表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第二八番隊  作者: 鱗田陽
131/228

稀代の発明③

 白鳥は番所に戻った。土間のところでは暇を持て余した老婆の話を、平野が延々と聞かされているところだった。

 引き戸を開けた瞬間、彼女の鋭い眼光を浴びせられて、白鳥は顔を引きつらせた。

 剣呑な様子に老婆もそそくさといなくなる。その背中を見送り、平野の手を取って番所の外へ出た。

「ちょっと付き合ってください」

「……どこへ行く?」

「田野屋です」

 平野が口を引き結んだ。田野屋と言えば、同心を含めた役人達は身構える。

 また何かやったのか、という思考が先立つからだ。平野も同様だった。歯をむき出しにし、血に飢えた獅子のようになった。

 豆河から通りを一本外れたところにある、田野屋という巨大な看板が見えてきた時、それまでついてくるだけだった平野が前に出た。その背中は、もちろん自分よりも小さいのであるが、何故だか頼りがいがある。

 平野は何の躊躇いもなく店の中に入った。その瞬間、店内がどよめく。振り絞ったような悲鳴も聞こえてきて、白鳥も慌てて中に入った。

 瞬刻、飛び込んできた光景は、まさに地獄絵図だ。見るからに荒くれ者だと分かる男の胸ぐらを、平野が掴み上げている。

「ええ……?」

 唖然としながら、何とか上司をいさめた。荒くれ者は乱れた着物を整え、突然現れた同心二人に怪訝な顔を向けた。

「……何か用かい?」

 実にどすの利いた、低い声だ。小心者なら、それだけで震えあがるだろう。平野は挑発的に笑い、刀の柄に手を掛けていた。男は血の気を失った顔をして、活路を白鳥に求めた。

「ええ、阿呆斎という男をご存知ですか?」

「阿呆斎? ああ、昔、うちで金を借りていた奴ね」

 どうやら、この荒くれ者が田野屋の店主であるらしい。鼻息荒くする平野を抑え、白鳥は毅然とした面持ちになった。

「昔、というのは語弊がありますよね?」

「は?」

「今も取りたてようとしている。阿呆斎を追いかけさせているのは周知の事実ですよ」

 男は鼻白んだ様子で、白鳥を上から下まで眺めやった。そして相手の素性に気が付き、突然卑屈な顔をした。

「し、白鳥屋の坊ちゃん……」

「……僕ね、相手によって態度を変える奴が一番嫌いなんですよ。ああ、そうそう。帳簿の書き換えは犯罪ですからね。本物の帳簿を出してください」

「いや、役所には毎年、きちんと――」

「嘘はよした方がいいですよ。案外、敵は多いですからね。思わぬところから恨みを買っているものです」

 懐から資料を取り出した。勝手方の、元同僚から貰ったものだ。白鳥は冷然とした表情で田野屋の店主を睨み下ろし、もう一度同じ言葉を繰り返した。

 店主は苦々しい顔をした。勝手方の役人の執念は恐ろしい。市中各地にいる田野屋の顧客から聞き取り調査を行ない、そこから正確な収益を見積もっている。ここ十年で払った税金は、本来課されるべき金額の五分の二程度だろう。

「まあ、いずれは沙汰が出ますから。あなたが金を借りる立場にならなけりゃあ、いいですね」

「……」

「返事は?」

「へ?」

「返事。あんたの阿呆面なんか、見たって面白くとも何ともないんですから。あまりあくどい商売はしないことですよ」

 誰が見ても分かるほど嗜虐的な笑みを浮かべ、白鳥は鼻を鳴らしてその場を去った。

 番所に戻ろうと踵を返したところで、顔馴染みの目明しが二人の下にやってきた。

 どうやら河津が阿呆斎に追いついたらしい。そして彼は、路地の裏で血を吐いてうずくまっていたのだという。

「それで、今は診療所に」

 実に忠実な目明しにいくばくかの金を与え、二人は馴染みの診療所に急いだ。

 入口のところでは不機嫌そうな顔をした医師がいる。彼の話では肺を侵されていて、余命はほとんどないのだそうだ。

「咳が止む時は、死んだ時だろうよ」

 医師はそう呟き、紫煙をくゆらせた。肺を患った患者の隣で、吸う気にはならなかったみたいだ。

 中に入ると、青ざめた顔の河津が寝台に横たわる阿呆斎の顔を覗きこんでいた。

 病に倒れた阿呆斎の姿は骨と皮ばかりが目立ち、痛々しい。呼吸もままならないのか、時折苦しげに胸を抑えて、乾いた呼吸音を上げていた。

 白鳥が傍らに寄ると、阿呆斎がゆっくりと目を見開いた。

「田野屋の件、話はつけておきました」

「……ああ、そうですか。自由を謳歌出来ないのが、残念だなあ」

「馬鹿なことを言わず、治療をしましょう」

 阿呆斎は軽く首を振った。

「私にはね、自分の体の状態が分かるんです。息を吸って、吐くのさえも苦しい。ここまで弱っていちゃあ、薬を飲んだだけで死んじまいますよ」

「……でも――」

「自分のことはよく分かっています。当然の報いですよ……ねえ、お武家さん?」

 白鳥は阿呆斎の力ない手を取り、にっこりと笑った。

「何でしょう?」

「一つ、お願いがあるんです」

 そこで彼から提案されたことは、第二八番隊からすればあまりに荒唐無稽で、前代未聞のことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