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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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化け物③

 日が南中を駆け昇り、うだるような暑さになった。

 さすがの平野も疲労の色が濃い。まさか捨て駒なんじゃないだろうな、と噴き出た汗をぬぐいながら白鳥は妄想した。隣では河津が頭から水をかぶっている。

 東部の番所に到着したのは昼飯には少し遅いくらいの時刻だった。

 腹がぐうぐうと鳴り、どこかに飯屋はないか、と男二人が血眼になっているところに、馬に荷車を曳かせた商人が正面からのんびりと歩いてくる。上機嫌だ。歌を歌っていた。

「……ああ、番所ね。あっち」

 この商人は気の良い笑みを浮かべた。笑った口元にあざが出来ている。なんてことない怪我ですよ、と彼は笑った。

「ちょっとね、交渉の結果です」

「……その様子では上手くいかなかったようですね」

「物の見方の違いですよ。これくらいの怪我、利益に比べたらどうってことない」

 荷車には濡れた丸太や舟らしき残骸が満載されている。他にも焼いた川魚や、干した大根なども運んでいるようだ。彼は愛想よく頭を下げ、また馬に歩くよう促した。

 歩きだしてすぐに番所が見えてきた。白鳥と河津がその達成感に打ちひしがれていると、前を行く上司が苛立たしげに振り返った。

「おい、さっさと行くぞ」

 平野も、疲労と空腹で不機嫌になっているらしい。まさか、これが狙いだろうか? 今ならば、鉄拳を相手に振り下ろすくらいは造作もなくやってのけるだろう。

 ともかく番所に入った。入口のところで声を掛けると、優しげな顔をした下男が出てきてくれた。彼に用件を告げる。ほんの僅かにだが、表情が曇った。

「……何か、あるんでしょうか?」

 恐る恐る白鳥が尋ねる。背中には二つの双眸が突き刺さっている。今、振り返るわけにはいかなさそうだ。何せ、下男は泣きそうな顔をしていたから。

「そのう、同心の方々が、出払っておりまして」

「全員?」

「はい。それで、その、わたくしでは、用件を承れません」

「彼らはどこに?」

「分かりません……」

 下男の男は前掛けを強く握りながら言った。

 東の同心共に制裁を加えるのは別としても、この番所の中には旨そうな匂いが立ちこめていた。味噌が焼けるような、そんな香ばしい匂いだ。

「……じゃあ、ここで休ませてもらいます。その馬鹿者達と入れ替わりになるわけにはいきませんからね」

 腹が盛大に鳴っている。ただ、唐突に飯をくれと言えるような卑しさを、白鳥は持ち合わせていなかった。二人の上司は恨めしげな顔をしていたものの、深々と溜息をついて土間に腰かけた。吹き抜ける風が涼しく、すぐに汗は引いた。

 ぼんやりとしていると、先ほどの下男が戻ってきた。盆を持っていて、その上には焼いた握り飯と新香、それに川魚の佃煮がある。

「どうぞ」

 どこの番所も下男は素晴らしい人間だ。白鳥は充分に礼を言い、心付けとしていくらかの金を握らせた。握り飯の中には焼いた味噌と紫蘇をあえたものが入っていた。

 それを食べ、食後の一服をしていると、大騒ぎする一団が番所の前を通った。

 彼らは無遠慮にも番所を覗きこみ、中に同心がいると知ると、ぎゃあぎゃあ喚きながら入ってきた。

 土間の一画で胡座を掻いていた平野が眉を吊り上げた。きりきりするような胃の痛みに耐えながら、白鳥は愛想の良い笑みを浮かべた。

「何かご用でしょうか?」

「ご用でしょうか、じゃねえだろ!」

 その一団は応対に出た白鳥を取り囲むと、口々に罵声を浴びせかけた。どうやらよほど理性を失っているようだ。彼が困惑しているうちに段々熱が上がり、ついには襟首を掴んで揺さぶった。

「ええ? ちょ、ちょっと」

 情けない声が上がる。膝を打って立ち上がろうとする河津を、平野が押さえて座り直させた。

 彼女は、目の前で騒ぎたてる一団を睥睨し、その腰に帯びた剣――もちろん鞘からは抜いていない――を振り上げた。

 河津は思わず両手で顔を覆った。鈍い音が響き、男の悲鳴が上がった。

 その手荒な真似に、他の連中が今度は平野に矛先を向ける。だが、彼女は冷厳な表情を一つたりとて崩すことなく、刃のように研ぎ澄まされた声を放った。

「黙れ」

 その様子に興奮した面持ちの男が拳を振り上げた。だが、怯むことなく剣が振り下ろされる。鈍い音が広がった。男はもんどりうって倒れ、土間の真ん中で痛みに苦しんでいる。

「黙れ。話は一人ずつ、一つずつだ」

 平野はそう冷たく言い放ち、ひとまずは一人、怯えた様子の女を指名した。

「あ、あの、ば、化け物が、ま、また、丸太をな、流して、それで、舟が……」

 別の男があとを継いだ。

「それで、ここに出入りする商人が話をつけに行ってくれたんですが、逆に怪我をして帰ってくる始末で。舟を買い直す費用にするからって、丸太は持って帰っちゃって……」

 そこまでくればあとのことは簡単だった。

 衣服を整えた白鳥は苛立った様子の平野を抑え、彼女を土間の奥へと追いやった。彼は商人の次男坊としての愛想の良さをこの上なく発揮し、詳細な事情を聞きだした。

 それによると、この近辺の同心達は化け物と呼ばれる男を恐れて、毎日のように逃避行を繰り広げているらしい。それで番所の中はいつもがらんどうなのだとか。

「なるほど」

 白鳥は頷いた。一通り話して相手も落ち着いたようだ。あとのことは任せておけ、と簡単に請け負い、彼らを追い出した。

 再び番所に静けさが戻ってくる。平野は草鞋を履き始めていた。河津ものろのろと準備をする。

 白鳥は一足早く外に出て、その化け物とやらの育ての親に会いに行くことにした。

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