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喫茶 トキカサネ ~この一杯だけ、時間が止まる~  作者: MMPP.key-_-bou
第一部 ~この一杯だけ、時間が止まる~

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7/14

第七話 「この一杯が終わる朝に」

 春の光が、開発課の窓辺をやさしく照らしている。

 課長・新来あたらい、課長として20年以上をこの職場で過ごしてきた。だが今日は、その最後の一日だった。


 自席の端に、青くゴツゴツしたマグカップがある。息子が小学生のときに作ってくれた、世界にひとつだけのカップだ。高校を卒業したばかりの彼は、つい先日、東京の大学に進学が決まった。


「やっぱり工学部、行くわ」


 そう言って旅立っていった息子の後ろ姿を思い出しながら、新来は珈琲豆をミルに入れる。最後の一杯だ。今日もいつもと同じ、丁寧に、手挽きのリズムを守る。


「おつかれさまでした!」


 背後から若い声。振り返ると、課のメンバー7人が、手作りの寄せ書きを持って並んでいた。


「やめるって、ほんとだったんですね……」

「うそでしょ、課長がいない開発課なんて想像つかないです」


 笑顔と涙が入り混じった空気の中、新来はゆっくりと言った。


「おれがいなくても、大丈夫だよ。もうみんな、自分の珈琲、淹れられるだろ?」


 それは、ただの比喩じゃなかった。

 5分間、世界が止まるような“心の静けさ”を、自分で見つけられるようになった。焦らず、慌てず、必要なときに立ち止まれる。それを、みんなが少しずつ体得してきたのだ。


 山下は、いまや後輩の指導役になっている。失敗を責めるより、まず話を聞くことを覚えた。


 佐藤は、設計の主力として引っ張っている。最近では社外プレゼンも任されるようになった。


 一番遅咲きだった中村は、自分の得意分野を見つけ、補佐のプロとして全体を支えている。


 誰もが、自分のペースで、でも確かに変わってきた。

 あの「時間が止まる珈琲」は、もう必要ないかもしれない。だけど、それがくれた“感覚”だけは、この先も生きていく。


「ところで課長、いや、元・課長。辞めたあと、どうするんですか?」


 山下が真顔で聞いてくる。みんなも興味津々だ。


 新来は一呼吸おいて、言った。


「少し休む。で、そのあと……喫茶店をやろうと思ってる」

「ええっ!」

「マジですか!」


 驚きと笑い声が交錯する。山下が真剣な顔をして言った。


「じゃあ、俺たちの“時間が止まる一杯”は、そこに飲みに行けばいいですね」

「……そうだな。だけど、止まるのは、時間じゃないかもな。むしろ、“流れ”が見えるようになる場所にしたい」


 窓の外で、桜の花びらが舞っている。春の風が吹き抜け、オフィスの空気を一瞬変える。


「お父さん、また無理してる」


 ふと、心の奥で声がする。

 あのとき、時間が止まった世界で現れた、小学生の姿の息子。あれは幻だったのか、夢だったのか。けれど、その言葉は、今でも胸の奥で生きている。


「だからな、ちゃんと“動きたい”んだ。自分の意思で、次に」


 そう言って、新来は最後の一口を飲み干した。香ばしい苦味と、少しだけ甘い後味が、心の奥に静かに染みていく。


 退職という選択は、逃げでも諦めでもない。すべてを注いだこの職場を手放すからこそ、新しい風を、自分の人生に呼び込みたかった。


 午後、簡素な送別会のあと、新来は一人、ロッカーを開けて荷物を整理した。隅に置かれていた、使い古したノート。その表紙に、かすれた文字。


「“急がせるより、気にかける方が効果ある”……懐かしいな」


 それは、あの珈琲中にふと思いつき、書き留めていた言葉だった。

 ノートを閉じて、新来は最後に振り返る。

 この場所で、自分はたくさんの時間を“止めて”、そして“動かして”きた。部下たちと過ごした無数の朝。静かな5分。背中で伝えた思い。すべてが、今の自分を作ってくれた。


 これからは、その経験を携えて、まったく新しい場所へ向かう。

 誰かの疲れをほどくような、香りと余白のある空間をつくりたい。

 そして、そこで誰かがまた“次”へと進めるような、一杯を淹れられたら――


 夜。帰宅した新来を、家のポストに届いた手紙が出迎えた。

 差出人は、東京の大学に行った息子。


「お父さんへ

 進学、やっぱりちょっと不安だけど、がんばってみる。あとさ、最近、珈琲飲めるようになったんだ。こっちに来たら、一杯、いっしょに飲もうな」


 新来は、青いマグカップにそっと目をやった。

 そうだな。今度は、ふたりで淹れよう。

 静かな朝に、言葉のいらない5分を分けあうのも、悪くない。

 香り立つ湯気の向こうに、新しい時間が、もう始まっている。


 ―第一部 完―


ここまで読んでくれてありがとうございます。

トキカサネの☕️一杯は、少しでもあなたの心を軽くできたでしょうか?


二部では、部下の○○が!?!?!?

次回も、ほんの少し時間が止まる瞬間をお届けできたら嬉しいです。


それでは、また次の☕️一杯でお会いしましょう♪

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