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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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天狗⑤

 ともかく捜査を再開する。河津も別の方面から聞き込みをしていてくれたらしい。

 二人は港近くの廃屋に向かった。かつては魚問屋の倉庫だったらしいが、その店も潰れ、買い手が付かなかった。

 いや、正確には買い手をつけなかったのだ。漁師達が結託して、そこを誰の手にも渡さなかった。理由はすぐに分かった。

 廃屋の中に入ると、酒の臭いが充満していた。男の汗臭さと、煙たい香の匂いもこびりついている。床には藁が敷かれている。

 今日は二人しかいないようだ。ここは漁師達の賭場兼寝床だ。買った女を連れ込むこともあるらしい。それに漁師といってもほとんど荒くれ者ばかりである。柄の悪い、治安を乱す要因みたいな連中しか使わない。

 戸口から差し込む白光を浴びて、男達が呻き声を上げた。

 河津は素早くそのうちの一人に近づき、結わいた髪の毛を掴んで持ち上げた。途端に男の悲鳴が聞こえる。

 もう一人も起き出し、神平家の紋が入った印籠を見せられて、何も言わずに河津を見上げた。

「どっちが藤五郎の兄貴だ?」

 どすの利いた声だ。へたり込んでいた男は、河津が持ち上げた方を指差した。名を真一というようだ。

「お前、藤五郎を知っているな? 番所に来てもらうぞ」

「うるせえ」

 真一が叫んだ。河津は彼の腹に拳を叩き込み、舌打ちをした。

 半ば引きずるようにして真一を小屋から出す。もう一人の方も事情を知っていそうだったから、白鳥は立つようにと促した。

 外に出ると真一がぐったりとしている。どうやら逃げようとしたらしい。河津が腕を回し、もう一発殴ろうか、と尋ねていた。

「……逃げたって構いませんが、罪を上乗せして、遠くの島に送りますよ?」

 白鳥はもう一方の男の顔を覗きこむようにして、とびきり怖い顔になった。

「まず一つ。昨晩のことを聞かせてください。日没から今まで、何をしていました?」

 男の視線が路地の方を向く。白鳥は男の後頭部を掴んで、自分の方に向かせた。

「逃げない方がいいって、忠告しましたよね? 次に答えないようだったら、ちょっと厳しく取り調べる必要が――」

「と、藤五郎と会っていました。俺達、金がなくって、そしたら真一の奴が、弟が最近羽振りがいいって」

「で、どっちが刺したんです?」

 やはり白鳥は冷淡に尋ねた。この男達を見ていると、不思議と感情が湧きあがらない。湧かせるのさえ無駄に思える。男は急におどおどとして、真一の背中を指した。

「あいつが。藤五郎が、金ねえって言ったから、かっとなって刺しちまったって。なあ、何でそんなこと聞くわけ?」

「藤五郎さんが亡くなったからですよ」

「え? あいつ死んだの? でも、刺されたあともピンピンしていて、俺達と殴り合いの――」

「……あなた、刃物を刺された人間と殴り合ったんですか?」

 男は顔を引きつらせた。急に俯き、下唇を噛んで頷いた。

「で、昨日はどこで喧嘩を?」

「なあ、俺達が殺したのか?」

「どうでしょうね。でも腹部を刺突されて、おまけに殴りあったら死ぬこともあるかもしれませんね」

 それが直接の死因でないことは重々承知の上だ。せいぜい真実が明るみに出るまで苦しめば良いのである。

「まじかよ……」

 頭を抱えた男が、途端に白鳥を押しのけて逃げようとした。

 だが、捕縛用の縄で腰をくくられている。すぐに体勢を崩してすっ転んだ。白鳥は力いっぱい縄を引っ張った。男は地面に引きずられ、逃げようともがいた。

 反撃もそこまでだった。騒ぎに気付いた河津が戻ってきて、男の顔面に蹴りを入れた。そのまま通りがかった別の同心達に命じて、この男を運ばせる。

 白鳥は喚く気力もなくなったらしい真一の頬を叩いた。河津に振りまわされて、ぐったりとしている。向けられた顔は藤五郎と酷く似ていた。

「昨日、藤五郎さんとはどこで喧嘩を?」

