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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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とある死刑囚④

 診療所には馴染みの医師がいる。彼の診療室に向かうと、主は紫煙をくゆらせていた。一仕事終えたあとなのだろう。白鳥と平野を見て、顔を歪めた。

「何か?」

 少し不機嫌そうなのは、この際、目を瞑ることにする。事件の真相を隠したこともだ。

 白鳥は咳払いをし、用件を告げた。喜太郎の妻の名を教え、診療記録があるか、と尋ねた。

 彼は煙管で机を叩いた。すると若い見習いがやってくる。白鳥はもう一度同じことを言った。この哀れな見習いは快い笑みを浮かべて頷き、すぐに仕事を終わらせた。

「奴は出世しないが、実に良い手駒になる」

「……出世させる気はあるんですか?」

 その資料を見ながら白鳥が問うと、医師は鼻で笑った。

「人に使われていることに疑問を抱かんうちは無理だな」

 じゃあ一生無理だな、と白鳥は内心で合掌しつつ、平野にも資料を見せた。

 自分の読解能力が特別低いのでなければ、おそらく喜太郎の妻は今頃冥土だ。一年ほど前にやってきて半年前に出て行った。治る見込みが無かったからだ。

 その資料を平野も一瞥し、それから医師に渡して意見を聞いた。彼も同じだった。

「万が一生きていたとしても、もう歩く気力すらないだろうな」

 次いで娘が引っ越した先の長屋に向かった。そこから仕事に出、母の看病をしていた。

 一縷の望みを賭けたのだが、どうやらそこも引き払ったあとだったらしい。三月ほど前のことだ、と近所に住む老婆が教えてくれた。

「どこに行ったか分かります?」

「ええと、お母さんがねえ、随分と悪いって言ってましたから。確か、お寺に……」

 白鳥と平野は顔を見合わせた。

 その老婆のあやふやな言葉を頼りに、豆河の北に向かう。

 近辺にはいくつか寺が固まって配置されている。ひとまずは一番大きな寺に向かい、話を聞くと、応対してくれた坊主が二人のことをよく覚えていた。

「旦那さんを殺されたとか。お気の毒です」

「……で、彼女がここからどこへ行ったのかを聞きたいんです」

 坊主は眉間にしわを寄せた。

「確か、山の縁切り寺にいったとか」

「そうなんですか?」

 市中のさらに北には、いくつか小さな山がある。もちろん修業には最適だから、そちらにも寺はある。

特に有名なのが、その山にある盆地の中に造られたという縁切り寺だった。

 そこでは俗世から切り離される。すなわち絶縁状態となる。親子や夫婦、親類や友人関係を絶ち切る時に使われる。主に女が入るらしい。縁が無いのでさっぱり分からない。

 ともかく親切な坊主に頭を下げ、布施をして、二人はさらに北を目指した。

 東の彼方が菫色に染まっていた。多介の処刑は明日に迫っている。これが空振りならば、もうほとんど手はない。平野も内心では焦っているようだ。いつもより歩く速度が速い。

 山を一つ越えるといえども、それほど峻嶮ではない。鍛えている平野が息を弾ませるくらいの距離と傾斜だった。隣を歩いていた白鳥は汗みずくで、この山道に悪態をついた。

 そうした苦労の末に縁切り寺へとやってきた。冷たい山風が吹く。汗はすぐに引いた。

 入口は朱色の門で固く閉ざされていた。城門を思わせるほどの堅牢な門は、行儀よく閉じられている。

 何でも、己の身だけではなく、身につけていた物を投げ入れても一応縁切り寺に入ったことになる、とかいう不思議な取り決めを聞いたことがある。

 しかし白鳥は男だし、平野に縁を切る用もない。二人は意を決して大きな門を叩いた。

 何度か声も掛ける。段々と周囲も暗くなってくる。白鳥は顎を滴る汗を拭った。ここから市中の町奉行所まで、真っ直ぐ帰っても明日の朝になるだろう。明かりも持たずに来たのは失敗だった。

