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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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化け物④

 化け物を育てたという親の家は森のすぐ近くにあった。軒下では焼いた川魚や干した大根が吊るされ、濡れた投網を広げて乾かしている。

 家の真ん前には耕されたばかりの田畑があり、そこで一人働いている。白鳥が声を掛けると近付いてきた。一見老人かとも思ったのだが、よく見ると老婆だ。

「どうも、町奉行所から来ました」

 白鳥が頭を下げると、老婆は何も言わずに膝をついた。

「申し訳ございません。また、あの子が何かしたんでしょうか?」

 額を擦りつけんばかりに頭を下げる。田畑を見ると、踏み荒らされたような跡もある。着物から覗く腕は枯れ枝のように細っている。

 そっと老婆のそばに膝をつき、起き上がらせた。老婆は何度も頭を下げた。嗚咽を漏らし、白鳥の肩に額をぶつける。

「申し訳ございません、申し訳ございません」

「……あの、ちょ、ちょっと」

 半ば抱きとめるようにして老婆を止めた。老婆は憔悴しているようだった。上の空で何度も頭を下げる。

「……どうします?」

 白鳥が苦々しげな顔で尋ねると、それ以上の渋面を作った平野が肩をすくめた。

「河津は残れ」

「は……俺ですか?」

「そうだ。私は老人の世話などやったことが無いし、白鳥は交渉役で必要だ」

「いや、しかし、俺もやったことが……」

 平野は冷淡な視線を河津に向けた。この髭面の同心は苦り切った顔で頷き、白鳥の肩を叩いた。

「すぐに終わらせて来い。婆の小便なんか、片付けたくもねえ」

 白鳥と平野は、その場を離れた。

 近くに大きな川が流れている。豆河ほどではないにせよ、岸を渡るには舟が必要なくらいの幅がある。 川面に網を投げる子供の姿もあった。岸の方では舟の残骸がうず高く積まれていて、その近くで近隣の住民らしき人達が頭を抱えている。

「……あれが男に壊された舟でしょうか」

「だろうな。しばらく漁には出られまい」

 白鳥は小さく頷いた。天罰と考えれば、良い気分にはなる。

 それにしても、と頭を抱える。男はそれほど鬱憤が溜まっていたのだろうか? あれだけ老婆に謝らせて、住民の生活の糧を壊して、一体どこに行きつくつもりなのだろう。

 川を辿っていくと、すぐに上流へと辿りついた。そこは小高い山になっていた。傾斜の表面を木々が覆っている。

 川の一部はその山の頂上の方から流れてくるらしい。水中では川魚が泳いでいて、輝く水面には周囲の景色が映り込んでいる。

 白鳥は、そっと木々の間を窺った。不気味なほど静まり返っている。水のせせらぐ音だけが耳道を揺さぶっている。

「こんにちは!」

 と声を掛けると、猛烈な勢いで石のつぶてが投げられた。随分な御挨拶だ。白鳥が引きつった笑みを浮かべる。後ろにいた平野が、ゆっくりと前に出た。

「ちょ、危ないですよ」

「町奉行所だ! お前には傷害の嫌疑がかかっている。大人しく出て来い!」

 また石ころが投げられる。先ほどの物もだが、濡れて藻がこびりつき、緑がかっている。

 確認した限り、男は山の中腹の方から手ぬぐいを使って投げつけているようだ。随分と前時代的な野郎だ、と白鳥は鼻を鳴らした。

 足が不自由だ、という情報の通り、去っていく彼は肩を左右に大きく揺らしていた。

 平野は大股で森の中に入っていった。白鳥もそれを追いかける。

 遠くで見るより傾斜はきついようだった。平野は、ひねくれた松の木に手を掛け、半ば崖のようにも見える山の表面を登っている。白鳥の方は、そこよりも少し離れた場所になだらかな傾斜を見つけ、急いで駆けあがった。

 森の中は冷たい空気で満たされている。日が差さない場所もあり、夜のように薄暗い。

 一見して分かることは、山が手入れされているということだ。

 素人目で判断する限りだが、木の一本に至るまで無駄な枝はない。足元も濡れた落ち葉はほとんどない。山の表面の土が顔を覗かせている。

 二人が入った途端に鳥が飛び立ち、山が少しだけ震えた気がした。枝葉が風に揺れ、重なり、何だか不安になってしまう。

 白鳥は汗を拭った。周囲を見渡す。どこから男は姿を見せるだろうか、と恐怖に怯えつつ、もう一度声を掛けた。

「あのう、町奉行所の者です。お話がしたいだけなんです」

 遠くの方から遠吠えのような声が聞こえてきた。

 地面が震えだしたかと思ったら、頂上の方から土砂が流れてきた。それほどの量じゃないが、足を踏ん張らせないと流されてしまいそうだ。

「ちょっと! 逮捕しに来たわけじゃないんですよ」

 あの昔話の主人公も、老婆がいなければこういう荒んだことをしていたのだろうか。

 ……いや、現実の方にも良い老婆はいる。となると問題は男自身か周囲の人間ということだ。

「お願いします。ふもとのお婆さんも、困っていましたよ」

 やや間があって、遠くの方から枝葉が揺れる音がした。次は何が落ちてくるのか。

身構えていると唸るような声が響いた。

「またあの連中か! 懲りない奴らめ」

 男の声は怒りに満ちているようだ。白鳥は大きく息を吐き、もう一度顔を上げた。

「別にとって食おうってわけじゃありません。あなたの行動を咎めに来たわけでもありません。あのふもとの腰抜け同心とは違うんですよ」

「黙れ! お前達は何もしてくれないじゃないか」

「それを解決しようっていうんです。ここで抵抗していたってジリ貧ですよ。お婆さんの元気は無くなるし、もっとあなたの居場所も失われる」

「あの連中と相入れる気はない」

「別に、僕達はそんなことを言いに来たんじゃないですよ。僕達と話をしてくれ、って言いに来たんです。彼らは関係ない。むしろ……」 

 平野が近隣住民をぶん殴って、こっちの立場も危うくなっているんじゃなかろうか。

 白鳥は首を振った。今は後ろ向きなことを考えている場合じゃない。

「とにかく、話しあいましょう。あの連中とは違うってことはすぐに分かりますから」

 遠くの方で、また枝葉が揺れる音がした。

 だが、今度の音は違った。遠くに離れていくようだ。険しい斜面を登る平野に手を貸し、白鳥達もあとを追った。頂上付近に小屋があった。その扉が開いていた。

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