第四話 「父と珈琲と、これからの話」
大学の合格通知が届いたその日、僕は父に一番にそれを報告した。
「おめでとう」
父はそう言って、僕の肩をぽんと叩いただけだった。
それからの数日間、家の中には少しだけ、落ち着かない空気が漂っていた。母は嬉しそうに入学準備を進めていたけれど、父の様子はどこか上の空だった。
そしてある日の夕方。
玄関を開けると、父の靴がなかった。代わりに、ダイニングテーブルに手紙が置かれていた。
「少しだけ、時間をください。
話すことがたくさんあるから、場所を変えようと思います。
あの店で待っています。」
その筆跡を見ただけで、どこかすぐにわかった。
父と、一度訪れたことのある、あの喫茶店だ。
急いで自転車を飛ばす。店の灯りはやさしく灯り、入り口のベルが静かに鳴った。
カウンターの一番奥に、父が座っていた。
「来たか、早かったな」
いつものジャケット、いつもの笑顔。だけど、その笑顔の奥に、今日だけの何かが潜んでいるのを、僕はすぐに感じた。
「とりあえず、珈琲飲むか」
そう言って父が差し出したマグカップ。懐かしい香りが鼻をくすぐる。
「……あの、話って」
口火を切った僕に、父は少し間をおいて、言った。
「退職、することにした」
時が止まったように感じた。
いや、むしろ——一気に加速したようにも思えた。
「どうして?……もうちょっと、先じゃないのか」
「うん。普通ならそうなんだけどな。だけど、山下も佐藤も育ってきたし、俺がいなくても、もう回る部署になったんだ。むしろ、俺が動かないと、次の世代が育たない気がしてな」
父は、そう言って苦笑いを浮かべた。
「それに……お前が進む道を選んだ姿を見てたらさ、なんだか俺も、挑戦したくなった」
「挑戦?」
「次のステージ。まだ決まってはいないけど、人と関わる仕事がいい。育てること、支えること、そして“味わってもらうこと”。——それが俺のやりたいことみたいなんだ」
父の言葉に、心が揺れた。
それは、まさに父の背中が語ってきたことだった。
「なあ……お前に、聞きたいことがある」
父はそう前置きして、僕をじっと見つめた。
「お前にとって、俺ってどんな親父だった?」
突然の問いに、僕は言葉を失った。でも、胸の奥から、自然と答えが浮かんできた。
「……なんでもは言わないけど、絶対に大事なことは見逃さない人だった」
「で、たまにヘンテコなタイミングで、珈琲入れるし」
「でもその珈琲で、こっちの気持ちがすっと楽になるの、わかってたんだと思う」
父は、ゆっくりとうなずいた。
「そうか……お前がそう思ってくれてたなら、それが一番嬉しいな」
やがて、店内の照明が少しだけ落ち、静かな音楽が流れ始めた。
マスターが、静かに近づいてきて、一言。
「おふたりに、特別な一杯を」
いつもの青いカップではなく、薄い琥珀色のグラス。
それはどこか、未来の始まりのような珈琲だった。
父がカップを持ち、僕も続けた。
「乾杯、かな」
「そうだな。未来に、乾杯だ」
二人で口をつけたその瞬間、あの時の“時間が止まる感覚”が、ふたたび胸に広がった。
けれど今度は止まるのではなく、静かに進み出すような感覚だった。
店を出ると、春の風が頬をなでた。
父と並んで歩く道。
これまで見ていた背中が、少しだけ横に並んで、同じ高さにあることに気づく。
「お父さん、俺……」
言いかけて、ふと口をつぐんだ。
「うん?」
「ううん、なんでもない」
きっと今じゃなくていい。
いつか、ちゃんと伝えよう。
この背中が、僕の人生の指針になったことを。
そしていつか——僕も誰かの背中になる日が来たら、
こんなふうに、珈琲を淹れてみたいと思った。
―第三部 完―
『喫茶 トキカサネ ~この一杯だけ、時間が止まる~』は、日常の中にある小さな奇跡と、忙しい毎日の中で見落としがちな大切なものを、珈琲を通じて描いた物語です。
主人公の課長・新来は、仕事に追われながらも、自分の周りの人たちや自分自身と向き合い、少しずつ成長していきます。
もしも、たった5分だけ時間が止まる瞬間があったら、あなたは誰に何を伝えたいでしょうか。
この物語が、読んでくださる皆さまの心に小さな温かさを届けられたなら幸いです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
著者:MMPP.K(管理職パパ)
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