第5話「聖女選抜試験に落ちた自分には、何も残らないはずだった」
「国の王子が女たらしとか……」
「だって、誰が聖女に選ばれるかなんてわからない……」
「気がないなら、優しくしちゃダメ……」
「はいはい、俺と王子様が悪かったです。申し訳ございませんでした」
溢れ出る涙を拭うものを持ち合わせていないフェルは、人差し指で何度も何度も私の涙を拭ってくれた。
「優しいね……フェルは……」
彼の優しさを申し訳なく思うと、止まるという言葉を知らなかった涙が溢れ出るのを我慢し始める。
「俺のこと、優しいって言葉で片付けようとしてるでしょ?」
私の心を和らげるように、フェルは穏やかな声で話しかけてくれる。
「優しい人を、優しい人って言うのはいけないこと……?」
「そういう意味じゃないよ」
涙で滲んだ視界にフェルの顔を映そうとするけれど、ぼやけた視界ではフェルの表情がよく見えない。
「優しいって言葉で線引きされると、俺はそこからディアナの内側に入っていけなくなる」
「……私の、内側?」
「うん」
涙の跡すらなかったことにしようと、フェルは私の涙の跡をごしごしと拭ってくれた。
痛いって反抗しようとしたけれど、それはできなかった。
真っ直ぐな優しい瞳で、フェルが私を見ているって気づいたから。
やっと、フェルを自分の視界に映すことができた。
「ディアナは、無理しすぎ」
フェルのこの瞳は、私をとても安心させてくれる。
どう生きていけば、フェルみたいに優しくなれるのか。
どうしたら、こんな風に心の底から湧き上がるような安心感を届けることができるのか。
「神様が、休むように命じてくれたんだよ」
治癒魔法とは名ばかりで、心にできた傷は治すことはできないと嘆く人がいる。
心の傷を癒すためにはどうしたらいいか。
学問として研究する人すらいるのに、フェルはいとも簡単に私の心に栄養分を与え始める。
「私……クラレッド様の役に立つことができたかな……」
「もちろん! 王子様だけじゃなくて、国民全員がディアナに感謝してる」
フェルはきっと、その優しさを持って、私が飽きるまでずっとお話してくれる。
見えない未来のことだって、不安を抱く明日のことだって、フェルは私とお話をしてくれる気がする。
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいんだって」
届くはずのない謝罪の言葉が零れ出すと、私の気持ちをすべて見透かしているかのようにフェルの瞳が私を心配する瞳へと変わってしまった。
「クラレッド様だけじゃなくて……」
「ん?」
「初めて会うフェルにも迷惑かけちゃって……本当にごめんなさ……」
フェルが換気のために開けてくれていた窓から、春を思い起こすような爽やかで優しい風が一瞬部屋の中を吹き抜けていった。
「自然も怒ってるんだと思うよ」
自身の髪とフェルの髪が揺れた。
吹き込んできた風は、私の後ろ向きの感情を吹き飛ばすために現れたのかもしれない。
「ディアナが、自分の頑張りを認めてあげないから」
新しい人生を始めるときが来たってことを、部屋に運ばれてきた風が私に教えてくれた。
そんな錯覚を起こす風の優しさに、私の心は動揺する。
終わりを迎えて、こんなにも早く次の始まりが訪れるなんてあり得ない。
これは物語の世界の出来事ではないはずなのに、胸が急に苦しくなる。
「フェルが優しいから、凄く癒された……」
「ゆっくり休んで、早く元気になろう」
「ふふっ……ゆっくりなの? 早くなの? どっち?」
「そうそう。笑うって、すっごく大切なことだから」
いつまでも、迷惑かけっぱなしのままではいられない。
私と一緒にいてくれる人には、安心とか穏やかな気持ちとか、温かい心でいてほしいと思っているから。
「俺はね、ディアナのことを迷惑って思ったことはないよ」
「でも、私は今、フェルに心配かけて……」
「心配をかけることは、いけないこと?」
私の頭を優しい手つきで撫でてくれる。
フェルの手から伝わる温もりに気づいたとき、私は鮮明な視界でフェルのことを受け入れる。
「好きな子だから、心配するんだよ?」
フェルの表情は、私が好きだと感じる優しいものへと戻っていた。
人を包み込むような、心がぽかぽかしてくるような、フェルから感じられる優しさに泣きそうになる。
「好きな人が悲しそうな顔とか、苦しそうな顔をしていたら、心配になるのは当然」
私がフェルの瞳に見惚れそうになったとき、フェルから《《好きな子》》という言葉が発せられた。
それと同時に、自分の頬が赤く染まっていくのが自分でも分かる。
「そういう心配を迷惑って思われたら、俺は生きていけない」
フェルは私から目を逸らすことなく、澄んだ瞳で私を見つめてくる。
「俺は、ディアナが大切。だから、これからも心配させてほしい」
体中が熱くなりそうなこの感覚が何だか恥ずかしくて、フェルから思い切り眼を逸らしたいと思った。
だけど、そんなに真剣な優しい瞳で見つめられたら、逸らしたいはずの気持ちも消えていってしまう。
「俺、昔ディアナに救ってもらったことがあるんだよ」
「昔……?」
「魔法学園に通ってた頃、ダンジョンに潜って大怪我して……」
ずっとフェルと視線を交えていたかったけれど、そろそろ体は限界を訴える。
「って、ディアナ!?」
心の傷が癒されたからといって、熱までは都合よく下がってはくれない。
「え、あの、これからいい話をするところだったんだけど……」
治癒魔法を使う人たちには、大きな欠点がある。
「……ま、いっか」
自分の傷や病気だけは、治療することができないということ。
「これから、しっかりと恩を返していくよ」
だから私は、医療業界を滅ぼすほどの治癒魔法を持つ魔女だと噂されたとしても……体はずっと弱いまま。
医療業界から火炙りで殺されることになる前に、多分、風邪をこじらせて亡くなってしまうことになると思う。
「覚悟してね、ディアナ」
聖女選抜試験に落ちた自分には、何も残らない。
結果の出ない努力を積み上げてきた私には、何もご褒美なんてものは与えられないと思っていた。
でも、私が過去に注いだ努力は、フェルとの縁を結んでくれた。
それを教えてもらえるのは、もう少し先のお話。




