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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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不幸なる白鳥徳次郎

 そこは中津国と呼ばれる小さな島国の首都である。〝市中〟と名付けられた首都近郊の中央には、帝の住まう禁裏があり、そこから放射状に様々な官舎が立ち並ぶ。

 この禁裏を境に市中は東西に隔てられていて、東は平らな大地が続く農耕地帯が、西は海に密接して港湾地帯が、それぞれ発展している。

 畢竟、西には商業地帯が広がっていて、多くの人や船でごった返していた。そうした喧騒が遠くの潮騒と共に聞こえてくる。

 禁裏の西の足元の、勝手方の屋敷内にあるがらんどうの一室で、二人の男が対峙していた。

 そこは物置にすらされていない場所であり、僅か四畳ほどの大きさの部屋には何一つとして物が置かれてはいない。いわゆるデットスペースという奴で、階段を付けた関係で生じた空間に畳を敷き詰めただけの場所であった。日も差さず、薄暗い。内緒話をするには十分だ。

「はあ、転属ですか……」

 そう弱々しく俯いたのは白鳥徳次郎であった。この男は、市中に居を構える〝白鳥屋〟の次男坊である。というからには兄が居り、そちらに白鳥家の跡取りの座を取られてしまったため、彼は仕方なしに国に奉公しているのである。今現在の彼は、中津国勝手方の雑務役、という下っ端も下っ端――帯刀すら許されない立場であった。

「そうだ」

 この白鳥の上司が、うだつの上がらない様子で頷いた。他の連中に対してはともかく、何故だか白鳥に対しては情けない顔で、見下してくるのである。その表情がどうにも我慢ならないのだが、白鳥は腹の奥底にどす黒い感情を秘めて、首をかしげた。

「でも、今度の春に昇進の話が有ったじゃないですか」

「ああ、うん。それなんだがね、白鳥君。無くなっちゃった」

 こともなげに吐かれた上司の言葉に、白鳥は愕然とした。思わず眼前にいる上司の胸ぐらに掴みかかり、力いっぱい引き寄せた。

「ちょっと! どういうことですか」

 存分に揺さぶられて、上司は眉をひそめた。そういう時は気の弱そうな顔をするものだから、白鳥はますます勢いよく彼の体を揺すった。

「ああ、ああ、揺らさないで白鳥君。僕だってまったく分からないんだから」

「あんた上司でしょう? 上に行って聞いてきなさいよ」

「それは……うーん、そうしたいのは山々なんだけど」

 と言い澱む上司の体を、もう一度揺らした。すると彼は、今にも泣きそうな顔を白鳥に向けた。

「ああ……、白鳥君、聞いて、聞いてってば」

「なんです? 仕事をする気になりました?」

「違うんだよ、白鳥君。理解出来ない場所から辞令が降ってきたんだから」

「どこです?」

「大目付」

 その言葉、二度か三度繰り返されねば、白鳥には理解出来なかった。大目付、それは白鳥にとっても雲の上のような存在である。

 そも、この中津国というところ、五十年ほど前に行なわれた大戦を経て建国された国である。帝とその血族を中心に据える伝統派と、遠く海の向こうからやってきた民主主義なる制度を主眼に置いた革新派とで、国を二つに分けての戦いが合ったのだ。

 結果、伝統派が勝利をおさめ、今この時まで生き永らえている。

 ただ、この争いにより帝は政治から身を離し、代わりに老中という役職が設置され、これが国の政を動かすようになった。

 こうして新たな秩序が出来あがったのだが、問題もあった。もちろんのこと政治には汚職が付き物で、それは大戦前の帝も同様だ。しかし、帝の場合はその血統的な部分からある程度は許されてきたのだ。

すなわち、帝位に就ける限られた人間ということで見過ごされてきた。

 だが、老中は違う。彼らも貴族の一員ではあるが、血筋的には帝よりも卑しく、一般的な民衆に近い。これは老中の施行する政策に大きく影響を受ける民衆からすれば、大変に腹立たしいことであった。

 自分とそう変わらない人間が、なにゆえ富を食むのか。頽廃甚だしい、と憤るのも無理はない話である。

であるから、老中とその近辺を監視する役割として目付という役職が設置された。

 しかしこの目付、何故だか名前で軽んじられることが多いものだから、思考錯誤の末、大目付という役職が、さらに上級の役職として創られたのである。

 まあ、内実は職務が煩雑に過ぎたための増員なのだが、それを知っているのは帝と老中と、当時の目付だけである。

 そういうわけで、大目付というのは帝の直属の配下であり、そして国のトップを監視する立派な役職なのである。その立派な人が、何故だか白鳥の出世を阻み、そして彼を名指しで転属させたのだ。

「そんな人がまた何で……」

 白鳥は悄然と頭を抱えた。その手が離れたのをいいことに、彼の上司は一気に飛び退り、脱兎のごとく逃げ出しながら最後っ屁を掛けていった。

「じゃあ、白鳥君。明日からここに来なくても良いからね」

 そんなわけで白鳥徳次郎は、勝手方雑務役から、町奉行所預かりの同心へと一種の昇進を果たしたのであった。

 これは本当に昇進といって差し支えないものであるのだが、生まれてこの方、剣も振ったことがない商人出身の若者からしてみれば、苦痛以外の何物でもない。この中津国で同心といえば、警察機構の中枢である。当然のこと荒事ばかりで、白鳥にとっては辛い辞令であった。

〝白鳥徳次郎――町奉行所預かり。中津国市中西地区見回り同心第二八番隊へ転属を命ずる〟

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