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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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偶然の産物③

「……調べてきました」

 その翌日、朝一番に番所の控室へと入った河津は、やはりそこにいた主に告げた。

「で?」

「名前は凛。長屋で母親と二人暮らし。仕事は農作業を少々。親孝行な娘ですね」

「……何ともご立派だな」

 平野はぶっきらぼうにそう言った。河津は顔をしかめたものの、不用意な一言が思わぬ事態を招くと悟ったから、懸命にも口をつぐんでいた。

「そんな娘が何故、白鳥に目をつけた?」

「……いや、その、白鳥じゃないみたいなんですよね」

「ほお?」

「白鳥屋に、最近吉之助って若者が戻ってきたんですが、そっち狙いみたいですね。最初こそ、白鳥を追いかけていたみたいですが、今となっては白鳥の方が探す始末です」

「……近付いた理由はそれだけか?」

 平野はあくまで冷淡な声で尋ねた。何かを懸念しているようだ。河津も同じ気持ちであった。

 あの男は、あまりに人を信用しすぎるし、お人好しで、お節介焼きな部分がある。そういうところにつけこんで、悪さでもしようとしているんじゃないかと考えたのである。

 だが、河津は首を振った。

「まあ、純粋に吉之助に近づくためみたいです。昔から長屋育ちだったそうですが、豆河通りに来ることはめったになかったようで。その吉之助が戻って来てから、初めて顔を見せたようです」

「……では、白鳥は?」

 厳格な平野も、時には同情的な顔をすることがある。それを見て、河津は顔を手で覆った。それほどことは深刻なのだ。

「奴はあてつけですよ。吉之助に近づくための布石です」

「……白鳥に家庭環境を喋ったのもそれか?」

「ええ、確実に。白鳥の口から言わせれば、より効果的だと考えたんでしょう。実際その通りだ。奴は聞いたこと全部吉之助に話しちまっている。恋敵だとは、露ほども考えていないんですから」

 と、そこで番所の表の方から白鳥の声が聞こえてきた。

 何も知らず、今日も必死に仕事をこなすんだろう。その反動がどこで、どう返ってくるのか、考えただけで二人は怖気を震わせた。

「……言うのか?」

「はあ、いずれは分かることですから」

 河津は、本当に情けない顔をしていた。いくら何でも、この仕打ちは人間の所業じゃない。若い男を捕まえて、別の男のための踏み台にしようなんて。

 しかし平野はきっぱりと首を振った。

「……止めておけ」

「は? いや、しかしですね、お嬢」

「もう少しだけ仕事をさせろ。ここ数日、書類作業で忙しい。それに、伝えるならいつ伝えても同じだ。全部終わらせてからにしろ」

「……お嬢」

「河津、白鳥の仕事が全部降りかかってくるぞ」

 薄ら暗い取り決めが、二人の間で取り交わされた。

 河津は、なるべく平静を装って控室を出た。もう仕事に取り掛かっている白鳥は、その間抜けな同僚を見て、眉を吊り上げた。

「河津さん、そっちの資料まとめておいてください」

「……うん」

 この健気な若者が利用されているのだと思うと、なんともやるせない気分になる。あの女はなんて残酷なんだろう、と自慢の髭を撫でながら、哀憐の情に浸った。

「河津さん! さぼろうったってそうはいきませんからね」

「分かっているよ。世の不条理が無くならないのかってことについて考えていたんだよ」

「……頭、どこかに打ちました?」

 河津は首を振った。

 今日も警邏に向かう。番所を出た瞬間から白鳥は楽しそうだ。凛の姿を探して、視線を彷徨わせている。

 探したところで、相手はお前なんか見てねえぞ、と何度言ってやりたいと思ったか。

 だが、言ったところで信じないだろう。先ほどはああ言ったが、この無邪気に喜ぶ白鳥の背中を見ていると、説得できる気は全くしないのである。

 そんな河津の悶々とした考え事をよそに、白鳥はまるで踊るようにして喧騒の中を突き進んでいた。

 鼻歌を歌い、髷の様子を確かめている。河津が見た限り、着物も最近買ったばかりだし、草履も職人に作らせたものだ。気になることといえば腰に帯びている剣だが、一応大根くらいは切れる代物である。

「しっかし、いませんねえ」

 手で庇を作りながら、白鳥が呟いた。いつもならばその辺の店先にいて、声を掛けると優しげに手を振ってくれるのだが、今日はその姿が見えない。

 実をいえば、白鳥も最近凛に避けられていることに気が付いていた。

 三度、四度と逢瀬を交わすうち、彼女が自分に対して分厚い壁を築きあげていることに、全く気付かないではなかったのだ。

 それでも男の性である。何とか崩してやろうと思った。

 河津が知らないだけで、先日は豆河の上流まで遠出をした。

 その時に作ってくれた弁当は絶品で、帰りしなに偶然出会った吉之助に自慢したほどである。凛は呆けたように頬を染めて、俯いていた。

 あの手ごたえならば、いくらか押せばいけるんじゃないか、と稀代の戦術家が戦場を見た瞬間に抱くような優れた直感を働かせていたのだ。

「あ……」

 白鳥が顔を綻ばせた。

 警邏の道順からは逸脱しているのであるが、凛の姿を白鳥屋の近くで見つけたのである。

 彼女も白鳥に気が付いたようだった。いつも通りに手を振ってくれる。

 その弾む背中を見て、河津は溜息をついた。

 本当に残酷な女だ。白鳥の思いを知ってなお、それを利用しようとしている。したたかで、それでいて邪気のない人間である。

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