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第8話「感情の名前を知るのは早すぎる」

「強くなりたいなぁ……」


 泣かない、泣かない、泣かない。

 そんな風に言い聞かせれば言い聞かせるほど、自分が益々、弱くなっていっているような気がする。


「フェルの、その言葉……凄く勇気づけられるから……」


 その言葉に、希望っていう曖昧な感情が動き出す。

 まだ私の勤務先の病院に辿り着いていないのに、絶望に陥った私を救い上げる大きな言葉と感情が動き出す。


「私ね、これから先の人生、その言葉に何度も救われると思う」


 ダンジョンという危険が伴う世界では、かっこいい自分でいたかった。

 誰かの助けには力を貸すことのできる自分でありたかったし、大切な人たちを守ることのできる自分でありたかった。それなのに、現実はちっとも上手くいかない。


「ありがとう、フェル」


 そんな自分が情けなくて、自分を大嫌いになりかけていた。

 そんな私を救ってくれたのは、治癒魔法みたいな優しさを含んだフェルの言葉。


「そんなに凄いこと、言ったつもりはないんだけど……」

「すっごく大きな効果を発揮しました」


 そんな風に謙遜するフェルも、とても大好きだと思う。

 そんなあなたに救われて、そんなあなたに助けられて、私は前を向くことの大切さを教わりました。


「ディアナの、何かしらの力になれたなら良かった」


 優しい笑みを浮かべながら、私を更なる大きな優しさでフェルは包み込んでくれた。


「フェルの笑顔、守れるようになりたい」

「ディアナを守るために俺は強くなったんだから、甘えてくれた方が嬉しいけど」

「甘えたい……けど、甘やかさないで」

「ははっ、どっちだよ」


 出会って間もない私たちの会話が途切れることなく続くのは、もはや奇跡のようにも思えてくる。

 そんな現実が、私の心を温かく満たしていく。


「フェルと、もっと早く出会いたかったな」

「俺は、ディアナのこと知ってたけど」


 たった一言しか発していないのに、フェルの言葉に心臓が反応を示した。

 一気に顔に熱が宿ってしまって、この熱の逃がし方が分からなくて頭が混乱し始めていく。


「いっつも謝ってたディアナのこと、ずっと気にかけてた」


 私が弱っているせいなのか、フェルが与えてくれる言葉すべてが私を元気づけてくれる。

 二番目の聖女なんて誰も気にも留めてくれなかったのに、フェルは私と出会う前から二番目を意識してくれていたことが伝わってきて、また涙腺が緩み始めてくる。


「この子、ちゃんと幸せになれるのかなって」


 涙が止まらなくなるような、幸せな言葉ばかりが告げられていく。

 何も残らなかった聖女選抜試験だと思っていたけど、私は誰かの記憶に留まることができていたらしい。


「聖女に落ちたんだから、めいっぱい幸せになればいいよ」


 彼の声を聞いているだけで、ここに鏡がなくても自分は自然と笑顔が作れているって自信が生まれる。

 この瞬間が、ずっと続けばいいのに。

 自分が、そんなおとぎ話のような願いを抱かずにはいられなくなる。


「幸せになりたいから、ちゃんと自分の非は認めていきたい」


 フェルに向けての感謝の気持ちが積もるに積もって、いつか積み重なった感謝の気持ちはどうなってしまうんだろうってことを考える。

 でも、彼が私の隣で笑顔を絶やさないでいてくれるなら、私は自分の感情を制御できなくなっても大丈夫なんじゃないかって甘えが生まれる。


「いくら体が弱くても、医療術師が真っ先にいなくなってごめんなさい」


 ダンジョンでの病院経営を任されたからには、ダンジョンで救いを欲している人の信頼を得られるような医療従事者を目指さなければいけない。

 気合いを入れて、気持ちを込めて、私は涙で滲まなくなった綺麗な視界でフェルを見つめる。


「俺も、今度は治癒魔法を使う人間に気を遣う」

「ふふっ、フェルは、私のことちゃんと守ってくれたよ」


 私の話に合わせてくれたのか、フェルの顔に反省の色が見られて思わず笑ってしまった。


「な……俺だって、ちゃんと反省して……」

「フェルは、自信満々でいた方がかっこいいよ」

「っ」


 ちゃんと自分の非を認めて、次に繋げようって確認し合う大切な場面。

 それなのに、フェルは思い切り私から視線を逸らしてしまった。


「フェルの顔、見たいな」

「それ、わざと? 俺をからかうのもいい加減にしてほしいんだけど」


 口調だけは怒っているように感じても、視線を逸らしたフェルの耳が真っ赤になっていることに気づいてしまった。

 本気で怒っているわけではないって気づいたからこそ、私はもっとフェルのことを知りたくなる。


「ダンジョンで病院をやっていくには、魔法使い様の力は絶対に必要」


 フェルと視線を交えることができなくなってしまったから、私は花時計を彩る花々に視線を向けた。


「医療術師の私を、これからも守ってください」


 フェルが落ち着きを見せるまで、私たちは視線を交えることができない。

 そう思って、花時計からフェルへと視線を変えたとき。


「守るよ」


 フェルの瑠璃色の瞳と、私の瞳が見つめ合うかたちになった。


「今度こそ、ディアナのことを守る」


 黒曜石のような深い黒髪が風に靡く。

 フェルと出会った日のことを思い出して、急に胸の中に込み上げてくる感情がある。


「私は、二人分のお給料を稼げるように頑張ります」

「頼むよ、お医者様」

「任せて」


 でも、その感情に、まだ名前を付けることができない。

 この感情の名前を《《愛》》とか《《恋》》とか言うのかもしれないけど、まだ医療術師として何も成すことができていない私には感情の名前を知るのは早すぎると自身を戒める。


「さっさと五十階層、目指しますか」

「もたもたしてたら、アルノ様に追いつかれちゃうね」


 聖女になれるほど強大な治癒魔法は貴重でも、治癒魔法自体は珍しいものではない。

 それでも魔法を使うことができる人とできない人に分けられた世界だからこそ、治癒魔法の使い手はどこへ行っても引く手あまたと言われている。

 でも、聖女になれなかった私は希望を見出すことも難しかった。


「あー……あの人、別に来なくても良くない?」

「一応、相続人だと思うよ……」

「あー、あー、これだから金持ちは!」


 たった独りで始める病院経営だと思っていたけれど、独りじゃないって気づいたときの心強さは言葉で表現ができないほど大きい。

 そんな感謝の気持ちを、いつか彼に伝えられたらいいなと。

 夜空に輝く星たちに、願いを託す。

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