表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第二八番隊  作者: 鱗田陽
13/228

不幸な男③

「そりゃ、お前。今にも死にそうなんだからよ、素直な気持ちを吐きだせるわけねえだろ」

 翌日、見回りの時間に白鳥がこの出来事を話すと、共に道を行く河津が鼻でせせら笑った。彼に言わせれば、白鳥が感情の機微に疎いだけだというのである。

 二人はその日も豆河通りを警邏していた。人出が多く、やはりどこかの店で特売が行なわれているのだ。その人いきれをかき分けるようにして進んでいた白鳥は、隣に立つ河津に顔をしかめた。

「それにしたって、もう少し好意の示しようがあるんじゃないですか?」

「……お前なあ、全身全霊で愛してくれるような男だぞ? 自分が死んじまったら、絶対に独身を貫くじゃないか。今際の際までそっけなくしておけば、もしかしたら良い人にころっといくかもしんねえだろ」

 分かったような口を利いているが、この河津は独身である。三二歳にして、いまだ女性と婚姻関係を結んだことはなく、必然的に彼の家は男の一人暮らし感で満ちあふれている。女の影などありはしないのだ。

 その事実を踏まえた上で、白鳥は肩をすくめた。平野に吐露する訳にもいかないし、他の同心と仲が良いわけでもない。この生涯独身街道を走りそうな、武骨な同僚に愚痴るしかないことに、彼は情けない気持ちにさせられた。

「全く……」

 そうぶつくさと文句を言っているうちに、見慣れた場所に足を踏み入れた。そこは白鳥屋が居を構える、豆河通りでも屈指の地帯であった。

 特に両替商、万問屋が軒を連ね、ここから北の終点までは、いわゆる豪商が店を構えているのである。白鳥屋はその始点付近にある。豪商の中では格が一つ落ちるが、しかし市中でも随一の店であることには変わりない。

 その立派な店構えを遠目に見て、白鳥は顔をしかめた。河津の方も、納得したような顔をして、さっと周囲の雑踏を一瞥する。まあ、大抵の人は万問屋だとか両替商だとかに興味はないから、人の流れが減っていくのである。

「じゃあ、隣の道に行くか」

 有無を言わさず河津は豆河通りから離れた。店の裏手が面する私道を越え、さらに隣の通りに出てくる。豆河のせせらぎが遠のいて、白鳥は露骨にほっとした顔をしたが、しかしすぐに顔を引きつらせた。気を利かせたつもりの河津が、ムッとした顔をした。

「何だよ、ここにも白鳥屋が出てんのか?」

「いや、そうじゃなくてですね。件の田室さんの店がこの通りなんですよ」

 と弱音を吐く白鳥を見下ろして、河津は溜息をついた。彼らの任務は繁華街を見回ることであるから、これ以上離れても仕方がない。

 河津はじっと白鳥を睨み、どっちの道に行きたいのか、と無言のうちに問いかけた。この商家出身の若い新入りは、散々逡巡した末に打算的な妥協案を提示した。

「あの裏通りはどうです?」

 店々の裏手が面する私道を指差す。河津はそちらの方をちらりと流し見、考えを巡らせた。人がいないような道を見回ることに、何の意味があるというのか。

 だから、白鳥は持ち前の口先を軽快に動かした。河津など、彼の口八丁の前には赤子にも等しい。彼を説得するのは文字通り赤子の手をひねるよりも簡単だ。

「ほら、最近変な人を見かけるって言っていましたし」

「ほお、誰が?」

「う……、父上が。見慣れない人が出回っていて物騒だって」

「ほお」

「それに、さっき物陰に人がいるのを見ましたし」

「何だと?」

「何か、地面を這いずり回っている的な?」

 視線を彷徨わせながら、必死の嘘八百を並べ立てているうちに、河津の方は本気になってしまったらしい。

 これだから簡単な男なのだ、と白鳥はほくそ笑んだ。

 結局、二人は商家が敷地を譲り合って作った細い私道に足を踏み入れた。そこは昼間だというのに薄暗く、冷やりとした空気がはびこっている。その感覚が肌を撫でて、白鳥は身を震わせた。

「どこだ、どこで見た?」

 もう臨戦態勢に入っている河津は、刀の鯉口を切り、右手を柄に置いていた。血走った視線を周囲に向けている姿を見れば、彼が只者ではないと分かる。

 実際その通りで、同心の中でも一、二を争うほど腕が立つらしい。

 らしい、というのも、白鳥からしてみれば、大抵の奴は彼より強いから、誰がどれくらい強いのかは全く見当もつかないのだ。

「えーと、その物陰辺り?」

 適当に指をさすと、河津は慎重にその先を窺って、やがて弾けるように駆けだした。その熱血漢のような後ろ姿に、白鳥は呆れ顔を作った。女が出来ないのは、この所為なんじゃなかろうか。何にでも一生懸命すぎて、相手が引いているのではないか?

「おい、白鳥!」

「はいはい」

 地面にしゃがみ込んだ河津が鋭い声を放った。白鳥は全く気のない様子で、鷹揚に応じた。

「人が倒れている。医者を呼んで来い」

「え? 本当に?」

 白鳥がさっと近寄ると、確かに河津の足元で人が倒れていた。そしてその人物が、さなであることが白鳥の動揺をさらに掻きたてるのだ。

 思わず足をすくませた白鳥に対して、河津が鬼気迫った様子でもう一度叫んだ。

「医者を呼んで来い!」

 白鳥は慌てて私道を駆け出て、馴染みの医者を担いで戻ってきた。

この医者、白鳥が子供の頃から爺さんだったから、いったい何歳なのか、誰にも見当がつかない。天狗と人の相の子だとか、人魚を食ったと言われているくらい長生きなのだ。

 そのまま、さなは番所まで運ばれることとなった。

 田室に引き渡そうとしたのだが、彼女がかたくなに首を振ったからだ。弱り切った体で逃げようとするものだから、白鳥が何とか取り成して、番所で寝かせることに決まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