 後悔が不可視の衣となって二人を包みこんだ時、おずおずといった感じで扉が少しだけ開いた。そこから顔を覗かせた娘を見て、平野が声を上げた。

「お前、喜太郎の娘だな」

 その言葉と平野の形相に、娘が青ざめた顔をした。白鳥は慌てて腰に帯びていた印籠を見せ、用件を告げた。

「実は、多介さんの処刑が迫っているんです」

 娘は怪訝な顔になった。怯えているようでもある。白鳥はかぶりを振った。

「別に、あなた方を糾弾するつもりじゃなくて。ええと、多介さんがあなたとあなたのお母さんに会いたいと言っているんです。その、少しでも憐憫があるなら、どうかついてきてはいただけませんか?」

 そこまで一気に言葉を紡ぐ。白鳥が口を閉ざすと重たい沈黙があった。平野は焦れた顔をしている。娘は困惑した様子だ。夜空に月が浮かんでいた。縁切り寺の正門の辺りにも柔らかな光が注いだ。

 やがて娘も覚悟を決めたらしい。白鳥達の方を見た。外に出ることを許されていないのか、手招きをする。

 近付いて分かったことだが、娘は尼削ぎであった。頭巾をかぶらず、何故か作務衣を着ている。そうなると、どこをどう見ても少年のようにしか見えないのだが、口を開けば娘であると分かる。

「それで、何故?」

 娘の声は震えていた。口を開こうとした白鳥を制し、平野が冷厳な顔を崩さず、一歩分だけ前に出た。

「安心しろ。先ほども言った通り、お前を告発するわけじゃない。死ぬ間際に、お前と母親の現況が知りたかっただけだ」

「……あの人は本当に死刑になるんですか? 助かる術は無いんですか?」

「ああ。残念だが」

 娘は目をまん丸にした。口を開こうと前に身を乗り出した時、後ろから声が掛けられた。

 小さな燭台を持った、剃髪を済ませた尼が怪訝な顔をして近付いてきた。

 どうやら娘の帰りが遅いので、様子を見に来たらしい。四十そこそこだろうか? 顔にはしわが刻まれ、しっかりとした足取りだ。明かりに照らされた顔は猜疑心に満ちている。

 壮年の尼は白鳥達に疑わしげな顔をした。

「何か?」

 再び、同じ説明をする。

 尼の表情が見る間に強ばっていった。一応、喜太郎の事件を隠そうと思ったのであるが、娘がすんなりと話すし、尼もそれほど気にしていない様子から、どうやら事情は話しているのだろう。

 話を全て聞き終え、尼は優しい顔をした。彼女は娘の肩をそっと抱くと、その耳元で囁くように言った。

「行っておやりなさい」

「でも――」

「あなたはここで沢山のことを学んだはずですよ。死の淵にいる恩人を見捨てるような真似は、お天道様が許してはくれません」

 尼は柔らかに微笑んだ。けれども、その態度は決然としていて、白鳥と平野は揃って顔を見合わせた。

 娘は弾けるように寺の方へと駆けだした。その背中を見送り、尼は一つ息を吐いた。

「あれほど渋って……薄情だ、などとは思わないでくださいましね」

「過去のやましい出来事が露見するのは誰もが嫌だろうからな」

 尼は平野を見、首を振った。

「いいえ、罪を忘れたわけではありません。それは間違いです。ここに来てからずっと、多介の為に祈りを捧げてきました」

「どういうことだ?」

 尼は蝋燭の様子を見ながら、なるべく恬淡な様子で呟いた。

「あの子の母親は亡くなりました。最後は……平たくいえば餓死、ですね。もう余命いくばくも有りませんでしたから、最後は多介の安寧を願って……。二か月前のことですわ」

 そこで尼は言葉を切り、冷徹に闇を見据えている平野の横顔を窺った。

「罪が露見することではなくて、それで多介が苦しむのが恐ろしいのですわ。死の淵に立つ時くらいは、心穏やかでいて欲しいですから。あの子は優しい子です」

「あの娘は、これからどうするんだ?」

「……尼になる、とは申しておりますが、わたくしは反対しておりますわ」

 そうこうしているうちに、娘が外套を着て戻ってきた。提灯まで丁寧にも握っている。尼は蝋燭の火を分けてやった。

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