第1話「聖女候補は、包丁一本すら握らせてもらえない」
(私も、フェルの力になりたいけど……)
ダンジョンの五十階層は、古代の遺跡のような雰囲気を醸し出している場所だった。
石造りの壁には習ったこともない文字が刻まれていて、あちこちを見渡すと何かしらの仕掛けが施されていそうな朽ちた彫像。
上を見上げると、地上の景色と変わらない曇り空のような空が広がっている。
(元聖女候補なんて、お荷物以外の何物でもない)
五十階層はモンスターが現れないように整備されていて、病院を経営していく予定の私とフェル以外にも冒険者のために働いている人たちがいる。
宿泊施設と呼ばれる施設では食料や生活に必要な物を購入することができるけど、聖女試験の手切れ金しか持たない私はフェルに頼りきり。
(治癒魔法で、いっぱい人を救えるようにならないと)
五十階層で待っていた古びた洋館が、病院を経営していく私たちの拠点となる。
外観だけは壮大で、かつての栄華を物語っているようにも思える。
でも、人が住まわなくなって年月が経っていることを証明するように、窓は割れて、扉は半開き。
天井からは無数の蔦が垂れ下がり、病院のはずなのに日当たりの悪い造りには溜め息が漏れ出す。
「光魔法なんて使えない……」
元聖女候補が使えるのは、治癒魔法のみ。
病院の中に光を取り込みたいと願ったところで、それはありとあらゆる属性の魔法を使うことができるフェルを頼るしかない。
窓の向こうには空のようなものが広がっているのに、どうしてこの病院には光が届かないのか。
「ディアナ、少し休憩しよ」
元病院という特別な場所のせいなのか、太陽の光が届かないという根本的なことが原因なのか、思っていたよりも寒さを感じる洋館に体を震わせたときのことだった。
「腹、減った」
禍々しい雰囲気漂う洋館には相応しくない、美しい黒色の髪が姿を見せた。
「あ、ごめんね! もう、お昼ご飯の時間だよね」
何十年も使われていない洋館は埃とカビの匂いが充満していて、どれだけ掃除に時間をかけても終わりが見えてこない。
「なんでディアナが謝んの? これから共同生活なんだから、変に気を遣うと疲れる」
大きく伸びをしたフェルは、ゆっくりと自身の体を解していく。
「ディアナは先に、風呂でもどうぞ」
長い間放置されていたため、洋館は蜘蛛の巣が支配する場所となっていた。
どんなに気を遣っていても、互いの髪には蜘蛛の巣が引っかかっている。
「昨日は私が先だったから、今日はフェルが先。ね」
「それはありがたいんだけど、ディアナを放置したら一人で料理始めんのかなって心配はしてる」
「うっ……なんで気づいちゃうの」
フェルに背負ってもらってばかりの私は、せめてフェルがお風呂に入っている間に食事の支度を終えるつもりだった。
でも、その計画すらお見通しなのだから、私はもうどうやったらフェルの力になれるのか分からない。
「俺は家事全般、慣れてる。でも、ディアナは聖女候補だったんだから。無理しなくていいんだって」
「でも、挑戦してみないと、できないものはいつまで経ってもできないから」
国の医療を大きく変える存在であるほどの治癒能力を持つ聖女様。
治癒魔法は自分の怪我や病気は治すことができないけれど、聖女候補ともなると不可能なことが可能になる。
ただし、自分の怪我や病気を治すために魔力を使ってんじゃねーよという国からのお達し付き。聖女候補は、包丁一本すら握らせてもらえない。
「……よく考えたら、そういう考えもあるか」
落ち着いた喋り方をするフェルの声のトーンが、ほんの少しだけ上がった。
「人には得意不得意がある。だから、得意な人がやればいいんだって考えだった」
「その考えだと、家事全般がフェルの担当になっちゃうよ」
「それでいいんだって。やらされてるんじゃなくて、やりたくてやってんだから」
フェルは探偵さんのように考える素振りを見せながら、自身を納得させていく。
「俺が料理したくない日があったときは、代わってほしい」
「っ、うん!」
私が料理ひとつまともに作れないことを知っていながら、フェルは私に願いを託してくれた。
「その日のために、いっぱい練習するね」
「よろしく」
フェルの口角が上がったのが視界に映って、私のわがままを聞いてくれたわけじゃないんだって確信を持つことができた。
「じゃあ、昼飯は息抜きに料理作りたい。だから、ディアナは風呂」
「了解。でも、今度、ちゃんと料理を教えてね」
「うん、約束」
小指と小指を結ぶ定番の約束の交わし方をするわけではなかったけど、フェルから未来への約束を託されたことに心が弾んだ。
「いただきます」
「いただきます」
石鹸の香りに包まれた私がキッチンへと赴くと、フェルが手際よく調理を進めたおかげで優雅な食事風景が広がっていた。
お風呂上がりに、すぐ食べれるように準備してくれたフェルに感謝の気持ちが尽きない。
「美味しすぎる!」
「ん、上手くできた」
まるで魔法で料理を用意したんじゃないかと思ってしまうほど、香りも彩りも豊かな食卓風景が広がっている。
焼きたてのパンはふんわりとした食感で、バターが口の中にとろけるように染み込んでいく。
「地上でご飯を食べてるのと変わらないくらい美味しい!」
「五十階層の宿泊施設は食材を販売してるから、手ぶらでダンジョンに来れるのは助かるかな」
ダンジョンでは二十階層ごとに、宿泊施設と呼ばれる施設が存在する。
大手企業が運営しているわけではなく個人事業に該当するため、宿泊施設の規模も事業内容も統一されていない。
宿泊に特化した施設もあれば、五十階層のように宿泊と買い物ができる施設もある。
「でも、これだけ食材が充実してるってことは、それだけ地上と行き来してるってことだよね?」
「正解。五十階層の宿泊施設を運営者は、戦力も人員も兼ね備えてるってこと」
「ダンジョンで植物が育てばいいのに……」
「冒険者の数が減っている今は、ダンジョンの環境調査も進んでないから難しいのかも」
ダンジョンは階層ごとに、環境の特質が違う。
太陽が存在する階層もあれば、雨を拝むことしかできない階層もある。
モンスターが生息する階層もあれば、そもそも生き物が生命をまっとうできないような劣悪な環境の階層もある。
「階層ごとに特徴が違うのが、ダンジョンの面白さだと思うんだけど」
私たちは冒険者たちが栄えていた頃の時代を知らないけど、フェルは過去を懐かしむような眼差しを見せた。
「人が死ぬのは、やっぱ見たくない」
でも、その寂しそうな瞳を見せたのは一瞬だけ。
フェルは現実を受け入れるために、いつも通りの冷静で真摯な表情を浮かべる。




