忘れられた現実④
「報告しろ」
平野は冷厳な顔を崩さぬまま言った。別の番隊の連中は雑木林の中へと入っていった。
「はい。警邏の最中、雑木林の中にある廃寺の墓にて子供の遺体を発見しました」
「……何故、発見した?」
「はい。雑木林の中で行方不明になった子供がいる、という情報を得た為です」
「どこの誰からの情報だ?」
「雑木林で遊んでいた、近所の子供です。それから……」
白鳥は遠ざかる元住職を見つめた。平野はそちらに顎をしゃくり、河津を向かわせた。すぐに苦々しい顔になり、歩くよう促しながら言った。
「かつて、あの雑木林で殺人事件があった」
「……確か、墓守が殺したとかいう? 元住職が犯人を逃がしたって」
「そうだ。それが十年前のことだ。寺はそのまま打ち捨てられた。元住職は地位も追われた。標的は必ず子供。殺したあとに墓に埋める。こうした手口から、墓守の犯行だと考えられ、当時の同心達は彼を逮捕し、自白させた」
「随分詳しいですね」
「河津から報告を受けて調べてきた」
「……どうやって?」
「資料のある棚を漁ってきた」
白鳥は顔を引きつらせた。その棚は自分が片付けたものだ。誰でも見やすいように日付や事件ごとにまとめたのである。
ただ、同心は整理整頓が苦手なのか、資料が出しっぱなしになることが多い。今回も、もちろんそうだろう。この捜査から帰ったあとに、どれくらいの仕事が山積しているだろうか、と頭を抱えたくなった。
ひとまずは、いなくなったという子供の聞き込みをしつつ、周囲を回る。
すぐに子供の素性は知れ、急いで子供の家へと向かった。そこでは沈痛な面持ちの夫婦が、長屋の隅でぼんやりと座りこんでいた。
「あの」
戸を開け、入口のところで白鳥が声を掛けた。夫婦は悄然とした表情を保ったままだ。
「町奉行所の者ですが……ええと、お子さんの件で」
母親の方が跳ねるようにして腰を上げ、白鳥に突進してきた。蹴躓くようにして入口のところで膝を屈すると、大粒の涙を流して叫び声を上げた。父親の方は重たい足取りで近付いてきた。白鳥達の様子を見て、察するものがあったのだろう。血の気が一層失われた。
「子供が、見つかったんですか?」
「ええ、おそらく。残念ですが……」
足元で母親が嗚咽を漏らした。父親はその肩を抱いてやりつつ、白鳥を見上げた。
「どこで見つかったんですか?」
「あの雑木林です」
その瞬間、父親が目を見開き、生気のない顔に凄烈な怒りを滲ませた。
「住職だ……住職が殺したんですよ」
「……どうしてそう思われるんです?」
「十年前も同じことが起こった。子供が何人も殺されました。現場もあの男の寺だし、殺人鬼を逃がしたのも同じだ」
父親は白鳥に縋りついた。
「ねえ、あの男を捕まえてください。だっておかしいじゃありませんか。あの薄汚れた墓守は逃げたまま帰ってきていない。でも、その男を逃がした奴は、我々と同じように生きている。今度は私達の子供が殺された。住職以外に誰がやったというんです?」
白鳥は、困惑した面持ちで平野に視線をやった。彼女は首を振っている。白鳥も頷き、苦悶の表情を浮かべながら父親の手を外した。
「いくつか質問にください。あなたのお子さんは、雑木林によく行っていましたか?」
父親は涙をぬぐいながら頷いた。昔は綺麗に整備された、格好の遊び場だったのだそうだ。寺が打ち捨てられてからは木々が鬱蒼と茂り、近寄りがたい雰囲気になった。
「神隠し、なんて言葉を聞いたことは?」
「子供が良く言っておりました。ああ! あれも住職が言ったんだ。前歯のないお爺さんが、子供達に神隠しにあう、悪魔が出る、と雑木林を指して言っていたそうです」
「……なるほど。ちなみに墓守の男ってどんな人だったんです?」
「薄汚れた男です。右足を引きずっていて、いつも俯いていました。あの殺人鬼が帰って来たんですか?」
「いいえ、あらゆる可能性を考えて捜査をしなけりゃあならないんです」
そこで白鳥は父親の手を取り、しっかりと握りしめた。
「その、お子さんは今日中に診療所に運ばれると思います。そこで検視をして、あなた方の下に戻ってきます。……一応、そのあとのことも考えておいてください」
父親は何度も頷いた。白鳥は、着物の裾を掴んで泣き叫ぶ母親も諭した。
外に出ると、東の空が少しずつ赤く変わっていこうとしていた。人々は忙しそうに行き来している。
「不思議なのは――」
歩きながら、白鳥は空を見上げていた。まだ青く、夜には程遠い。隣を歩く平野が鼻を鳴らした。
「――神隠しについてです。噂が広まったのはここ最近で、子供ばっかりが話を聞いているんです」
「元住職から聞かされたんだろう?」
「ええ、でも、彼が本当に子供を殺す気なら、あからさまなことをしますかね? しかも神隠しなんて、雑木林に近寄らせないような噂だ」
「何が言いたい?」
「おかしいじゃありませんか。よしんば子供達の好奇心を煽るにしても、彼は嫌疑の目を向けられている。その状況で、誰の目にもつかず人を殺せますか?」
平野は眉間にしわを寄せた。
「犯人がもう一人いる、と?」
「もしくは元住職自体は濡れ衣で、ただの被害者かもしれないってことです」
平野は苦々しげな顔をした。
「……だとしたら、誰が――ん?」
馴染みの目明しが息を切らしながら駆け寄ってきた。彼は二人の前で膝に手をつき、一つ息を吐くと低くくぐもった声を上げた。
「河津さんが誘拐犯を逮捕しました」
二人は顔を見合わせ、汗みずくの目明しを叱咤しながら、番所へと駆け戻った。