 河津に何発か貰ったあとらしい。力ない声で言った。

「……あいつが船を泊めていた辺り」

「そう言えば、船がありませんでしたが……。あなたが盗んだんですか?」

「馬鹿言え。そんなことをしたら金にならないだろ。むしろ山から帰ってきたあいつに船を買ったのは俺だよ」

 真一は苛立たしげな顔をした。それから深々と溜息をついて、額に手を当てた。

「殺すつもりはなかった。刺したのだって、かっとなったからだ。あいつ、本当に死んだのか?」

「……ええ。刺されたあと、何らかの要因で神経が麻痺して、海でおぼれたんだと思います」

「麻痺?」

「そうです。藤五郎さんの昨日の晩ご飯は分かりますか? 常用していた薬とかは?」

 真一は、ちょっとだけ考えるそぶりを見せ、河津の手を煩わしげに払った。白鳥が頷くと、この中年同心は苦々しげな顔をして手を離した。真一は地面に胡坐を掻いた。

「……俺達さ、とんでもねえ貧乏の育ちで、晩飯なんか食わないんだよ。もちろん薬も飲まねえ。生まれてこの方、そういう連中の世話になったことがねえんだ」

 そこで真一は自嘲気味に笑った。

「日が暮れて、腹が減ったら寝るんだ。あとはそうだな、どうしても我慢できない時は水でも飲むか……」

 真一は宙空を見上げた。その顔は真剣そのものだ。河津が苛立ち始めた頃になって、彼は一つ思い出した。

「でも、あいつ昨日は飯食ったって……。ほら、花街の」

「天狗屋?」

「そう。あいつ、あそこに魚を卸していたんだ。天狗の肉とか言ってさ」

「……何の魚です?」

「フグだよ、フグ。舌がピリピリすんのが健康に良いって皆が言ってるって。でも、あんな嘘は駄目だって、金になっても人として腐るって。だから喧嘩になったんだ。毎日漁に出ていたんだけどさ、昨日で辞めたって言ってたな」

「じゃあ、今日は漁に出ないつもりだったんですか?」

「ああ、たぶん」

 白鳥と河津は顔を見合わせた。だが、青ざめるのはあとだ。河津は、真一も別の同心達に任せた。

「お前は人生を反省しろ」

 二人は急いで港に戻った。

 朝方出て行った漁師達は、まだほとんど戻ってきていない。

 その中で、桟橋には大きな荷車が一台止まっていた。小さな船から樽を運び出す男の姿がある。

 河津が印籠を掲げ、大声を張り上げると、その男はこちらの様子に気が付いたようだった。慌てて船に戻っていく。船体が大きく左右に揺れ、男は甲板にしがみついた。

 二人はなおも大声で男を呼び続けた。

 男は慌てた様子で船を漕ぎ出そうとしたが、戻ってきた別の漁船に体当たりをされて、船は転覆してしまった。

 漁師達が海に飛び込む。逃げようとした男はあっという間に捕まった。濡れねずみだが、見覚えがある。二人は顔を見合わせた。

「あなた、天狗屋の……」

「おい」

 河津が白鳥を呼んだ。船から運び出されていたのはフグだ。樽一杯に入っている。厳つい顔をした天狗屋の店主は、血相を抱える同心達に不敵な笑みを向けた。

「何が天狗の肉だ。何も分からねえでさ」

「……藤五郎さんを殺しましたね?」

「ふん、あいつが悪いんだよ。片棒を担ぐなら、最後までやればいいんだ。中途半端に正義感振りかざしてさ。フグの毒を食わせたら、のたうちまわって海に落ちたよ」

 港の入口から平野が大股で近付いてくるのが見えた。彼女は何の躊躇いもなく天狗屋の店主を蹴り飛ばし、その喉元を掴んだ。

「藤五郎の体内からフグの肝が見つかった。それから、店の従業員に全部吐かせた」

 何と恐ろしい言葉だ! 白鳥はその従業員の味わった恐怖を想起して怖気を震わせた。

 店主は唸るような声を上げた。だが、平野の鉄拳で制裁され、黙りこんだ。

「こいつはフグをろくに処理せず出していた。調べさせているが、すでに二人が死んでいる」

「え?」

「それって……」

「お前達が食った肝、毒入りかもしれんな」

 平野が不敵に笑う。白鳥と河津はそこで顔を見合わせ、桟橋のへりに手をついて、思い切り喉の奥に手を突っ込んだ。

 嘔吐する二人の声が、潮騒に紛れて響き渡った。

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