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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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稀代の発明②

 てっきり借金の話なのかと思ったが、阿呆斎があまりに真剣な顔をするものだから、白鳥と河津は揃って頷いた。二人は一段高くなっているところに腰かけた。

 阿呆斎はほっと一つ息を吐き、髪がなくなって久しい額のあたりを、ぴしゃりと叩いた。

「先ほど見ていただいたのが、こちらの機械なんですが――」

 後生大事に抱えていた包みを取り、先ほど稲妻を発生させた機械を露わにした。

 白鳥は顎に手を添え、感嘆の息を漏らしながら目を近付ける。見れば見るほど精緻で、作りの細やかな機械だと分かる。

「――実は、私の思っていた以上に盛況でしてね」

「そりゃ、良かったじゃねえか」

 不機嫌そうに唸る河津に、阿呆斎は首を振った。そのほんの半瞬にも満たない時間、彼は真面目な顔になり、やけに落ちくぼんだ目をすがめた。

「それが、そうもいかないんですよ。借金取りが私のことを追いかけ回すんです。ちゃんと手続きをして、破産したってのに。寝る間もないくらい追いかけてくる……」

 阿呆斎は枯れ枝のような手で、疲れ切った顔を撫でた。河津は眉間にしわを寄せ、溜息をついた。悲しそうな顔をしている。すぐに同情的になるんだから、と白鳥は呆れた。

「まあ、心情的な問題ですよ。あなたがもっと上手くやっていれば、回収できたかもしれないんですから」

「でも、法的には何ら問題ないんですよね?」

「もちろん。その時のあなたには返す当てがなかったんですから、致し方ありません」

 白鳥の返答に、阿呆斎は肩を落とした。

 その拍子に、またしても咳をした。今度はなかなか止まらず、白鳥は咄嗟に彼の背中を撫でた。皮の下に直接、骨の感触がある。ほとんど肉はついていないようだ。阿呆斎は何度も、しつこく咳をして、激しく喘ぎながら天を仰いだ。

「……どうも、申し訳ありませんね」

「病気か何かですか?」

「ええ、一年ほど前から空咳が多くなりましてね。この間、医師に余命宣告を受けました」

「……ご家族は?」

「いません。皆、私に愛想を尽かしていなくなりました。私が死にかけだって言うこともあって、借金取りはこの機械と、いくばくかのお金を狙っているんですよ」

 阿呆斎は疲れ切った様子で目を揉み、そして首を振った。膝に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。体がふらつき、白鳥が咄嗟に受け止めた。

「どうも。最近は体も動かなくなっていましてね。いずれ、連中に捕まるかもしれません」

「どこの連中に追われているんです?」

「田野屋です。あすこしか、金を貸してくれなかったんですよ……」

 その声は涙が滲んだような、かすれた声だった。

 入口の所に立っていた河津が首を振った。どうやら番所に逃げ込んだことは知れているようで、何人かがたむろしているらしい。

 白鳥は静かに頷き、裏手から出るように、と告げた。阿呆斎は呆けた顔をしたものの、すぐに古びた草履を脱ぎ、申し訳なさそうに厨房の方へと向かった。

 あとに残された白鳥と河津は、そっと顔を見合わせた。

「田野屋、ですって」

「あんまし、良い評判は聞かんな」

 この田野屋、という店は主に金貸しをやっているのだということが、何となくの記憶として白鳥の中にはある。あまり良い評判を聞かないのは、強引に金を貸し付け、その家の娘や家宝などを奪っていく、という荒っぽい手法を取ることもあるからだ。

 また、返済能力がないと明らかに分かる人間に金を貸し、過酷な仕事に送る、というようなことまでやっている。

 はっきりと言えば、商人からも、一般的な民衆からも、あまり好かれる性質ではない。

 だが、ここまで店を存続させられたのは、貧困がごくありふれたものだからだ。その日の飯にも困る連中は数多くいて、そういう人達が田野屋の暖簾をくぐるのだ。

 白鳥はゆっくりと立ち上がった。少なくとも阿呆斎に関して、田野屋が金を取りたてる権利は残っていない。

「全く、釘を差しておきますかね……」

 河津も同意しかけ、顔を上げた。

 遠くの方で男達の怒号が響いた。河津が、さっと鋭い視線を外に向けた。混雑する雑踏ばかりが見える。だが、阿呆斎の笑い声が微かに聞こえた。

「おい、どうする?」

 心配そうな河津の様子に、白鳥は沈思した。番所を空けて大丈夫だろうか?

 日はうららかで、豆河通りも比較的穏やかそうだ。今日は平和そうな一日だろう。人は来ないだろうし、よしんば来たとしても他の番隊が対処できる。

 小さく頷く。河津が弾けるように番所から飛び出していった。

 それを見送った白鳥は、市中の中央にある勝手方の仕事場に向かった。煤けた看板が日を浴びて薄汚れて見える。豆河通りとは打って変わって、ひっそりと静まり返っている。

 例によって出世した元同僚に声を掛けた。彼は畳敷きの作業場で帳簿と睨めっこしている。彼の部下も同様だ。昼間だというのに血の気を失った顔をしていると思ったら、ここ三日ほど家に帰っていないのだそうだ。

「また、激務ですね」

「うるせえ。今日は何の用だ?」

「田野屋について調べに来たんです。その、阿呆斎――」

「あの阿呆が何だって? また金を借りたのか?」

 死にそうな顔をしている。白鳥は苦笑いを浮かべながら、前のめりになった元同僚を押しとどめた。

「いえ、田野屋が債権のない状態で取り立てをしようとしているんですよ」

「……日常茶飯事じゃねえか。一日に五人は、そんなことを訴えに来るぞ」

「そうなんですが、阿呆斎はその、もう先が長くなさそうでして」

「同情か?」

 元同僚が冷めた目を向けていた。白鳥は一つも迷うことなく頷いた。

 何が自分を動かしているのか、と問われたら、阿呆斎の境遇を憐れんでいるだけだ、とはっきりと答えることが出来る。成功した途端に死にかけるなんて、報いがきつすぎやしないかと思うのである。

 元同僚は冷然と鼻を鳴らし、深々と太息をした。

「甘過ぎんだよなあ。放っておけばいいじゃねえか」

「……例えば、です」

「あ?」

「例えば、あなたが帳簿の誤記載を見つけたとして、それを黙って処理することは出来ますか?」

「いや、しない」

「それと同じ気分なんですよ。世の中、探せばいくらでも不幸なことは落ちているでしょうが、せめて自分の目の前にあるものくらいは、助けてあげたいと思うんです」

 元同僚は不機嫌そうに舌打ちをした。若い部下達に、仕事をしておけ、と唸るような声を浴びせかけ、 白鳥を伴って近くの一室に向かった。そこは租税に対する資料が集められている場所であるらしい。地下にあり、壁際には隙間なく書棚が置かれている。

「田野屋ってのは悪徳だ。何が悪いかと言えば、帳簿をちょろまかして税金を払ってねえってことだ」

「はあ」

「おかげで俺の仕事が増えるんだよ。あの連中に俺の怒りをぶつけて来てくれ」

 元同僚は疲れ切った酷い顔で笑い、白鳥に一束の資料の写しを託した。

 それは田野屋が提出した過去十年分の帳簿と、勝手方の役人が調べ上げた経営実態を比較し、利益が著しく低く書かれていることを証明したものであった。

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