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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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天下一級①

「たのもう!」

 という男の声が道場の中に鋭く響いた。中で稽古していた若者達が、汗を拭きながら声のした方を見る。

 そこには、およそ常人とは思えない風体の男が立っていた。髪の毛をひと束ねにし、もみ上げは逆立てている。着物はぼろぼろで、赤銅色の肌が見えている。顔の半分を覆った髭は顎先に向かって逆三角形を描き、目は恐ろしいほどの殺気を湛えていた。

「たのもう!」

 男がもう一度叫ぶと道場の奥から師範が出てきた。そこは市中でも珍しい、町人を相手にする道場だった。中で稽古をしているのは近所の商家で働く者ばかりで、中には若い娘もいる。男は、それらを鋭く睨みつけ、師範に視線を移した。

「勝負願いたい」

 その言葉に、棒きれを振りまわしていた素人集団が呆気に取られた。

 その中に混じって汗を流していた白鳥は、恐る恐るといった感じで師範を見やった。青ざめた顔が引きつっている。あ、こりゃ駄目だ、と即座に分かる。

 そもそも町人ばかりが集まる、市中でも小規模な道場を襲うなんて、どうかしている。この厳めしい風貌の男は何がしたいのだろう?

「如何?」

 男は澄まし顔だった。腰に佩いているのは古くなった棍棒だ。樫か、柿か、はたまた山椒か、ともかく硬い木の棒なのだろう。師範は、そちらにも視線を向け、顔中に浮いた冷や汗を恐る恐る拭った。

「ええと、我が道場は、その、道場破りは禁じておりましてな……」

 何とも苦しい言い訳だ。棒を肩に担いだ白鳥は、誰にも気づかれないように道場の隅っこに寄った。他の連中も同じように道場の真ん中を空けた。入口のところで、男が不敵な笑みを浮かべている。彼は門下生達をじろりと睨んだ。

「腰抜け共め。誰か一人でも、俺と戦おうという奴はおらんのか?」

 その声は道場の内部を激しく揺さぶった。白鳥は肩をすくめ、強く目を瞑った。音で判断する限り、男は道場に土足で入ってきて、門下生達を睨んでいるようだ。彼らの低い悲鳴が、時折聞こえてきた。

 男の荒い鼻息が白鳥の顔にもかかった。男は白鳥の周りを一周し、その右耳のところで大声を上げた。

「貴殿! 何故目を閉じている」

「……ええと、目が見えなくてですね」

 咄嗟についた嘘だが、何とも情けない。平野が聞いていたら殺されるかもしれない。

 だが、筋骨隆々な男の腕で、あの硬い棒を振りまわされたら、今日を生きられる保証は一つとしてないのだ。明日平野に殺されるとしても、今日を生き伸びなければそんな機会は永劫訪れない。

「む、そうか」

 男は案外信じこみやすいらしい。素直に頷いた。薄目を開けて見た限り、今度は師範の方に近付いていった。

「貴殿、俺と戦え」

「ええ? こ、困ります。我が道場は、その、素人向けの軟弱道場でして。出来れば看板ではなく、お金で済ませて欲しいのですが……」

 そうはっきり言われると、何だか情けない気分だ。

 市中には道場が数えきれないくらいある。だが、武士の為のものであり、町人が通うことはほとんどない。そのため門戸の広い道場は、師範の実力の割には人が集まり、資金も潤沢なのである。

 その中でも落ちぶれているのだから師範の実力はお察しだ。この前、若者にカツアゲされている姿が目撃されたほどである。

「……それでは意味がない。看板も金もどうでもいい。貴殿、俺と戦え」

「ひえええ」

 師範の声が響き渡った。

 白鳥は相変わらず目を閉じたままだったが、あとの光景ははっきりと思い浮かんだ。へっぴり腰の師範が道場の中を逃げ、男がそれを追いかけ回す。最後には首根っこを捕まえて無理やり戦った。男は木の棒で師範をしたたかに打ちつけた。

「むう、この程度か」

 男は溜息をつき、そのまま道場から立ち去った。看板はそのままだった。その上、道場破りにはありがちな、道場の名声を落とそうという卑劣漢でもなかったようだ。金も看板も取らずに、さっさといなくなった。

 道場の中がしんと静まり返り、安堵するような溜息がそこここから響いた。壁と同化するように直立姿勢だった門下生達が、膝を崩してその場にへたりこんだのだ。白鳥も同様だった。彼は、隣で同じように尻もちをついた町人の娘を見やった。

「あの男、なんだったんでしょう?」

「さあ? でも、私達の方をちらちらと窺っていました」

「僕達の方? 師範ではなく?」

「ええ、師範なんか眼中にないみたいで」

 娘は冷や汗を稽古着の裾で拭うと、道場のど真ん中で大の字に倒れた師範の元へと向かった。

「大変! 師範が泡吹いているわ」

「……誰か医者、呼んできてくださいよ」

 白鳥は胡坐を掻き、道場の壁に寄りかかった。ひんやりとした感覚が、浮いた冷や汗を乾かしてくれた。

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