事のお話を聞きながら、どうでしょう?」

 彼は剣を白鳥達の前に置いた。誰が見ても分かるほど上機嫌だ。顔が綻んでいる。

 話といっても、一つ振っただけで左門は十ほどの内容を返してきた。それというのも老人としての本質は忘れていないらしく、話好きであるらしい。

 やはり彼の感性からいえば、今の時代は軽薄なのだそうだ。

「今は本当に戦時中なのか? 婦女子が肌をむき出しにして、艶やかな着物に身を包んでいる。若者は貧相で、刀を差している者も少ない」

「はは、大戦は末期も末期ですからね。今はどちらかというと、壊れた経済の方をどうにかしようと言うんですよ」

「ううむ」

 老人が唸った。白鳥は畳みかけるように言葉を重ねた。

「確かに全員が武人としての精神を持ち合わせることは重要です。けれども精神だけではなかなか飯を食えません。ですから刀ではなく農具や工具などを持ち、それによって国に奉仕するよう告げられたんですよ」

 まあ、これは嘘じゃない。五十年前の帝がそんなことを言っていたはずだ。

「ほほお。さすがは陛下……。戦後のことまで考えておいでか。しかし、それでもあの娘達の浮かれようはなあ」

 それでも左門は、やっぱり花街のことを受け入れられていないようである。

 話を続ける白鳥にせっつかれ、河津は鑑定人めいたことをやる。難しい顔をして剣を見、頷いた。日差しを浴びた刀身が鈍色に輝いていた。

「良い剣ですな。かなり使いこまれている」

「うむ、もちろんです。この剣は陛下の敵を斬るために存在する。国家の規律を乱す者にも天誅を加えまする」

「はあ、例えば、男を誘惑する毒婦などかな?」

 何とはなしに河津が問うと、左門は目を輝かせて頷いた。ようやっと理解者が現れたとでも思ったのだろう。興奮した面持ちでにじり寄り、河津の手を取った。

「その通りであります。先日、わしがいつものように夜の警邏をしていたところ、道の陰から若い女が出てまいりました。夜は危険でありますから、早く家に帰るよう告げたところ、その女、わしを笑ったのです」

 左門は膝を叩いた。微かに顔を歪める。思い通りにならない現状を憂いているのだ。

「その女は、わしに言いました。いつの時代に生きているのか、と。もう大戦は過去のものであると。今は自由を謳歌する時代で、女にも夜を出歩く権利はあるとのたまった!」

 白鳥と河津はひそかに顔を見合わせた。

 その様子に気が付かなかった左門は厳めしい顔を手で拭い、まるで道を外した弟子を述懐する宗教指導者のような顔になった。

「わしは言いました。健全な婦女子たるもの家庭に尽くすべきである、と。何とその女、二十歳を越してまだ結婚をしていないのだと言うではありませんか。親不幸であると言ったのですが、やはり聞く耳を持たず――」

 そこで老人は愛刀を見た。今は河津が握っている。荒っぽく溜息をつき、首を振った。

「家に連れ戻そうと手を引いたのですが、抵抗する始末。それで、わしが身分を告げて、その女を逮捕する権利があると告げたところ、大笑いをしてわしの頭を叩きました」

「それで、どうしたんだ?」

「あんたも同業なら分かるでしょう? わしらに手を上げるということは反逆の意思があると言うことです。それすなわち陛下への反逆。当然の権利として斬り申した」

 過日の処刑人は堂々と――それに何の問題があるのかと言わんばかりに――胸を張った。白鳥と河津は思わず顔を見合わせた。左門が眉をひそめた。

「どこぞのお偉方の娘でしたかな?」

 言葉に詰まった河津の代わりに、白鳥が柔和な――されども引きつった――笑みを浮かべた。

「いいえ。どこでその女を斬ったんです?」

「ほれ、あの馬鹿騒ぎをしている場所の近くです。全く、どこを回ってもわし以外警邏をしている人間はいない。大戦に勝ったとして、この弛緩した空気を引き締められるか……わしには疑問ですな」

 白鳥は苦い笑みを浮かべて同意した。

「ちなみに、他には?」

「うむ。一人、二人、そういう人間もおりましたか……。嘆かわしい」

 結局、左門の剣にはこれと言った証拠は残されていなかった。恐ろしく研ぎ澄まされているという以外、河津は何も見抜けなかったのだ。

 二人は深々と頭を下げて部屋を辞した。左門は満面の笑みで頷き、剣を元の位置に戻した。やはり足が悪いのか、少しだけもたついた印象がある。帰り際、渡辺が下男を伴ってやってきた。不安げな顔だ。

「……恐らく、あなたのお父さんを逮捕することになりそうです」

「そうですか……」

 彼はそれほど悲しんではいなかった。何とはなしに息子としての直感が働いていたのかもしれない。彼は肩を落とし、父親である左門翁の部屋に入っていった。

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