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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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堕天使達の呼び声⑥

 白鳥が首をかしげながら本堂に戻ってくると、そこには喚き疲れたのかぐったりとする老婆と、河津の他二人の同心がいた。彼らもまた、どこかから響いてくる念仏の声に首をかしげていた。

「おい、婆さん。この声の主はどこだ?」

 河津がとびきりどすの利いた声を上げると、老婆は力なく首を振った。それで仕方なしに別の同心が老婆の背中を殴りつけると、彼女はくぐもったような悲鳴を上げて、人の身の丈ほどの大きさの天使像を指さした。

 白鳥が近付く。天使像に触れると、冷やりとした石の感触があった。どうやら入念に磨き上げられているようで、それは白鳥の商人の次男としての審美眼からいえば逸品ということになる。

 そして、その天使像を上から下まできちんと見やって、白鳥は真実に気が付いた。

 埃が溜まった本堂ではあるが、天使像の周辺には埃が落ちていない。ここだけは不自然に磨き上げられたような跡がある。

 三人の同心にお願いして、天使像を後ろから押してもらった。しかしびくともしない。前から押してもらうと、今度はすんなりと重たい像が動きだした。

 その足元に不自然に区切られた板が見えた。

 天使像の足場にぴったりと収まる大きさだ。白鳥はそこで刀を抜き、板の隙間に差し込んだ。同心達が憮然とした様子で鼻を鳴らしたが、商人の身の上からすれば、こんなものに矜持を覚える方がどうかしているのである。

 白鳥は一つ声を上げて板を浮かし、その隙間に同心達が指を入れて無理やり上げた。

 すると念仏の声がさらに強くなった。どうやら、この本堂の地下から念仏の声は聞こえてきているらしい。二人の同心が小回りの利く脇差を抜き払って、その地下へと続く階段を降りていった。もちろんのこと、白鳥も河津に目配せをして、曲がった刀を両手に握り締めたまま階段を降りた。

 その先にあったのは土を掘り出しただけの小さな穴蔵だった。

 先に入っていた同心達は脇差を収めている。念仏も止んでいた。白鳥も、曲がった刀を四苦八苦しながら鞘に収めて、その薄暗い空間に足を踏み入れた。

 この穴蔵の端には五人ばかり、異国出身の少年少女が固まっていた。

 その誰もが半裸で、現れた三人の男に怯えた顔をしていた。どれもこれも下卑た男の好みそうな子供達だ。白鳥は眉をひそめ、いつぞや見たあの男達の顔を思い浮かべた。

 さっと周囲を見渡して、彼は地上に向かって声を発した。

「河津さん、ここにイズさんを連れてきてくれませんか」

 ややあって、河津が階段の奥から顔を覗かせた。この髭面の男の顔を見ると、少年少女はますます怯えた顔をしたものの、彼の笑みには親近感が沸いたらしく、すぐに緊張を解いた。

「分かった」

 河津が頷いたのを見計らって、白鳥もこの五人の異国人に視線を戻した。

「いま、イズさんが来ますからね」

 そうしてたっぷり三十分は待った。一度は彼らを階上に連れて行こうとしたのだが、彼らの方がそれを激しく拒んだため、仕方なしに同心達は階段に腰掛け、じっとこの五人の子供達を見ていた。

 入口の方が騒がしくなると、白鳥は慌てて階段から顔を覗かせ、駆けこんでくるイズを見てほっと息をついた。

「どうぞ、こちらに」

 この白鳥の安堵と同じように、異国人の子供達もイズを見てわっと泣き出した。聞いたこともない言葉を話している。イズもその言葉に応じている辺り、故郷は同じなのかもしれない。

 どうやら同心という職務に就くと、涙もろくなるらしい。白鳥は鼻の奥がつんと痛くなって、その場から離れた。他の同心達が見ていてくれるから、自分は気を紛らわせようと思ったのだ。

 そうして階段を上がり、台所にやってくる。すると、そこには河津がいて、お櫃に入った冷えた米の匂いを嗅いでいた。

「何かあったんですか?」

 と白鳥が問うと、河津がはっと顔を上げて、首をひねった。

「いや、ここで作られた握り飯から毒が出たなら、この米に入っているのかと思ってな」

「止めておいてくださいよ。死なれたら敵いませんから」

 そう言いつつ、白鳥も近くにあった小瓶を手に取った。それから臭いを嗅ぎ、首をひねった。

「まあ、あの婆さんを吐かせれば済むことですよ」

 老婆までもが捕まってしまうと、イズは取り調べに訥々と応じてくれるようになった。

「私と、あの子達は奴隷です」

 イズの前に立っていた平野が、その面上にいつもの冷厳さと、そして優しげな表情を織り交ぜた。その相反する感情が渦巻く顔は、どこか魅力的に見えた。

「それで、あの一家は何をさせたんだ?」

「それは……それは違います」

「どう違う?」

 平野が首をかしげると、イズは俯きがちにさらに言葉を重ねた。

「進太郎さんは、ああいう行為をやめさせようとしたんです。あの老婆は昔から奴隷を買って娼婦や男娼として仕事をさせていましたし、進太郎さんもそれを幼い頃から見ていました。だから、その、注目を浴びさせて老婆の仕事を邪魔したんです」

 なるほど、と白鳥は思った。進太郎一人の力ではあの老婆の悪行を止められない。であるからイズの美貌を使って宗教を興し、嫌でもあの家に人が集まるようにした。

 進太郎は、そういう意味では天賦の才能があったに違いない。彼は好色家であったにもかかわらず、どのような人間にも好かれていたのだから。

「でも、あの守銭奴にとっては、進太郎さんの裏切りが許せなかった」

「それで嵌めたのか?」

 イズは首を振った。それに関しては分からない、と。ブドウの一件に関しても、あれが必然であったのか偶然であったのか、見当もつかないと言うのであった。

 ともかく、そうして事件は終わった。

 老婆に対しては苛烈な取り調べが行なわれ、生と死の狭間で彼女はついに自供を始めた。ブドウの一件は偶然であった、と。何故だか知らぬが進太郎の恋人が死に、それを好機ととらえて息子を陥れたのだと述べた。

 そして毒に関しても、老婆の吐いた通り彼女の部屋から干した毒茸が見つかった。彼女はこれを握り飯の具とし、それによる中毒症状で進太郎は死んだのだという。

 こうして事件を終えて、白鳥はほぼ疎遠だった父の元へと赴く羽目になった。

一にも二にもなく父に頭を下げ、そしてイズとその子供達に関して、仕事を見つけてやってほしいと懇願した。

 それが利いたのかどうかは別として、イズと元奴隷の五人の子供達は遠くの港街へと引っ越すことになった。仕事はともかく、同郷の商船が頻繁に出入りするからだ。

 その一行は、町奉行所の同心に伴われて市中から去った。

 その後ろ姿が朝霞の中に紛れてしまうまで見送った白鳥は、深々と溜息をついて踵を返した。日中は番所で書類仕事をせねばならない。終わったことにいちいち気を取られている暇はなかった。

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